一帯一路VSシルクロード鉄道 2

中国の長江より南に位置する南部の広東語圏の自由主義経済を好む人たち、孔子よりも老子を好む人たち、明確な集団であったり、名称があったりするのか、どうかもあやしいが、シルクロード鉄道派とでも呼んだ時に。彼らが出してきたコラムで印象的な物が二つほどある。

 

一つは日本人は小日本と言われても怒らないという話。もう一つはシルクロード鉄道を説明するときに、ヨーロッパに向けてはマルコポーロという言葉を使うが、日本に向けてはマルコポーロという単語は使わずに説明をするという話。(以下、要約)

 

日本では1970年代ぐらいまで重厚長大な鉄鋼・造船産業が盛んであったが、1980年代辺りから、軽薄短小な、小さな精密機器が花形産業となり、ウォークマンや携帯電話でも、世界最小・最軽量が売りとなり、小さい=小型化に成功している=高性能という意味に成った。アメリカのマイクロソフト社の社名を見ても、マイクロ=小さいことが高性能を意味している。

 

中国人が日本人を馬鹿にするとき、小日本という言葉を使う。中国語において小は、小さい以外に倫理的に劣った小悪党の意味があり、大/bigという語には、大きい/large size以外に、倫理的に優れた、偉大な/greatという意味がある。小日本とののしっても、日本人は怒らない。むしろ自ら「小日本」と名乗り、微笑んでくる。日本人はそれほど心が広いのだ。(要約終わり)

 

という趣旨のコラムというか笑い話だ。おそらく、この話の元ネタは、中国人が日本に来て電車に乗ろうと切符の自販機に向かったとき、大人/小人で料金が違い、小人=悪人は運賃が安いのかと、驚く話だろう。

 

中国主導で、ユーラシア大陸を横断するシルクロード鉄道を作るときに、ロシアから中国を経て、中東、ヨーロッパ、イギリスまで続く鉄道をつなぐのに各国の同意や協力が必要になる。ヨーロッパではマルコポーロという語がポジティブなので、鉄道の説明に多用した方が良いが、日本ではマルコポーロはネガティブなニュアンスがあるので使わない方が良い。

 

日本人である私は、そこまで読んで、マルコポーロにネガティブなニュアンスが日本において存在するのか疑問に思う。

 

日本には2000年代にマルコポーロという雑誌があって、第二次世界大戦時の軍国主義時代の日本政府を正当化し称賛する雑誌だったのだが、第二次世界大戦時に同盟国であったナチスドイツを称賛し、「アウシュビッツは無かった」という記事を出したことで問題となり廃刊に追い込まれた雑誌がある。

 

日本人である自分としては、そのコラムを読むまで、マルコポーロという雑誌があったことを忘れていたが、マルコポーロと言われて、ヨーロッパ人の名前でなく、雑誌名を連想する人がゼロではない以上、ネガティブなニュアンスがあると言えば、確かにそうなる。何に驚くかと言えば、シルクロード鉄道派の中国人が、日本人も忘れているようなマイナーな雑誌を知っていて、それを印象操作に使っているということだ。日本人よりも深く日本文化を調査した上で、ヨーロッパ人にはヨーロッパ人に受け入れられる説明方法を取り、日本人には日本人向けの説明をもちいている。

 

テレビのドキュメンタリーでアメリカの経営学修士の授業が放送されていた。黒い服を売りたいとき、自社の黒い服と同じデザイン・機能・値段の黒い服が他社からも販売されている。黒という語を、ポジティブな言葉、ネガティブな言葉に置き換えて、呼ばなくてはいけない。blackをポジティブに言えば、chicで、ネガティブな言葉にすると、dark。自社の商品をchicな服と言い、他社の商品をdarkな服と言えば、よりポジティブなchicな服が売れる。どちらも同じ黒だけれども、ニュアンスが違う。黒を意味する単語でも、noir/ノワールと言えば、黒社会・犯罪・犯罪者なども意味する。表向きは、黒という色の話しかしていないのだが、実際にはニュアンスを付加することで、潜在意識に裏の意味を刷り込むことができる。

 

シルクロード鉄道派の人たちが専門とする分野はここで、中国語を外国語に翻訳したとき、ネガティブなニュアンスが発生していないかをチェックし、ポジティブなニュアンスに置き換えるのを生業としている。貿易商人は単に外国語が話せるだけでなく、外国語で外国人相手にセールストークが出来なければならない。

 

一帯一路もシルクロード鉄道も、同じ物を別の呼び方で呼んでいるだけなのだが、習近平が名付けた一帯一路では周辺国の協力が得られず、シルクロード鉄道に呼び変えたとたん、同意や協力が得られた印象が強い。

 

 

 

 

 

習近平目線で考えるアメリカが取るべき政策

習近平国家主席になる時期の中国は、自由主義諸国に対する開放政策が進み、中国国内が資本主義化し、貧富の差が顕著になっていた頃だった。汚職を取り締まる明確な法律も整備されておらず、賄賂が横行し、汚職で得た資金の洗浄に、マカオやドバイのカジノが使われていた。次期国家主席汚職の取り締まりを行わなければいけない状況であった。それは必要な仕事であるが同時に、当時の権力者である、有力な政治家や経営者から恨みを買う可能性が高い仕事であった。

 

習近平が腐敗撲滅運動を行い、当時の有力な政治家や経営者を有罪にしていったときに、彼らの多くは懲役8~10年であった。習近平の任期である2期10年が終わる頃に、丁度、かつての権力者が出所してきて、権力の座から降りた習近平に仕返しをするというシナリオを避けるために、習近平は任期の撤廃を行ったし、胡錦涛などの長老達もそれに同意した。腐敗撲滅運動によって、中国本土からカジノに流れる資金は統計上減っており、それは一つの成果だと言える。

 

権力の座から降りたときに、暗殺される、もしくは無実の罪で投獄されるのをおそれた。暗殺で言えば、2015年8月12日の天津浜海新区大爆発事故には習近平に対する暗殺未遂事件であったという噂が流れていて、当初、習近平が乗る予定であった車両が事故で吹き飛んでいる。事前に情報を得た習近平が移動を鉄道から自動車に切り替えて難を逃れたと噂されている。

爆発の実行犯は中国北部の少数民族だと噂され、それが北部のイスラム教徒弾圧につながっている。そもそも暗殺が失敗であったのかもあやしくて、爆破テロを起こす側からすれば、権力者を殺すことが目的でなく、権力者を脅して自分の意のままに操ることが目的であった可能性もある。殺してしまったのでは、次期主席が自分の意のままに動くとも限らない。殺さずに、暗殺のデモンストレーションを見せることが目的であった可能性が高い。

