マイノリティがマジョリティに抱くヘイト

日本のポエトリー・リーディングを見てきた中で、それがオルガン学派(竹田青嗣小阪修平)と地続きだということに気付いた。

ポエトリーも小阪修平もベースは、マイノリティ(少数派)側からのマジョリティ(多数派)に対するヘイト(憎悪)から来ていて、在日韓国人とかヨーロッパの移民とか、祖国が戦争に巻き込まれて、戦火を逃れて他国へ移住した移民にとって、言葉も文化も異なる外国で暮らしていくのは楽では無くて、自分達の言語や文化を強制してくる多数派に対する憎しみは、一定数ある。

フランスのポエトリーとかは、国が移民同化政策で、外国人に税金でフランス語を教えて、その一環で、外国人が詩集を出したり、スピーチしたりする場を作って、フランス語でスピーチする外国人のコンテストで賞を与えたりします。そのスピーチの多くはフランスに対するヘイトで、大目に見ても、フランスに対する外国人目線の要望であって、「トルコ語が通じないからフランスは不便だ」とか言っているわけです。

フランス人からすれば「何故、俺達の税金がフランスに対する悪口コンテストに使われているんだ(怒!」となるわけで、それは反日教育をしている日本国内の韓国人学校に日本の税金を入れるのはオカシイとかいうのと似ていて、母国の人間と移民との間で、ゼロサムゲームをすれば、どっちかが権利を得れば、もう片方は権利を失うわけで、全員が得する落し所は中々見つからない。

ヘーゲルは全員が納得する大文字の正義、グローバルスタンダードとか国際標準、世界標準の正義にたどり着けるとしたのだけれども、実存主義キルケゴールは、すべての人間は他の誰でもない単独者であり、マイノリティだとヘーゲルを批判した訳です。

小阪修平は、人種や国籍に関係なく、全人類が仲良く手をつなげる世界を夢見ながら、同時に、それが不可能に近いこともよく分かっていて、ヘーゲルキルケゴールの両面を抱えて絶望する姿は学術的でも論理的でもなく、感傷的で詩的だったように思う。

芸人の小虎主催漫才ライブ「御礼参り 其の弐」感想

  1. 会場の問題

全体を通しての印象は、ゲスト含め、大声を出している所しかウケない。小声でどんなに面白いことを言ってもウケない。 会場が渋谷Loft Heavenというライブハウスなので、アンプで増幅された音が外に漏れないように 壁全体が吸音材になっていて、客席の笑い声が全部壁に吸収されて、 ずっと薄っすら滑っている空気に成る。ソニーBeachVと同じ環境です。

ソニーのビーチブから出てきた芸人は、ハリウッドザコシショウ、バイきんぐ、錦鯉という大声系か 逆にサイレント映画でも通用するアキラ100% お笑いのネタを試す、研ぐ、作る環境としては最悪です。

 

中野TWLのような演劇系の会場の方が、客席の笑い声が壁に反響して、他の客の笑い声でつられて笑うお客さんも生まれて、笑い声が増幅し、自信がないネタを試しても、それなりにウケて一軍入りしたりするのですが。ライブハウスだと、大声じゃないとウケない、逆に大声ならウケる。結果、大声大会と発声練習にしか成らず、ネタの選別や研鑽に向かないライブに成ります。

 

小虎が月一ライブを主催してM-1を目指すというのは 2019年ミルクボーイの「漫才ブーム」ツアーをイメージしているはずなのですが、 だとすると会場選びを根本的に間違えている。逆にこの会場で勝負するなら、もっと大声出すか アキラ100%ウエスPのようなサイレントで戦える芸風に成るか。 トークの内容で笑い取るのは、この会場では無理。

  1. キャラ付けシステム付け

M-1で優勝するために月一ライブでネタを試す前提だと、システムもキャラクターも無い、 ノーマルな漫才をやっている地点で違うなと。 色んなシステム、色んなキャラクターを試して取捨選択していくなら分かるけど。 小虎のネタ動画だと「キャンプ」で、りょうくんの体の動きや声のトーンがウケてて あの動きと声のトーンだけで、客前で受けた数秒ネタだけをつないで ネタ2本作れたらThe MANZAI2011のHi-Hi的なポジションでM-1決勝行けるはず。

