純文学関連用語解説

北村透谷の純文学の定義はWikiによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6
「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」だそうで、これは英語のピュアリテレーチャー(pure literature)の意味と一致する。この時代、単にリテレーチャー(literature)というと、大学における文学部経済学科や文学部政治学科や文学部社会学科、法学科なども含めて文学部であったように、文科系の学問すべて含めてリテレーチャーになるので、文学部文学科のような物を指して、ピュアリテレーチャーと言った。
純文学という日本語の起源を菊池寛より古い北村透谷に求めて、そこから外国語起源説に結びつけ、日本ローカルの無意味な概念ではないと反論するやり方もあるにはあるし、北村透谷の文学観を追求するのは学術的には面白いと思う。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/43445_17675.html
http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/extract/tokoku/tokoku.htm
上記のHPを見る限り北村は英語混じりの日本語を書いており、英文学の影響をそれなりに受けていると思われる。
また、青空文庫北村透谷の文章を読むとピュアリテレーチャーを近代文学、美文を江戸文学になぞらえているように見える。
青空文庫http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person157.html#sakuhin_list_1
美文の意味が、フランス語起源の英語belles lettresと一致している。


belles lettresは通常ピュアリテレーチャーと同じく純文学と訳される。フランス語で、直訳するとbelles=美しい、lettres=文字です。美しいとは何かというのはまた難しくて、日本の首相が就任した時に「美しい国、日本」というコピーを掲げる。それに対して、姜 尚中が「漢字で『美国』とは韓国でも中国でもアメリカを意味する」と言う。中国語や韓国語ではアメリカを米国とは書かずに美国と書く。日本国民としては、自国の総理はそのぐらい分かった上で、中国や韓国に対して「日本はアメリカの五十一番目の州ですよ」「日本の軍事化とかを怖れなくても、在日米軍が日本から韓国・中国を守ってくれるので安心してくださいね」というメッセージを発しているとか思いたいのですが、まあ、それはそれとして。


フランス語で美しい母と言えは、継母を指す。美しいフランス語と言えば、古代ローマ帝国からの伝統を受け継ぐ古典ラテン語風のフランス語を意味します。 西洋史において、歴史の中心は古代ギリシャ→中世ローマ帝国→近代フランスとなる。同じラテン系の言語でもスペイン語やポルトガル語が文法を簡素化することで南米を中心にその言語圏を広げていったのに対し、フランスは複雑な古典文法を残すことで、中世ローマから伝わる古典文化との継続性を重視した。古代において皆同じ言語を使い、意思の疎通が取れていたのが、バベルの塔の建設で神の怒りをかい、共通の言語を失いバラバラの方言しかしゃべれなくなった。このバベルの塔の民話でいうと、古典ラテン語こそがバベルにおける共通の正しい言語で、フランス語はその伝統を最も保存している世界で一番美しい言語だ。スペイン語やポルトガル語は方言でしかない。というのがフランス人の言語観で、彼らが言語に関して美しいと言うとき、それは古典との継続性を意味し、古典ラテン語を意味する。


ルネッサンス期の芸術家・知識人にとって、古典ラテン語が出来ることは必須条件であった。彼らのパトロンメディチ家で薬を意味するメディスンの語源にもなっているように、薬の販売で財産を築いた人達だ。彼らがパトロンとして資金を出しているのは新薬の研究開発チームに対してだ。錬金術師と言われるエンジニア達に金を出している。この時代に画家になるには、ラテン語の勉強をして古典の学術書を読めるようになるのに数年、そこから博物学を学んで、様々な種類の鉱物から絵具を作り出せるようになるのに数年、自分で絵具を作れて初めて絵を描く事ができるようになる。彼らは画家である前に、絵具という薬品を研究開発する発明家であった。


ルネッサンスバロック、古典主義時代と時代が下って、フランス革命が起き、ロマン主義時代が訪れる。王侯貴族を民衆が倒したとこで、貴族よりも民衆の方が偉いという風潮が生まれる。王侯貴族の下で古典ラテン語の本を読んでる学者よりも、民衆のために大衆演劇をやったシェークスピアの方が偉いとなる。英語でpure literatureと言った時に、代表的な作家はやはり英国最大の文豪シェークスピアになるだろう。シェークスピア自体はルネッサンス期の人物で、当時のラテン的教養人から評価されたわけではない。高等教育を受けた訳でもなく、知識人というよりもは民衆の側にいた人物だ。シェークスピアが高く評価されるのはロマン主義時代に入ってからで、死後何年も経ってからだ。ロマン主義というのは一種の民主主義で、ラテン語が読めなくても、博物学を修めなくても、お金を払えばチューブに入った絵具が買えて、誰でも絵を描く事ができる時代だ。近代の大衆による大衆のための文化がpure literatureで、それが、belles lettresの対義語になる北村透谷の使用法は純文学の外来語起源説を裏付ける物だと思う。


と某所で書いたら、「美文」の語源は中国語じゃないのかと言われて、確かにそんな気もするんですよね。四六駢儷体とか、その辺りの前近代的な中国の韻文を指した言葉として日本に入ってきて、その流れで北村透谷も使っているのではないかと。中国語起源説を取っても、フランス語起源説をとっても、美文の意味は大して変わらないので、まあ調べようもないのですが。


ちなみに台湾には「純文学」という出版社&文学雑誌があり、そこの創業社長兼作家の
林海音http://aonoken.osaka-gaidai.ac.jp/zjcidian/zuojia3/l/linhaiyin/linhaiyi.htm
は児童文学出身の女性作家で、その流れで雑誌「純文学」は児童文学や女性文学の色彩が強いらしいです。