また、韓国の大統領が引退し前大統領に成ると、汚職で投獄されるというパターンが出来上がっていて、そこに対しても習近平が関心を持っているという噂はある。

 

当初の予定であれば、習近平は2期10年を務めた後、アメリカのチャイナタウンに移住して政敵からの攻撃を逃れる予定であった。腐敗撲滅運動で多くの権力者、政治家や経営者を投獄した以上、引退後、中国に住むという選択肢は、ありえない。その際の亡命先、移住先を選ぶ上で重要なのが、暗殺をされない国、中国政府からの犯人引き渡し要求に、応じない国が求められる。ヨーロッパ/EUだと、ロシア政府に逆らった元KGBや元政治家、ジャーナリストなどが、EUに亡命後、亡命先の欧州で暗殺され、犯人も証拠も挙がってないケースが多々ある。次期中国政府から汚職などの疑いを掛けられ、引き渡し請求されたとき、中国と親密な社会主義国では、次期中国政府の要求を呑んでしまう可能性が高い。次期中国政府に逆らえるぐらいの強い国で、暗殺防止が可能な国となると、限られてくる。

 

習近平の腐敗撲滅運動によって、逮捕されそうな立場に成った経営者たちがアメリカのチャイナタウンに大量移住して、アメリカの主要なチャイナタウンが反習近平派の牙城となったのが、習近平の引退後のプランをぶち壊し、習近平を絶望させたことは予想に難くない。国家主席の任期延長は、郭文貴によって作られたとも言える。

 

暗殺と言えば、金正恩の兄である金正男がマレーシアで暗殺されたとき、習近平にしては珍しく、感情的な言葉で生理的嫌悪感を表明している。あの暗殺は北朝鮮政府が指示を出したとされているが、中国政府がボディガードを付けていた以上、自由主義諸国から経済制裁を受け、中国政府から経済支援を受けている北朝鮮が単独で判断したとは考え難い。社会主義経済圏において、中国政府の意向に逆らえるだけの大国ロシアのバックアップがあったと考えるのが自然だろう。あの暗殺によって、中国政府が付けるボディガードが役に立たないことが判明した。習近平にとって、ロシアが本気を出せば、習近平を殺せるというサインにも成っていたはずだ。

 

習近平からすれば、任期を撤廃する以上は、次の選挙でも勝ち3期目を獲得しなければならない。慣習をくつがえしての3期目を獲得するには、通常通りの選挙でなく、圧倒的な人気と得票数が欲しくなる。中国には民主的な普通選挙はないが、選挙権・被選挙権が制限された制限選挙は存在する。選挙権を持つのは共産党員と中国人民解放軍に成る。選挙で勝ちたいと思えば必然的に、共産主義軍国主義路線を選ぶことになる。習近平個人の思想信条と無関係に、選挙制度上、勝つためにはそうせざるを得ない。

 

比較法学34巻1号「人民代表大会代表選挙の問題点」P6L2より

https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-034010267.pdf

「軍人代表は全国人民代表大会には265人であり、全人代代表総数の約9%を占め、軍人が占める全国人口総数における比例と明らかに不均衡である。」

 

軍事費を増やすのが、国家主席にとって一番安く買える票となる。軍が派手な活躍の場を外に求めたときに、制御しないのが次の選挙の票となって表れる。

 

wikiの「全国人民代表大会」より、概要の5行目から

全人代は、省・自治区直轄市特別行政区の人民代表大会および中国人民解放軍から選出された代表(議員)によって構成される」

地域の代表とは別枠で、軍の代表が座る議席数が確保されている。

 

 軍が国のトップを決める議会の9%の議席、票数を持っている。国のトップになるのに必要な得票率が50%だとすると、その内の約5分の1の固定票がある。習近平軍縮会議に出席しない理由の一つは、この辺りにある。

 

習近平が2022年で2期10年を満了し、次の政権に禅譲した場合、習近平政権よりも、外交やウィグルなどに関して、柔軟な対応をする政権が生まれると予測される。特に習近平派でなく胡錦涛派の政権が生まれた場合、その可能性が高い。仮に習近平が次の選挙を戦わず禅譲するなら、共産主義軍国主義寄りの政策を実行する動機が習近平の中で無くなる。自らの良心に基づいた政策を実行できるのであって、中国共産党人民解放軍に配慮する必要が無い。

 

引退後の習近平が安全に暮らせる移住先を見つけることが、アメリカの国益となるだろう。中国国外で、中国と変わらない暮らしができるチャイナタウンは世界中にある。その中で、1970年代以降に中国から外国へ渡った新華僑によって作られた比較的歴史の浅いチャイナタウンが好みのようだ。中国が共産化する前の清王朝中華民国時代の旧華僑が作った町は好みに合わないらしい。日本で言えば、横浜中華街よりも、赤羽の方が良さそうだ。

 

第二次世界大戦の敗戦時、日本は無条件降伏をしたが、水面下では天皇家に対する命の保証はしたと言われている。東条英機など、当時の総理大臣に対して責任を追及したが、天皇家はその対象から外れた。米中冷戦の中においても最低限の譲歩は必要だと思われる。

 

 

 

 

岡村隆史のバルス

お笑い芸人の岡村隆史が、ラジオで失言したことに関して、様々な人が様々な立場で語っていたが、自分と同じ見方をしている人を見かけなかったので、一応書いてみる。

 

バルス」はアニメ「天空の城ラピュタ」に出てくる破滅の呪文であり、TV地上波で再放送される際、アニメのバルスに合わせて、ファンが一斉に「バルス」とツイートすることが恒例となっている。何万人の一斉ツイートで、本来、存在しないはずのアニメ中の造語である「バルス」がツイッターの注目ワードランキングで上位にランキングされることとなる。

 

バルスはロックコンサートにおけるコール&レスポンスであり、視聴者投票のDボタンやニコニコ動画における「WWWW」「8888」みたいなものだが、同じようなシステムが岡村隆史のラジオにもあった。芸人岡村がボケると、放送に合わせて、視聴者が

「何言ってるねん!」「ほな、あほな!」「なんでやねん!」と何万人が一斉にツイッターでツッコむ。ラジオを聴く側はツッコミワードを携帯に入れて、ラジオを聴いて、ボケに合わせて軽快にツッコむ。そういう視聴者参加型の文化が岡村隆史オールナイトニッポンにはあった。

 

ツッコむ側は岡村隆史の熱心なファンであり、リアルタイムでラジオを聴いて、ツイートをするのだが、ラジオ局の上層部はそれらのツイートの数を、クレーム・炎上の件数としてカウントし、これらの数のクレームが来ましたと、定期的にラジオ内で報告されていた。ツイートをしている人達のほとんどは、岡村隆史に対する共感・同意の下でのツッコミであり、ラジオ局内でも現場スタッフは、そのことをよく理解していたが、ラジオ局内でも上層部と現場との温度差は感じられた。