 

「顔」というネタでNSC大阪35期「もも」的なことをやって、お互いのキャラを探っていたけど もっとちゃんとキャラを立たせたら、ウケるはず。 兼近さんは黒髪から脱色して金髪に成って、チャラ男漫才して、 髪をピンクにして大ブレイクしたわけで。 りょうさんだと、舞台に出てくるときと、はけるときに、 ペンギンみたいに両手を上下にバタバタさせて歩くだけで、カワイイキャラで行けると思うんだよな。 イスから立ち上がるときに、両手を上下にバタバタさせて立ち上がるだけで、カワイイになるはず。

 

ツカミのドラマネタから入るシステムも、TV出る前提だと、その局のドラマしか言っちゃダメで M-1テレビ朝日で「六本木クラス」なのに、 りょうさんは毎日放送系列のMBSユニコーンに乗って」なのが 放送禁止用語を使ってネタ作るのと同じぐらいズレている。

  1. ツッコミ&台本書きが常識を知らない

ネタを書いていて、ツッコミ=常識側をやっているりょうさんが、あまり常識を知らない。 ボケに常識を押し付ける役の、りょうさんの言う常識が、 ズレているからネタとして成立してないパターンがある。

 

ネットに上がっているネタだと「キャバ嬢に成りたい」や「子育て」が分かりやすい。

「キャバ嬢に成りたい」の開始1分5秒の「オジサンがキャバ嬢をやっちゃダメか?オジサンがキャバ嬢をやっているオカマバーは普通にあるし マツコ・デラックスさんもそういうバー出身だし、新宿二丁目はオカマバーの聖地だし 東京吉本本社がある新宿ゴールデン街(歌舞伎町一丁目)も、そういう文化(LGBT)に寛容な街だと思うし 世の中の流れが、LGBTを差別してはいけない風潮に成っている中、 「オジサンはキャバ嬢をやっちゃダメだ」をTVなどの公の場で発言すると、時代的に 「同性愛者や性同一障碍者に対する差別」として糾弾される内容かと感じます。

「子育て」の開始3分19秒

「お前に子育て任せたら変な子に成っちゃったよ」 小虎チャンネルを見ると、りょうさんはアニメオタクなわけです。 小虎チャンネルを見ている小虎ファンが、この漫才を見たときに アニメオタクのりょうさんが、アニメオタク(の子ども)を批判すると キャラがブレているように見えて、ネタが嘘っぽく見えて共感しにくく成ります 台本を書くりょうさんが、自分の得意なジャンル(アニメ)をテーマに漫才やって 自分の主張を福井さんに言わせて、自分が常識側に立って、アニメオタクを批判すると キャラがブレます。 ネタを書く側は、自分の主張は自分で言って、福井さんには福井さんが言いそうなセリフを 当て書きしなきゃいけない。競馬マニアの福井さんに競馬を語らせて、りょうさんは 競馬マニアにツッコむとかじゃないとリアリティが出ない。3:25 女房は止めろ 何故、女房という言い方がダメなのかもよく分からない。 終わり方(落語でいうサゲやオチ)は、つかみと同じぐらい大事なはずなのに、 客から見て腑に落ちない終わり方だと、他がどんなにウケてても賞レースで弱くなります。

今回のネタだとアイスのネタで、先輩の家の引っ越しの手伝いをしていて、 夏で暑かったから先輩が「アイスおごってやるよ」と言ってくれて みんなはガリガリ君とかすぐ食えるアイスを注文したけど、 福井さんはスーパーカップという食うのに時間の掛かるアイスを注文して、 短時間で食って引越しの手伝いに戻らなきゃいけないのに、非常識だというネタなのですが スーパーカップは語感だけなら食うのに時間が掛かりそうだが、実際のアイスは ガリガリ君と大して変わらない時間で食える。

 

久保田食品の「おっぱいアイス」だと食うのに時間が掛かりますし レディボーデンのデカい奴とか、ローソンのフローズンパーティとか もっと食うのに時間の掛かるアイスはあって フローズンパーティは、アイスだけどレンジでチンして、 熱でマックシェイクみたいに溶けたアイスをストローで飲むのですが、 ローソンでチンし忘れて、家にレンジが無い場合、 カチコチに凍ったアイスで、金属製スプーンを差し込もうとしても、 氷がガチガチでスプーンが入らない。

