哲学の黄昏

東浩紀雑談3 チャンネル登録よろしく的な雑談 - YouTube

ゲンロンカフェのライブ配信を見ながら、ニューアカデミズム・ポストモダニズム・ヨーロッパ近代哲学・人文知の存在意義に対して、疑問を投げかける東浩紀さんに、無能な自分が反論してみます。

 

中学高校時代にニューアカにどっぷりハマった三流大学卒の自分と、東大の大学院で科学哲学や表象文化論を専攻した東浩紀さんでは、当然色々、違っていて。

 

1980年代初頭にニューアカブームがあって、1990年代に、その反動でニューアカ批判・ポストモダニズム批判が巻き起こって、90年代に院生だった東さんは、大学内のカリキュラムで、ポストモダニズムを批判する論文を外国語で学ばされたわけで。

浅田彰 No.8 - YouTube

あの時代の浅田さんのルックスや声は、話の内容が理解できなくても、映像的にカッコ良いとか、声が音楽的にカッコ良いのが、伝わる存在だった。

 

「構造と力――記号論を超えて」で記号論という語が出てきた。これは企業(IR:インベスター・リレーションズ)や商品のブランディングをする上で、必要となる理論で、高度消費社会における記号消費・物語消費を後押しする理論とされていた。田中康夫の「なんとなくクリスタル」でブランド名という記号を読解し、消費する姿が描かれ、糸井重里氏によるコピーライターブームが起きていた。

 

ノンブランドの千円の服に、ブランド名を付けて、一万円、十万円と価値を上げていくには、「構造と力」を読んで、記号論の基礎ぐらいは知るべきで。会社員としてホワイトカラー職に就き続けるには、ニューアカ浅田彰の本は読んでないと難しいですよねという時代でした。

 

学問や哲学に興味が無い俗人でも、就職活動期には「面接の達人」を買うのと同じぐらい、「構造と力」は読めなくても買う本だった。

 

哲学は儲からないと世間から思われていると東さんは語っていますが、80年代のニューアカはコピーライターとか企業コンサルのボス的存在として、儲かっているイメージな訳です。