 

元々、岡村隆史オールナイトニッポンは、ナインティ―ナインのオールナイトニッポンで、ボケの岡村、ツッコミの矢部で、二人組のラジオだった。岡村が毒舌でおかしなことを言う。矢部がそれに「岡村さ~ん、そんなこと言うたらあきませんよぉ~」とツッコむ。岡村が火を付けて、矢部が火消しをして、マッチポンプで成立する笑いだった。

 

色々あって、岡村一人のラジオに成った。岡村がボケても、誰もツッコまないので、漫才好きのファン達は、自らツイッター上でツッコむようになった。ツッコミ=クレームが来るので、ボケてはいけないという空気がラジオを支配して、2時間ボケ無しで真面目な話しかしないことも多くなった。

 

岡村が病気で休んでいた時、矢部一人時代のラジオはゲストに後輩の芸人(漫才師でボケ担当)を呼んで、ボケとツッコミで矢部はラジオを回していた。矢部が休み、岡村一人に成ったとき、後輩でも放送作家でも良いから、ツッコミの出来る相手を入れて、ラジオをやるべきだった。

 

 

 

 

 

一帯一路VSシルクロード鉄道

米中経済戦争が、経済戦争から軍事的な戦争へ移行しつつある中、思うことを書いてみます。

アメリカが提案した米露中の三か国軍縮会議への出席を中国が拒否した次の日に、トランプがツイッターで中国を批判し、米中経済戦争が軍事モードへシフトしたわけですが。

中国には長江と黄河という二つの大河が西から東に流れていて、北部・中部(中国表記だと中原)・南部と国を三等分しています。長江や黄河は、河岸から対岸が見えず水平線が見えるため、古代中世の科学力では、大河を渡ることは海を航海するのと同じぐらい命がけの困難がともなったと思われます。古代~中世の感覚では、中原は南北を大河に、はさまれ、東は太平洋で西は山脈があり、島国と同じぐらい異民族の流入が無い、閉じた社会であったわけです。

漢民族は閉じた社会の中で、科挙などの制度を発達させます。学術書を読み、知識を得ることが高い収入につながる。彼らにとって知識こそが収入の源泉であって、官吏登用試験に合格し、高級官僚になることが理想の職業でした。

中国南部に住む広東人は、中原の北京語とは異なる広東語を話したので、北京語の科挙で良い成績を取るには不利でした。彼らは船に乗り、フィリピンやベトナムや日本や韓国と貿易をすることで大きな利益を生み出しました。彼らにとって外国に外国人の友人がいることが収入の源泉であって、貿易商に成ることが理想の職業でした。

漢民族ガリ勉であり、部屋にこもって学術書を読みあさるのが学生の本分とされました。広東人はパーティー・ピープルであり、部屋に多くの外国人を招いてパーティーを主催したり、外国人が主催するパーティに出向いて、外国人と毎晩パーティをすることが学生の本分とされました。

漢民族の世界では、人が集まる場所、満員電車の中や行列の待ち時間などでは、静かに大人しくしていることがマナーとされ、友人と話す必要がある場面でも小声で周りの迷惑にならないよう、ささやくことが礼儀とされました。

広東人の世界では、満員電車の中や行列の待ち時間などで、皆が退屈を持て余しているだろう時には、大きな声でジョークを言って場を和ませるのがマナーとされ、重苦しい沈黙を提供することはマナー違反とされました。

トランプ政権と習近平政権の交流を見ると、トランプ側から見た正しいマナーが、習近平から見ればマナー違反で、習近平から見たマナーが、トランプ側から見ればマナー違反であった場面が多々あったように思う。それは米中の文化の違いというより、トランプ・江沢民的なパーティ・ピープルと、習近平・ヒラリークリントン的なガリ勉の文化格差に見えた。

トランプが習近平を抱きしめようとして、習近平が拒否をする場面。握手という肌の接触で仲良くなる西洋文化と、お辞儀という肌の接触無しで仲良くなる東洋文化の違いもあったかもしれない。

広東人が中国のソフトパワーを強調することで、ハードパワー(軍事力・抑止力)に頼らない、民間外交による世界平和の実現を提唱していたのに対し、ハードパワーを強調する習近平のズレた世界観がどこから来るのか。

習近平は高等教育を受けたエリートであり、膨大な量の学術書を読む学者肌のガリ勉です。大学などの研究機関に所属する学者が書く学術書は、「百年以上昔の歴史について書かなければいけない」という暗黙のルールがあります。存命中の権力者(政治家や経営者)を称賛して、広告費をもらうのは学術の世界ではやってはいけません。かといって存命中の権力者や有名人を批判して失脚させるのも学者の仕事ではありません。死後百年以上経って、関係者や家族や弟子がいなくなってから、初めて利害関係の無い中立の立場で研究論文を書けることに成ります。

2019年の今から約百年前、1919年辺りが正統派の学者が学術書・歴史書の中で書ける一番新しい時代設定に成ります。学術書を読みあさる習近平の頭の中では、いまは1919年、第一次世界大戦第二次世界大戦の間の戦間期で、大国があちこちで侵略戦争を仕掛けて、植民地の分捕り合戦をしている1919年が、いまのこの時代だと彼は認識しています。仮に今が1919年なのであれば、近い将来、第二次世界大戦は必ず起きます。第三次ではなく第二次です。それまでに軍備を増強しなければいけません。

広東人は、漢民族とは違うやり方で世界を認識します。上海閥アメリカ在住の江沢民はもとより、広東人は学術書を読まず、海外を旅したり、外人の友達と話したりして、今の時代を知ろうとします。軍事力で国境線を書き換えるような乱暴なことを、国際世論が許さない時代だと広東人は知っています。理由なく侵略戦争を仕掛けたり仕掛けられたりの時代で無いことを知っています。

 

 

 

中原に住む漢民族が中国の人口の三分の一を占め、中国の歴史を見ると、漢民族が政権を担った時代と、非漢民族少数民族連合政権を担った時代に分かれます。

毛沢東は「大漢族主義」を批判し「反大漢族主義」を提唱しました。以後、中国共産党内で漢族が要職を独占することはなく、非漢民族による少数民族連合政権が中心を担ってきました。習近平政権は大漢族主義を復興させたとして、早い段階から中国内部で、北部と南部において批判をされてきました。

 日本における中華料理を見ると、大衆料理としての広東料理(中国南部)と、高級料理としての四川料理(中国北部)があって、北京料理(中原)は開店休業状態の店が多く、客数が少ない上、定着していません。逆に韓国では、北京ダックと似た鶏料理のサムゲタンがあって、韓国における中国文化を見ると、北京・漢民族の中原文化が強いように思われます。