御礼参り其の二の他のネタだと、「バイト先のマドンナ」も、そんな古い言い回し使わないだろう。 テレビ普及前の、アイドル映画全盛期の「若大将シリーズ」時代の言い回しじゃん。

男はつらいよシリーズのマドンナ役」とかでしか使わない。 今回のライブで実際にあった変なツッコミで言えば

りょう:好みの女性のタイプ誰だよ

福井:井上真央

りょう:そんな奴いねぇよ!井上真央のこと好きな奴なんて居ない!

百歩譲ってベッキーとか福原愛とかゴシップがあれば、まあ、そうかなとも思うが ゴシップも私が検索した限り見当たらず。普通に美人女優じゃん。

 

26歳の小虎りょうさんからすれば、既婚で35歳の9歳年上はおばさんかも知れないが 吉本のなんばグランド花月は5歳から60歳70歳のお客さんまで 全年齢に対応しなきゃいけないわけで、 5歳児からすれば、知らない女優の名前出されても困るだろうし 70歳のおじいさんからすれば、同世代の人気アイドルはキャンディーズ伊藤蘭(67歳)が 今も現役アイドルとして歌手活動していて応援しているわけで タモリさんはいまだに吉永小百合(77歳)が好きなわけで、 いまでも吉永小百合はCMにいっぱい出ているわけで。

小虎の福井さん(32歳)が井上真央(35歳)好きなのが、そんなに変か?

井上真央に親でも殺されたか?

 

りょう:井上真央のこと好きな奴なんて居ない!

これ、ニューヨーク屋敷さんの偏見ネタ、ラファエルの偏見あるあるの延長として見ると 面白いと言えば、面白い。

何の根拠も無く、「井上真央のこと、好きな奴なんて居ない!」と 断言する異常者という役回り。 でも、屋敷さんの偏見ネタは 「港区で毎晩飲んでいる女、その金、どこから出とんねん!」 とかで、芸能人の固有名詞を主語にしないし、TVに出ていく上で不利には成らない。

「OLで月の手取りが16万で、ゴルフ場で2万円のコース回って、ナイトラウンジでナイトプール行って、週末はグアムでインスタ撮って、50万円のバッグ持っているんだ。その金どこから出とんねん!」 と、一応、理屈は通っている。

 

あだ名時代の有吉にしても、実力の割にチヤホヤされている旬の人に行くわけで 何故、旬でもない井上真央という、理不尽さが、ラファエルっぽい。

 

まあ、普通に考えると、フリートークで、ツッコミのりょうさんが

好みの女性のタイプをボケの福井さんに聞いて、

絶対にボケて変な事を言ってくれると期待した上で

「そんな奴いねぇよ」というツッコミを事前に決めていて

井上真央」と言われたけど、誰か分からないまま

井上真央を好きな奴なんかいない!」と

断言した感じかなぁ

 

策士のりょうさんとしては「シン・りょう」「24の逆襲」に 井上真央を呼ぼうとしている?

 

オープニングでポイズンガールバンドM-1でやったネタに触れたとき

 
福井:いつの話だよ
りょう:たぶん、2005年頃(正確にはM-1行ったのは2004年と2006年)
福井:絶対見てないだろ!当時何歳だよ!17年前って、俺でも15歳だよ! お前、9歳じゃねぇか!
 
オープニングトークなので、台本有りなのか、フリートークなのか分かりませんが りょうさんが台本書いているのか、福井さんのフリートークなのか
どっちにしろ、「17年前のネタをおぼえているのがおかしい」というツッコミも おかしくて、りょうさんは大学で演劇を勉強してきたわけで、当然、古代ギリシャ悲劇のオデュッセウスとか、シェークスピアチェーホフ寺山修司とか 一通りは演劇の歴史を勉強して、それなりには戯曲も読んでいると思います。
 
17年も前のM-1リアルタイムで見てないじゃん!というツッコミはおかしくて 芸人なら後追いでもDVDで一通り勉強するでしょう。 なんか全体的にツッコミがズレてて、ボケがズレていないという。
 
