ニューアカデミズム=ニューサイエンス

ニューアカとは何か?を語る上で、宝島系の雑誌記事だったと思うが面白い解説があったので紹介してみたい。

 

学術的には、構造主義ポスト構造主義などのポストモダニズムの日本版がニューアカデミズムになる。

 

それとは異なる解釈で書かれていた話で。1970年代に出版業界の印刷術が活版印刷から写植印刷に変わった。それに伴って、写真やイラストなどのグラフィックを中心としたグラフ誌の登場が期待され、科学雑誌においてもニュートンやウータンなどの写真雑誌が登場し、ニューサイエンスと呼ばれた。それの人文科学版がニューアカデミズムだ。

 

「構造と力」の巻末に付いているプレモダン/モダン/ポストモダンを示す様々な図像、90年代にアンチからバッシングされまくった「クラインの壺」の図や別冊宝島の「わかりたいあなたのための現代思想・入門」に出てくる様々な図像、同時代の吉本隆明の「マス・イメージ論」「ハイ・イメージ論」に出てくる図像、「イラスト西洋哲学史」といったそのままな本まであって、図像から哲学に興味を持った自分としては、哲学の抽象的概念を図像化したのがニューアカデミズムだというのは、腑に落ちる部分がある。

 

ちなみに、いま「ニューサイエンス」を英語と日本語で検索したが、意図したようなニュアンスの語は出てこなかった。

 

科学者が専門家向けに書く学術論文や学術誌ではなく、一般素人に向けた科学雑誌の場合、サイエンス・ライターが文章を書く。難しい理屈抜きに分かりやすく面白く読ませるために、話を単純化したり、多少の嘘や誇張が混じることもある。

 

人文科学版のサイエンス・ライターがニューアカだったと言っても、それほど間違ってないように思う。「構造と力」にしてもチャート式をうたっていて、未邦訳の海外の思想書を短く分かりやすくまとめて紹介するという形式に成っていて、専門家に向けたオリジナルの学術論文という建前には成っていない。その「構造と力」さえも、中学生高校生が読むには難しいので竹田青嗣などが、「構造と力」を読むための解説書を書くといった何段階もの書き換えや解説が積み重なっていく。

 

でんじろう先生のサイエンスショーやGENKI LABOの人達は、査読の入った学術論文を年間何本書いているのか?みたいに言えば、狭い意味での科学者やエンジニアでは無いと思うが、一般の人たちに科学の面白さを伝えるという意味で、良い仕事をしていると思うし、人文知の最先端を面白おかしく世間に伝えたニューアカは意味のあるムーブメントであったと思う。