 

毛沢東以降、日本目線で言えば日清戦争以降、中国政治の表舞台に出てこなかった漢民族習近平政権で中核を担うようになり、漢民族に触れてこなかった日本としても戸惑う場面が多かったわけです。

deal/交渉に至る前段階の、初対面の担当者同士が雑談を通じてお互い仲良くなり信頼関係を醸成する場面。それまでであれば、まずは相手をほめて、相手に対して敬意を示す。担当者の服装や身なりや経歴をほめるとか、相手が中国人であれば中国をほめる。それに対して、先方が謙遜し、「いやいや、私なんて大したことないですよ」と言い、逆に相手をほめ返す。それに対して、こちら側も謙遜する。お互いに褒めあって信頼関係ができたところで、本題であるディールに入る。

以上が一般的な通常の流れであったとすると、習近平政権に成って、担当者が漢民族に成ると、初対面でほめてくる、お世辞を言ってくる相手に対して、露骨に警戒心を持つようになった。孔子の一番有名な警句「巧言令色少なきかな仁」というわけだ。相手担当者や中国の事を本当に詳しく知った上で、本心からほめてくるなら嬉しいが、初対面で私のことをよく知らないのに、何故あなたは私をほめることが出来るのだ。事実に基づかないほめ言葉を使うのは詐欺師の手法である以上、信用できない詐欺師相手に私はこれから交渉をまとめなくては成らないのか。と相手は嘆く。

信頼関係を築くための前振り段階で、大きくつまづくことになる。

漢民族は、初対面の段階で、お互いにとって利害関係の無いテーマで論争/debateを要求してくる。良い天気とは、晴れた日か、雨の日か。ペットを飼うなら犬と猫のどちらが良いか。漢民族ディベートを通じて、相手がどのような人間で、どのような論理を好むのかを判断する。こういう論理を展開する相手なら、交渉はこの論理展開が有効なはずだ。ディベートを通じて相手の論理的な思考能力や専門分野、その分野における知識の量や権限などを分析する。

日本は先進国で唯一義務教育にディベートを取り入れていない国で、日本の学校教育の最大級の欠点なのだが、まともにディベートを出来る人間が日本側にほとんどいない。自分の意見を言わずに相手に合わせろと教育されている。良い天気は、晴れた日か、雨の日か、と問われ、晴れの日と日本人側が答えたとき、「では私は雨の日です」と相手に言われると、日本人は「だったら私も雨の日が良い」と言い出す。「分かった。あなたが雨の日なら、私は晴れの日にしよう」と相手が言うと、「では私も晴れの日にします」と日本人は言い出す。相手と同じ意見、同じ立場に立って、仲間意識を高めた上で交渉に入りたい日本側と、いつまで経ってもディベートに成らないことに、いら立つ漢民族側で交渉は決裂する。日本の政治家で中国相手にまともにディベートできるのが石破茂ぐらいしかいない。

江沢民アメリカ大統領と会談したとき、喜びのあまり泣きながら大統領に抱きついて行った。諸外国に対してお世辞も言ったし謙遜もした。それと比べたときの漢民族の交渉スタイルは、それまでの中国と異なっていて、戸惑いはあっただろう。

トランプ大統領が自身の孫娘に中国語で中国の歌を歌わせ、その動画を全世界に向けて発信した。中国の習近平に対するプレゼントだしお世辞とも言える。普通ならそこで、習近平も自身か身内の者に英語でアメリカの歌を歌わせて、アメリカをたたえる動画を全世界に向けて発信すべきだった。アメリカからの歌のプレゼントに対して、お返しをしていないのは、礼儀を知らない人間に見えてしまう。全世界のメディアが注目する中で、西洋式の礼儀を知らない東洋人の姿をさらしてしまったと言える。

漢民族は高級官僚・上級公務員になるよう教育を受けている。彼らの教育の中では感情を表に出してはいけないことに成っている。裁判官はプレゼントをもらっても喜んではいけない。喜ぶとそれは賄賂を要求したことに成るので、嬉しいという感情を表に出してはいけない。裁判中、被害者や加害者が同情を誘うために、様々な物語を語り、演技をするが、同情や共感の感情を表に出してはいけない。裁判官の表情を見ながら、彼が好む物語を原告や被告が語り出し、裁判を誘導するのを防ぐため、裁判官は無表情でいなければいけない。

習近平の無表情・無感情が、悪意のある見方をすれば、嘘をついている、隠し事をしているように見えなくもない。漢民族ディベートを通じて相手を知り、交渉に至るように、アメリカ側が表情やジェスチャーを通じて中国側を知り、交渉に至ろうとする。ディベートに乗らない=隠し事をしている。のと同じように、ある種の無表情が交渉を難しくしているように見える。

 

 

 

 

 

M-1グランプリ2018の感想

*とろサーモン久保田とスーマラ武智の審査員批判
一つは、批判した側・された側含め、全員が毒舌芸なんです。概要リンク
二人一組でやる漫才の過激な毒舌で笑いを取る側=漫才台本を書く側と、
「およしなさい」byビートきよし
「そんなこと言ってはダメですよ」byナインティナイン矢部
「(批判された相方に向かって)ごめんなさい、後で、コイツ、ぶん殴っておきますんで。」by爆笑問題の田中
とフォロー=ツッコミを入れる側で言えば、今回のM-1の審査員席にも、あの飲み会の席にも毒舌芸=イジリ芸の人しかいなくて、イジられたゲストにフォローを入れる、謝罪芸・ヨイショ芸の相方がいなかった。じゃない方芸人と言われる相方の存在がいかに大事であるかが分かる騒動でした。

審査員批判をした側のフォローをすると、若さやルックスで勝負したいなら、アイドルやモデルや俳優で、芸能界を目指しているわけです。ルックスがイマイチでも、実力があれば勝てる世界だからお笑いをやっている。なのに、芸歴8年以下の若手芸人養成用の劇場(無限大ホールなど)では、若い女性の人気投票でランキングが動きます。

私も無限大ホールの一番下のランクの、無名の若手育成枠のショーを観に行って、客席の様子も見るのですが、人気投票というシステムに女性心理が加わると、ややこしいことになるのを知っています。ブサイクだけれども面白い芸人AさんのファンがAさんを観に行って、Aさんの登場でキャーキャー盛り上がって、でも投票になると、劇場に通う女性ファン同士のコミュニティがあって、他の女性ファンからブサイク好きと思われたくないから、ルックスの良い=笑いを一切取れないBさんに投票するという場面が多々あります。