アイスのスーパーカップで進んだネタが、 インスタントラーメンのスーパーカップで伏線回収して終わるという そのままじゃないかと。予想外の驚きが無い。
 
「バイト先のマドンナ」にしても、そのままな伏線回収なのですが
小虎として初の伏線回収ネタを作ってみたのかもな。

一帯一路VSシルクロード鉄道 2

中国の長江より南に位置する南部の広東語圏の自由主義経済を好む人たち、孔子よりも老子を好む人たち、明確な集団であったり、名称があったりするのか、どうかもあやしいが、シルクロード鉄道派とでも呼んだ時に。彼らが出してきたコラムで印象的な物が二つほどある。

 

一つは日本人は小日本と言われても怒らないという話。もう一つはシルクロード鉄道を説明するときに、ヨーロッパに向けてはマルコポーロという言葉を使うが、日本に向けてはマルコポーロという単語は使わずに説明をするという話。(以下、要約)

 

日本では1970年代ぐらいまで重厚長大な鉄鋼・造船産業が盛んであったが、1980年代辺りから、軽薄短小な、小さな精密機器が花形産業となり、ウォークマンや携帯電話でも、世界最小・最軽量が売りとなり、小さい=小型化に成功している=高性能という意味に成った。アメリカのマイクロソフト社の社名を見ても、マイクロ=小さいことが高性能を意味している。

 

中国人が日本人を馬鹿にするとき、小日本という言葉を使う。中国語において小は、小さい以外に倫理的に劣った小悪党の意味があり、大/bigという語には、大きい/large size以外に、倫理的に優れた、偉大な/greatという意味がある。小日本とののしっても、日本人は怒らない。むしろ自ら「小日本」と名乗り、微笑んでくる。日本人はそれほど心が広いのだ。(要約終わり)

 

という趣旨のコラムというか笑い話だ。おそらく、この話の元ネタは、中国人が日本に来て電車に乗ろうと切符の自販機に向かったとき、大人/小人で料金が違い、小人=悪人は運賃が安いのかと、驚く話だろう。

 

中国主導で、ユーラシア大陸を横断するシルクロード鉄道を作るときに、ロシアから中国を経て、中東、ヨーロッパ、イギリスまで続く鉄道をつなぐのに各国の同意や協力が必要になる。ヨーロッパではマルコポーロという語がポジティブなので、鉄道の説明に多用した方が良いが、日本ではマルコポーロはネガティブなニュアンスがあるので使わない方が良い。

 

日本人である私は、そこまで読んで、マルコポーロにネガティブなニュアンスが日本において存在するのか疑問に思う。

 

日本には2000年代にマルコポーロという雑誌があって、第二次世界大戦時の軍国主義時代の日本政府を正当化し称賛する雑誌だったのだが、第二次世界大戦時に同盟国であったナチスドイツを称賛し、「アウシュビッツは無かった」という記事を出したことで問題となり廃刊に追い込まれた雑誌がある。

 

日本人である自分としては、そのコラムを読むまで、マルコポーロという雑誌があったことを忘れていたが、マルコポーロと言われて、ヨーロッパ人の名前でなく、雑誌名を連想する人がゼロではない以上、ネガティブなニュアンスがあると言えば、確かにそうなる。何に驚くかと言えば、シルクロード鉄道派の中国人が、日本人も忘れているようなマイナーな雑誌を知っていて、それを印象操作に使っているということだ。日本人よりも深く日本文化を調査した上で、ヨーロッパ人にはヨーロッパ人に受け入れられる説明方法を取り、日本人には日本人向けの説明をもちいている。

 

テレビのドキュメンタリーでアメリカの経営学修士の授業が放送されていた。黒い服を売りたいとき、自社の黒い服と同じデザイン・機能・値段の黒い服が他社からも販売されている。黒という語を、ポジティブな言葉、ネガティブな言葉に置き換えて、呼ばなくてはいけない。blackをポジティブに言えば、chicで、ネガティブな言葉にすると、dark。自社の商品をchicな服と言い、他社の商品をdarkな服と言えば、よりポジティブなchicな服が売れる。どちらも同じ黒だけれども、ニュアンスが違う。黒を意味する単語でも、noir/ノワールと言えば、黒社会・犯罪・犯罪者なども意味する。表向きは、黒という色の話しかしていないのだが、実際にはニュアンスを付加することで、潜在意識に裏の意味を刷り込むことができる。