「今回登場した中で、あなたの好きな芸人は誰ですか?」という質問の「好き」を、「恋愛対象」の意味でとらえて投票してしまうのです。少年ジャンプのアンケートで「一番面白かった漫画はどれですか?」という質問の「面白い」を「ギャグ漫画」の意味でとらえてしまう小学生と似たミスが、そこで発生します。

M-1で優勝したトレンディエンジェルも言ってますが、吉本の若手育成用の劇場だと、ブサイクはアンケートで勝てない。アンケートが「一番、笑ったのは誰ですか?」でなく、「あなたの恋愛対象となる芸人は誰ですか?」に成ってしまっているので、勝負のフィールドがお笑いでなくなっている。

ブサイクを自覚する芸人は、劇場では勝てないから、M-1などの賞レースに賭けるしかない。その賞レースで、女性審査員が「(若くてルックスの良い)ミキが好き」と言ったら「劇場と同じかい(怒!」となる。

ただ、今のご時世、権力の場を男性だけで独占すると、それ自体が批判の対象となるので、審査員に女性を入れておくことも重要です。毒舌芸で、女性や高齢者に対する侮蔑的な表現を使ったのは、今の時代のコンプライアンス的に良くなかったです。

*1544088048*二度売れなきゃいけない過酷さ
松本人志はかつて「関西芸人は、関西で売れて、そのあと東京でも売れなきゃいけない」と愚痴をこぼしました。関西で下っ端からスタートして、「4時ですよ~だ」で冠番組を持って、関西のお笑いで天下取ったのに、東京に進出したらまた下っ端からで、関西では考えられないような扱いを、東京のテレビではされた。

これは、東京で賞レースに出る若手芸人も同じなんですよ。お笑いに限らず、コンテストの本質は、主催団体の下働き募集です。賞金だ栄誉だと言いますが、受賞したら主催団体に入って、一番下っ端の新人として下働きをしなきゃいけない。

お笑いの賞レースで、決勝まで残るような人達は、若手育成用の劇場だと、ベテランの域に入る芸歴5年以上の人たちがほとんどで、劇場だと後輩からペコペコ頭を下げられて、偉くなっているし、舞台でも一番笑いを取っているし、後輩の悩み相談にも乗って解決をしてやっている劇場番長です。劇場で売れて、天下取って偉くなった芸人が、TVに出るための賞レースに出ると、優勝してTVに出られるようになったところで、TVの世界の一番下っ端からスタートで、どっきりでバケツの水かぶってリアクション要求されたり、司会者からイジられて、お笑いの対応力がない奴扱いされたりします。

R-1で優勝した三浦マイルドの天狗問題は、劇場番長が番長のままTV局に入ったら、TV局スタッフはじめ、出演者や裏方さん全員から、ほされたという話です。劇場で下っ端からスタートして、頑張って売れて、寄席やライブシーンではカリスマに成って、ちやほやされたのに、TVの世界に入ったら、また下っ端からスタートしなきゃいけない。偉くなった自分の意識を下方修正するのが追い付かない。

賞レースの審査員のコメントが素晴らしいなと思うのは最近のキングオブコントです。
松本人志・さま~ずの二人・バナナマンの2人の5名で、それぞれにコメントの役割分担が行き届いています。審査員の中で一番大御所の松本人志が、出演者に対して厳しいことを言います。TV局側の事情、TVの持つ制約やレギュレーション。耳の痛い嫌な話ですが、松本人志が言うなら仕方がない。

次にバナナマンの設楽が、つい先日まで一緒に舞台に出ていた優しい先輩役としてコメントを出します。君たちの気持ちは非常によく分かる。ワンマンライブでは2時間使ってネタをやって、伏線を何重にも張って、最後のオチに行くのに、TVだと持ち時間4分と言われ、伏線も張れないままオチを言わされて、変な感じになる。舞台での俺達の実力はこんなもんじゃないんだ。TVでは実力が100%発揮出来てないけど、ライブでの実力はこんなもんじゃないんだという気迫は伝わってくる。

さま~ずの二人は、プロの目線で、一緒に仕事をするとしたら、大会出場者のコンビと、さま~ずの二人、4人でどんなコントが出来るだろう?という話を始める。シュールで奇抜な設定が好きな松本人志と違って、日常の些細なあるあるネタを好むさま~ずが、どういう共演の仕方が良いのか、様々なアイデアを出してきます。

最後にバナナマンの日村が「いや~爆笑したよ、なにこれ?頭おかしいの?後ろの客席も、すげーウケてるし、見てて、すげー楽しかった」とプロ目線の分析一切なしで、素人丸出しの感想を言います。人をほめるのに「頭おかしい」とか放送禁止用語ギリギリを出す辺りは、TVのレギュレーションを知らない素人さんですか。始めはプロとしてちゃんと客観的に分析しろよと、怒っていた私も、TVの前の素直な視聴者として振舞う日村に、こういう審査員も必要かもなぁと、最後には好印象に変わりました。

5人それぞれ違う立場、違う観点で物を言っていて、トータルのバランスが取れています。

それと比べたときの「M-1 2018」の審査員コメントの偏り方。じゃない方芸人がいない。素人目線がいない。全審査員が演者で、若手漫才師をイジって笑いを取る大喜利になっています。他の審査員が、若手をけなして笑いを取ったら、自分はもっと上を行かなきゃいけなくなる。イジられている芸人、テレビでは無名の「見取り図」も劇場では、後輩から90度のお辞儀をされている大御所なんですよ。
*1544269633*復活後のM-1
M-1が一時期なくなって、THE MANZAIが後を継いだ時期がありましたが、その復活後のM-1の過酷さや、そもそも何目的の大会なのか?キャリア10年未満から15年未満に出場資格が変更されたことで、大会の目的が、あいまいに成ってしまったなど、以前と比べると出場者側の負担が大きい大会に成っています。


-新ネタを何本隠しておかなければいけないのか
M-1の一回戦は8月スタートで、本戦決勝が12月。約4カ月の戦いです。コント55号萩本欽一さんのコラムによると、TVに出てない寄席芸人は3カ月で1本のネタを完成させます。客前で新ネタを演じて、ウケた箇所、ウケなかった箇所をチェックし、台本を書き換えていくのに1カ月、台本が完成してネタを演じるのに慣れる、動きやテンポや間の微調整に1カ月、完成したネタが客前でウケにウケて、でも使いすぎることで、演者が徐々に飽きてきて、常連のお客さんにも飽きられるのが1カ月。