 

シルクロード鉄道派の人たちが専門とする分野はここで、中国語を外国語に翻訳したとき、ネガティブなニュアンスが発生していないかをチェックし、ポジティブなニュアンスに置き換えるのを生業としている。貿易商人は単に外国語が話せるだけでなく、外国語で外国人相手にセールストークが出来なければならない。

 

一帯一路もシルクロード鉄道も、同じ物を別の呼び方で呼んでいるだけなのだが、習近平が名付けた一帯一路では周辺国の協力が得られず、シルクロード鉄道に呼び変えたとたん、同意や協力が得られた印象が強い。

 

 

 

 

 

習近平目線で考えるアメリカが取るべき政策

習近平国家主席になる時期の中国は、自由主義諸国に対する開放政策が進み、中国国内が資本主義化し、貧富の差が顕著になっていた頃だった。汚職を取り締まる明確な法律も整備されておらず、賄賂が横行し、汚職で得た資金の洗浄に、マカオやドバイのカジノが使われていた。次期国家主席汚職の取り締まりを行わなければいけない状況であった。それは必要な仕事であるが同時に、当時の権力者である、有力な政治家や経営者から恨みを買う可能性が高い仕事であった。

 

習近平が腐敗撲滅運動を行い、当時の有力な政治家や経営者を有罪にしていったときに、彼らの多くは懲役8~10年であった。習近平の任期である2期10年が終わる頃に、丁度、かつての権力者が出所してきて、権力の座から降りた習近平に仕返しをするというシナリオを避けるために、習近平は任期の撤廃を行ったし、胡錦涛などの長老達もそれに同意した。腐敗撲滅運動によって、中国本土からカジノに流れる資金は統計上減っており、それは一つの成果だと言える。

 

権力の座から降りたときに、暗殺される、もしくは無実の罪で投獄されるのをおそれた。暗殺で言えば、2015年8月12日の天津浜海新区大爆発事故には習近平に対する暗殺未遂事件であったという噂が流れていて、当初、習近平が乗る予定であった車両が事故で吹き飛んでいる。事前に情報を得た習近平が移動を鉄道から自動車に切り替えて難を逃れたと噂されている。

爆発の実行犯は中国北部の少数民族だと噂され、それが北部のイスラム教徒弾圧につながっている。そもそも暗殺が失敗であったのかもあやしくて、爆破テロを起こす側からすれば、権力者を殺すことが目的でなく、権力者を脅して自分の意のままに操ることが目的であった可能性もある。殺してしまったのでは、次期主席が自分の意のままに動くとも限らない。殺さずに、暗殺のデモンストレーションを見せることが目的であった可能性が高い。

また、韓国の大統領が引退し前大統領に成ると、汚職で投獄されるというパターンが出来上がっていて、そこに対しても習近平が関心を持っているという噂はある。

 

当初の予定であれば、習近平は2期10年を務めた後、アメリカのチャイナタウンに移住して政敵からの攻撃を逃れる予定であった。腐敗撲滅運動で多くの権力者、政治家や経営者を投獄した以上、引退後、中国に住むという選択肢は、ありえない。その際の亡命先、移住先を選ぶ上で重要なのが、暗殺をされない国、中国政府からの犯人引き渡し要求に、応じない国が求められる。ヨーロッパ/EUだと、ロシア政府に逆らった元KGBや元政治家、ジャーナリストなどが、EUに亡命後、亡命先の欧州で暗殺され、犯人も証拠も挙がってないケースが多々ある。次期中国政府から汚職などの疑いを掛けられ、引き渡し請求されたとき、中国と親密な社会主義国では、次期中国政府の要求を呑んでしまう可能性が高い。次期中国政府に逆らえるぐらいの強い国で、暗殺防止が可能な国となると、限られてくる。

 

習近平の腐敗撲滅運動によって、逮捕されそうな立場に成った経営者たちがアメリカのチャイナタウンに大量移住して、アメリカの主要なチャイナタウンが反習近平派の牙城となったのが、習近平の引退後のプランをぶち壊し、習近平を絶望させたことは予想に難くない。国家主席の任期延長は、郭文貴によって作られたとも言える。