以前のM-1は番組上、決勝のネタと、ファイナルの2本目のネタ、2つネタを用意しなければいけなくて、8月9月ぐらいに完成したネタを、劇場やTVでは出さずに、別のネタをやって、3~4カ月隠した本ネタを、いきなりM-1にぶつけるのが、優勝するためのセオリーでした。ナイツが漫才で優勝できなかった理由の一つとして挙げられているのは、一番良いネタをM-1前にTVやCMスポットで流されまくったから、2番手3番手のネタをM-1でやらざるを得なかったからだとされています。

TVで散々披露した方の一番人気のネタをやったら優勝したかもという話もありますが、一般のお客さんは昨日見たネタと同じネタを見ても、笑いません。新ネタ、もしくはしばらく見ていなかったネタをぶつけた方が笑い声が大きい。

M-1が一度無くなって、復活後のM-1では、三回戦・準決勝に残った漫才師のネタが公式スポンサーのGYAO!で、ネット動画としてUPされます。数カ月に渡って、みんなが無料で見れる形で公開されます。これは三回戦・準決勝で落ちる無名の若手にとってはチャンスでありがたいことですが、決勝まで上がる出演者にとっては過酷です。和牛がM-1で毎回ネタを変えることで有名ですが、本戦の2本のネタと別に、三回戦・準決勝のネタを2本別に用意しないと、厳しいです。

TVで放送されるM-1決勝で、ネットに上がっている三回戦・準決勝のネタと同じネタをやると、お客さんが笑ってくれない。もっと言えば、準決勝で敗退して、敗者復活でネタをやると、敗者復活戦も放送されるので、合計5本の新ネタをM-1用に持っておかなくてはいけない。

M-1復帰一回目の第11回大会だと、皆さん4~5本のネタを用意して、三回戦・準決勝・本戦・ファイナル、全部ネタを変えていましたが、回を重ねて毎年出るコンビが固定してくると、ネタのストックが無くなって、苦しくなってきます。今回の14回大会だと初出場の3組が、三回戦・準決勝・本戦、3本とも同じネタだったり、ジャルジャルのファイナルでやったネタが昔のネタだったり、M-1常連組の新ネタも、M-1的には新ネタですが、TVで散々やったネタのマイナーチェンジだったりして、漫才開始10秒で客席にネタがバレて、笑いが生まれにくくなる現象が、発生していたと思います。

-誰のための大会なのか
M-1が第十回大会で終わって、THE MANZAIが5大会あった後に、復活しますが、そのとき出場資格がキャリア10年未満から15年未満に延長されます。M-1が無かった5年間に活躍した漫才師にもチャンスを与える配慮と、THE MANZAIに出場している人気漫才師をこちらへ呼び戻すための配慮ですが、これが大会の目的をぼやかしています。

関西ローカルのお笑いコンテストが、NHK+民放四局の関西支部在阪キー局)で合計5本あります。
NHK上方漫才コンテスト上方漫才大賞フジサンケイグループ系列関西テレビ)、ABCお笑いグランプリ(テレビ朝日系列)、ytv漫才新人賞(読売放送系列)、漫才アワード毎日放送系列)。
どれも多かれ少なかれ吉本興行と提携した大会ですが、キャリア1~5年目ぐらいの若手が、出場して優勝し、これをきっかけに関西ローカルのTV番組に出て、スターに成っていきます。吉本のお笑いスクールNSCに入って、劇場に出て、関西の賞レースで受賞して、関西のTVに出る。関西における芸人のルートが出来ています。

在阪キー局と吉本が主催する、関西ローカルの賞レースでは、賞の目的がはっきりしています。劇場で人気があって、かつテレビでは無名の新人を発掘してTVに出すのが目的です。かつてのM-1、芸歴10年未満に出場資格があった大会でも目的は明確でした。関西含む地方のTV局では有名でも、東京の全国ネットでは無名の芸人を発掘して、全国ネットのTVに出すのが目的です。ブラックマヨネーズが典型ですが、関西で冠番組を持つ芸人が東京進出する上での看板がM-1だったわけです。この地点で、地方で冠番組を持っていない、東京の劇場叩き上げ組では、経験不足で勝てない大会にM-1は成ってました。

復活後のM-1出場資格がキャリア15年未満に拡大されたことで、TVで既に有名な人たちが出るようになって、TVで無名の人達が勝てる大会で無くなり、発掘目的が薄れ、2017年とろサーモンの優勝によって、一度天下を取った芸人が、天狗に成り、干され、挫折し、謙虚に成って、復活する、消えた中堅芸人の再起を見せる大会に成っていった。GYAO!の煽りVTRもラストイヤー芸人の特集が組まれ、無名の若手の発掘から離れていった。これが良いのか悪いのか。M-1大反省会でトムブラウンが言った「バース・デイに出たい」「それ、ケガで戦力外通告されたスポーツ選手が出る番組や!」は、象徴的です。

キャリア15年未満の出場資格になることで、既にTVで有名でレギュラー番組を何本も持っている人が、毎日ネタ番組に出ながら、M-1用の新ネタも年に5本用意しなきゃいけないと成ったときの、動機や目的が分からなくなっています。

M-1グランプリ2018の感想

*1544085590*とろサーモン久保田とスーマラ武智の審査員批判
一つは、批判した側・された側含め、全員が毒舌芸なんです。概要リンク
二人一組でやる漫才の過激な毒舌で笑いを取る側=漫才台本を書く側と、
「およしなさい」byビートきよし
「そんなこと言ってはダメですよ」byナインティナイン矢部
「(批判された相方に向かって)ごめんなさい、後で、コイツ、ぶん殴っておきますんで。」by爆笑問題の田中
とフォロー=ツッコミを入れる側で言えば、今回のM-1の審査員席にも、あの飲み会の席にも毒舌芸=イジリ芸の人しかいなくて、イジられたゲストにフォローを入れる、謝罪芸・ヨイショ芸の相方がいなかった。じゃない方芸人と言われる相方の存在がいかに大事であるかが分かる騒動でした。

審査員批判をした側のフォローをすると、若さやルックスで勝負したいなら、アイドルやモデルや俳優で、芸能界を目指しているわけです。ルックスがイマイチでも、実力があれば勝てる世界だからお笑いをやっている。なのに、芸歴8年以下の若手芸人養成用の劇場(無限大ホールなど)では、若い女性の人気投票でランキングが動きます。

私も無限大ホールの一番下のランクの、無名の若手育成枠のショーを観に行って、客席の様子も見るのですが、人気投票というシステムに女性心理が加わると、ややこしいことになるのを知っています。ブサイクだけれども面白い芸人AさんのファンがAさんを観に行って、Aさんの登場でキャーキャー盛り上がって、でも投票になると、劇場に通う女性ファン同士のコミュニティがあって、他の女性ファンからブサイク好きと思われたくないから、ルックスの良い=笑いを一切取れないBさんに投票するという場面が多々あります。