 

暗殺と言えば、金正恩の兄である金正男がマレーシアで暗殺されたとき、習近平にしては珍しく、感情的な言葉で生理的嫌悪感を表明している。あの暗殺は北朝鮮政府が指示を出したとされているが、中国政府がボディガードを付けていた以上、自由主義諸国から経済制裁を受け、中国政府から経済支援を受けている北朝鮮が単独で判断したとは考え難い。社会主義経済圏において、中国政府の意向に逆らえるだけの大国ロシアのバックアップがあったと考えるのが自然だろう。あの暗殺によって、中国政府が付けるボディガードが役に立たないことが判明した。習近平にとって、ロシアが本気を出せば、習近平を殺せるというサインにも成っていたはずだ。

 

習近平からすれば、任期を撤廃する以上は、次の選挙でも勝ち3期目を獲得しなければならない。慣習をくつがえしての3期目を獲得するには、通常通りの選挙でなく、圧倒的な人気と得票数が欲しくなる。中国には民主的な普通選挙はないが、選挙権・被選挙権が制限された制限選挙は存在する。選挙権を持つのは共産党員と中国人民解放軍に成る。選挙で勝ちたいと思えば必然的に、共産主義軍国主義路線を選ぶことになる。習近平個人の思想信条と無関係に、選挙制度上、勝つためにはそうせざるを得ない。

 

比較法学34巻1号「人民代表大会代表選挙の問題点」P6L2より

https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-034010267.pdf

「軍人代表は全国人民代表大会には265人であり、全人代代表総数の約9%を占め、軍人が占める全国人口総数における比例と明らかに不均衡である。」

 

軍事費を増やすのが、国家主席にとって一番安く買える票となる。軍が派手な活躍の場を外に求めたときに、制御しないのが次の選挙の票となって表れる。

 

wikiの「全国人民代表大会」より、概要の5行目から

全人代は、省・自治区直轄市特別行政区の人民代表大会および中国人民解放軍から選出された代表(議員)によって構成される」

地域の代表とは別枠で、軍の代表が座る議席数が確保されている。

 

 軍が国のトップを決める議会の9%の議席、票数を持っている。国のトップになるのに必要な得票率が50%だとすると、その内の約5分の1の固定票がある。習近平軍縮会議に出席しない理由の一つは、この辺りにある。

 

習近平が2022年で2期10年を満了し、次の政権に禅譲した場合、習近平政権よりも、外交やウィグルなどに関して、柔軟な対応をする政権が生まれると予測される。特に習近平派でなく胡錦涛派の政権が生まれた場合、その可能性が高い。仮に習近平が次の選挙を戦わず禅譲するなら、共産主義軍国主義寄りの政策を実行する動機が習近平の中で無くなる。自らの良心に基づいた政策を実行できるのであって、中国共産党人民解放軍に配慮する必要が無い。

 

引退後の習近平が安全に暮らせる移住先を見つけることが、アメリカの国益となるだろう。中国国外で、中国と変わらない暮らしができるチャイナタウンは世界中にある。その中で、1970年代以降に中国から外国へ渡った新華僑によって作られた比較的歴史の浅いチャイナタウンが好みのようだ。中国が共産化する前の清王朝中華民国時代の旧華僑が作った町は好みに合わないらしい。日本で言えば、横浜中華街よりも、赤羽の方が良さそうだ。

 

第二次世界大戦の敗戦時、日本は無条件降伏をしたが、水面下では天皇家に対する命の保証はしたと言われている。東条英機など、当時の総理大臣に対して責任を追及したが、天皇家はその対象から外れた。米中冷戦の中においても最低限の譲歩は必要だと思われる。

 

 

 

 

岡村隆史のバルス

お笑い芸人の岡村隆史が、ラジオで失言したことに関して、様々な人が様々な立場で語っていたが、自分と同じ見方をしている人を見かけなかったので、一応書いてみる。

 