「今回登場した中で、あなたの好きな芸人は誰ですか?」という質問の「好き」を、「恋愛対象」の意味でとらえて投票してしまうのです。少年ジャンプのアンケートで「一番面白かった漫画はどれですか?」という質問の「面白い」を「ギャグ漫画」の意味でとらえてしまう小学生と似たミスが、そこで発生します。

M-1で優勝したトレンディエンジェルも言ってますが、吉本の若手育成用の劇場だと、ブサイクはアンケートで勝てない。アンケートが「一番、笑ったのは誰ですか?」でなく、「あなたの恋愛対象となる芸人は誰ですか?」に成ってしまっているので、勝負のフィールドがお笑いでなくなっている。

ブサイクを自覚する芸人は、劇場では勝てないから、M-1などの賞レースに賭けるしかない。その賞レースで、女性審査員が「(若くてルックスの良い)ミキが好き」と言ったら「劇場と同じかい(怒!」となる。

ただ、今のご時世、権力の場を男性だけで独占すると、それ自体が批判の対象となるので、審査員に女性を入れておくことも重要です。毒舌芸で、女性や高齢者に対する侮蔑的な表現を使ったのは、今の時代のコンプライアンス的に良くなかったです。

*1544088048*二度売れなきゃいけない過酷さ
松本人志はかつて「関西芸人は、関西で売れて、そのあと東京でも売れなきゃいけない」と愚痴をこぼしました。関西で下っ端からスタートして、「4時ですよ~だ」で冠番組を持って、関西のお笑いで天下取ったのに、東京に進出したらまた下っ端からで、関西では考えられないような扱いを、東京のテレビではされた。

これは、東京で賞レースに出る若手芸人も同じなんですよ。お笑いに限らず、コンテストの本質は、主催団体の下働き募集です。賞金だ栄誉だと言いますが、受賞したら主催団体に入って、一番下っ端の新人として下働きをしなきゃいけない。

お笑いの賞レースで、決勝まで残るような人達は、若手育成用の劇場だと、ベテランの域に入る芸歴5年以上の人たちがほとんどで、劇場だと後輩からペコペコ頭を下げられて、偉くなっているし、舞台でも一番笑いを取っているし、後輩の悩み相談にも乗って解決をしてやっている劇場番長です。劇場で売れて、天下取って偉くなった芸人が、TVに出るための賞レースに出ると、優勝してTVに出られるようになったところで、TVの世界の一番下っ端からスタートで、どっきりでバケツの水かぶってリアクション要求されたり、司会者からイジられて、お笑いの対応力がない奴扱いされたりします。

R-1で優勝した三浦マイルドの天狗問題は、劇場番長が番長のままTV局に入ったら、TV局スタッフはじめ、出演者や裏方さん全員から、ほされたという話です。劇場で下っ端からスタートして、頑張って売れて、寄席やライブシーンではカリスマに成って、ちやほやされたのに、TVの世界に入ったら、また下っ端からスタートしなきゃいけない。偉くなった自分の意識を下方修正するのが追い付かない。

賞レースの審査員のコメントが素晴らしいなと思うのは最近のキングオブコントです。
松本人志・さま~ずの二人・バナナマンの2人の5名で、それぞれにコメントの役割分担が行き届いています。審査員の中で一番大御所の松本人志が、出演者に対して厳しいことを言います。TV局側の事情、TVの持つ制約やレギュレーション。耳の痛い嫌な話ですが、松本人志が言うなら仕方がない。

次にバナナマンの設楽が、つい先日まで一緒に舞台に出ていた優しい先輩役としてコメントを出します。君たちの気持ちは非常によく分かる。ワンマンライブでは2時間使ってネタをやって、伏線を何重にも張って、最後のオチに行くのに、TVだと持ち時間4分と言われ、伏線も張れないままオチを言わされて、変な感じになる。舞台での俺達の実力はこんなもんじゃないんだ。TVでは実力が100%発揮出来てないけど、ライブでの実力はこんなもんじゃないんだという気迫は伝わってくる。

さま~ずの二人は、プロの目線で、一緒に仕事をするとしたら、大会出場者のコンビと、さま~ずの二人、4人でどんなコントが出来るだろう?という話を始める。シュールで奇抜な設定が好きな松本人志と違って、日常の些細なあるあるネタを好むさま~ずが、どういう共演の仕方が良いのか、様々なアイデアを出してきます。

最後にバナナマンの日村が「いや~爆笑したよ、なにこれ?頭おかしいの?後ろの客席も、すげーウケてるし、見てて、すげー楽しかった」とプロ目線の分析一切なしで、素人丸出しの感想を言います。人をほめるのに「頭おかしい」とか放送禁止用語ギリギリを出す辺りは、TVのレギュレーションを知らない素人さんですか。始めはプロとしてちゃんと客観的に分析しろよと、怒っていた私も、TVの前の素直な視聴者として振舞う日村に、こういう審査員も必要かもなぁと、最後には好印象に変わりました。

5人それぞれ違う立場、違う観点で物を言っていて、トータルのバランスが取れています。

それと比べたときの「M-1 2018」の審査員コメントの偏り方。じゃない方芸人がいない。素人目線がいない。全審査員が演者で、若手漫才師をイジって笑いを取る大喜利になっています。他の審査員が、若手をけなして笑いを取ったら、自分はもっと上を行かなきゃいけなくなる。イジられている芸人、テレビでは無名の「見取り図」も劇場では、後輩から90度のお辞儀をされている大御所なんですよ。
*1544269633*復活後のM-1
M-1が一時期なくなって、THE MANZAIが後を継いだ時期がありましたが、その復活後のM-1の過酷さや、そもそも何目的の大会なのか?キャリア10年未満から15年未満に出場資格が変更されたことで、大会の目的が、あいまいに成ってしまったなど、以前と比べると出場者側の負担が大きい大会に成っています。


-新ネタを何本隠しておかなければいけないのか
M-1の一回戦は8月スタートで、本戦決勝が12月。約4カ月の戦いです。コント55号萩本欽一さんのコラムによると、TVに出てない寄席芸人は3カ月で1本のネタを完成させます。客前で新ネタを演じて、ウケた箇所、ウケなかった箇所をチェックし、台本を書き換えていくのに1カ月、台本が完成してネタを演じるのに慣れる、動きやテンポや間の微調整に1カ月、完成したネタが客前でウケにウケて、でも使いすぎることで、演者が徐々に飽きてきて、常連のお客さんにも飽きられるのが1カ月。

以前のM-1は番組上、決勝のネタと、ファイナルの2本目のネタ、2つネタを用意しなければいけなくて、8月9月ぐらいに完成したネタを、劇場やTVでは出さずに、別のネタをやって、3~4カ月隠した本ネタを、いきなりM-1にぶつけるのが、優勝するためのセオリーでした。ナイツが漫才で優勝できなかった理由の一つとして挙げられているのは、一番良いネタをM-1前にTVやCMスポットで流されまくったから、2番手3番手のネタをM-1でやらざるを得なかったからだとされています。

TVで散々披露した方の一番人気のネタをやったら優勝したかもという話もありますが、一般のお客さんは昨日見たネタと同じネタを見ても、笑いません。新ネタ、もしくはしばらく見ていなかったネタをぶつけた方が笑い声が大きい。

M-1が一度無くなって、復活後のM-1では、三回戦・準決勝に残った漫才師のネタが公式スポンサーのGYAO!で、ネット動画としてUPされます。数カ月に渡って、みんなが無料で見れる形で公開されます。これは三回戦・準決勝で落ちる無名の若手にとってはチャンスでありがたいことですが、決勝まで上がる出演者にとっては過酷です。和牛がM-1で毎回ネタを変えることで有名ですが、本戦の2本のネタと別に、三回戦・準決勝のネタを2本別に用意しないと、厳しいです。

TVで放送されるM-1決勝で、ネットに上がっている三回戦・準決勝のネタと同じネタをやると、お客さんが笑ってくれない。もっと言えば、準決勝で敗退して、敗者復活でネタをやると、敗者復活戦も放送されるので、合計5本の新ネタをM-1用に持っておかなくてはいけない。

M-1復帰一回目の第11回大会だと、皆さん4~5本のネタを用意して、三回戦・準決勝・本戦・ファイナル、全部ネタを変えていましたが、回を重ねて毎年出るコンビが固定してくると、ネタのストックが無くなって、苦しくなってきます。今回の14回大会だと初出場の3組が、三回戦・準決勝・本戦、3本とも同じネタだったり、ジャルジャルのファイナルでやったネタが昔のネタだったり、M-1常連組の新ネタも、M-1的には新ネタですが、TVで散々やったネタのマイナーチェンジだったりして、漫才開始10秒で客席にネタがバレて、笑いが生まれにくくなる現象が、発生していたと思います。

-誰のための大会なのか
M-1が第十回大会で終わって、THE MANZAIが5大会あった後に、復活しますが、そのとき出場資格がキャリア10年未満から15年未満に延長されます。M-1が無かった5年間に活躍した漫才師にもチャンスを与える配慮と、THE MANZAIに出場している人気漫才師をこちらへ呼び戻すための配慮ですが、これが大会の目的をぼやかしています。

関西ローカルのお笑いコンテストが、NHK+民放四局の関西支部在阪キー局)で合計5本あります。
NHK上方漫才コンテスト上方漫才大賞フジサンケイグループ系列関西テレビ)、ABCお笑いグランプリ(テレビ朝日系列)、ytv漫才新人賞(読売放送系列)、漫才アワード毎日放送系列)。
どれも多かれ少なかれ吉本興行と提携した大会ですが、キャリア1~5年目ぐらいの若手が、出場して優勝し、これをきっかけに関西ローカルのTV番組に出て、スターに成っていきます。吉本のお笑いスクールNSCに入って、劇場に出て、関西の賞レースで受賞して、関西のTVに出る。関西における芸人のルートが出来ています。

在阪キー局と吉本が主催する、関西ローカルの賞レースでは、賞の目的がはっきりしています。劇場で人気があって、かつテレビでは無名の新人を発掘してTVに出すのが目的です。かつてのM-1、芸歴10年未満に出場資格があった大会でも目的は明確でした。関西含む地方のTV局では有名でも、東京の全国ネットでは無名の芸人を発掘して、全国ネットのTVに出すのが目的です。ブラックマヨネーズが典型ですが、関西で冠番組を持つ芸人が東京進出する上での看板がM-1だったわけです。この地点で、地方で冠番組を持っていない、東京の劇場叩き上げ組では、経験不足で勝てない大会にM-1は成ってました。

復活後のM-1出場資格がキャリア15年未満に拡大されたことで、TVで既に有名な人たちが出るようになって、TVで無名の人達が勝てる大会で無くなり、発掘目的が薄れ、2017年とろサーモンの優勝によって、一度天下を取った芸人が、天狗に成り、干され、挫折し、謙虚に成って、復活する、消えた中堅芸人の再起を見せる大会に成っていった。GYAO!の煽りVTRもラストイヤー芸人の特集が組まれ、無名の若手の発掘から離れていった。これが良いのか悪いのか。M-1大反省会でトムブラウンが言った「バース・デイに出たい」「それ、ケガで戦力外通告されたスポーツ選手が出る番組や!」は、象徴的です。

キャリア15年未満の出場資格になることで、既にTVで有名でレギュラー番組を何本も持っている人が、毎日ネタ番組に出ながら、M-1用の新ネタも年に5本用意しなきゃいけないと成ったときの、動機や目的が分からなくなっています。

就職活動は3年からか4年からか

就職活動が始まる時期はいつからなのか。就職協定では6月からとされているが強制力はない。
「面接時に大学名を伏せて面接する企業であれば、三流大学からでも一流企業に入社できるのではないか」と就職スレッドに書かれていて、頭悪いなと思った。


有名企業の求人一人に対して、何万人のエントリーシートが来る。競争率何万倍だ。それを企業は学歴フィルターで処理をする。通常、有名企業の場合、MARCHまでエントリー可能で、日東駒専から落ちる。仮に一人面接するのに5分掛かったとして、1時間に12名しか面接できない。一日に100名面接できれば良い方だ。何万人のエントリーが来たところで、書類で百分の一に絞らなければいけないとなると、取りあえず、その辺で絞ることになる。


一流大学の人間は大学三年で就職活動が始まる。優秀な学生は、5〜6社の一流企業から内定を取る。当然、その中から行けるのは一社のみだ。残りの4〜5社は内定辞退する。企業的には、辞退された分の採用枠が空くから、そこで初めて日東駒専ランクの学生からエントリーを受け付ける。それが終わると、次は大東亜帝国ランクの就活が始まる。


MARCH以上レベルの大学は大学3年から就職活動が始まるが、日東駒専は大学4年からスタートで、大東亜帝国は夏休み明けから就活が始まる。大学のランクごとに、就活の時期が違うので、面接時に大学名を聞く聞かないは問題にならない。MARCHレベルの中の、どの大学かでしかない。大東亜帝国レベルの学生は内定を5〜6社から取ることもないし、内定辞退をすることも少ない。無名企業の内定を5〜6社から取っても自慢できないのだ。だったら最初の1〜2社決まった地点で、就活を辞める。