バルス」はアニメ「天空の城ラピュタ」に出てくる破滅の呪文であり、TV地上波で再放送される際、アニメのバルスに合わせて、ファンが一斉に「バルス」とツイートすることが恒例となっている。何万人の一斉ツイートで、本来、存在しないはずのアニメ中の造語である「バルス」がツイッターの注目ワードランキングで上位にランキングされることとなる。

 

バルスはロックコンサートにおけるコール&レスポンスであり、視聴者投票のDボタンやニコニコ動画における「WWWW」「8888」みたいなものだが、同じようなシステムが岡村隆史のラジオにもあった。芸人岡村がボケると、放送に合わせて、視聴者が

「何言ってるねん!」「ほな、あほな!」「なんでやねん!」と何万人が一斉にツイッターでツッコむ。ラジオを聴く側はツッコミワードを携帯に入れて、ラジオを聴いて、ボケに合わせて軽快にツッコむ。そういう視聴者参加型の文化が岡村隆史オールナイトニッポンにはあった。

 

ツッコむ側は岡村隆史の熱心なファンであり、リアルタイムでラジオを聴いて、ツイートをするのだが、ラジオ局の上層部はそれらのツイートの数を、クレーム・炎上の件数としてカウントし、これらの数のクレームが来ましたと、定期的にラジオ内で報告されていた。ツイートをしている人達のほとんどは、岡村隆史に対する共感・同意の下でのツッコミであり、ラジオ局内でも現場スタッフは、そのことをよく理解していたが、ラジオ局内でも上層部と現場との温度差は感じられた。

 

元々、岡村隆史オールナイトニッポンは、ナインティ―ナインのオールナイトニッポンで、ボケの岡村、ツッコミの矢部で、二人組のラジオだった。岡村が毒舌でおかしなことを言う。矢部がそれに「岡村さ~ん、そんなこと言うたらあきませんよぉ~」とツッコむ。岡村が火を付けて、矢部が火消しをして、マッチポンプで成立する笑いだった。

 

色々あって、岡村一人のラジオに成った。岡村がボケても、誰もツッコまないので、漫才好きのファン達は、自らツイッター上でツッコむようになった。ツッコミ=クレームが来るので、ボケてはいけないという空気がラジオを支配して、2時間ボケ無しで真面目な話しかしないことも多くなった。

 

岡村が病気で休んでいた時、矢部一人時代のラジオはゲストに後輩の芸人(漫才師でボケ担当)を呼んで、ボケとツッコミで矢部はラジオを回していた。矢部が休み、岡村一人に成ったとき、後輩でも放送作家でも良いから、ツッコミの出来る相手を入れて、ラジオをやるべきだった。

 

 

 

 

 

一帯一路VSシルクロード鉄道

米中経済戦争が、経済戦争から軍事的な戦争へ移行しつつある中、思うことを書いてみます。

アメリカが提案した米露中の三か国軍縮会議への出席を中国が拒否した次の日に、トランプがツイッターで中国を批判し、米中経済戦争が軍事モードへシフトしたわけですが。

中国には長江と黄河という二つの大河が西から東に流れていて、北部・中部(中国表記だと中原)・南部と国を三等分しています。長江や黄河は、河岸から対岸が見えず水平線が見えるため、古代中世の科学力では、大河を渡ることは海を航海するのと同じぐらい命がけの困難がともなったと思われます。古代~中世の感覚では、中原は南北を大河に、はさまれ、東は太平洋で西は山脈があり、島国と同じぐらい異民族の流入が無い、閉じた社会であったわけです。

漢民族は閉じた社会の中で、科挙などの制度を発達させます。学術書を読み、知識を得ることが高い収入につながる。彼らにとって知識こそが収入の源泉であって、官吏登用試験に合格し、高級官僚になることが理想の職業でした。

中国南部に住む広東人は、中原の北京語とは異なる広東語を話したので、北京語の科挙で良い成績を取るには不利でした。彼らは船に乗り、フィリピンやベトナムや日本や韓国と貿易をすることで大きな利益を生み出しました。彼らにとって外国に外国人の友人がいることが収入の源泉であって、貿易商に成ることが理想の職業でした。

漢民族ガリ勉であり、部屋にこもって学術書を読みあさるのが学生の本分とされました。広東人はパーティー・ピープルであり、部屋に多くの外国人を招いてパーティーを主催したり、外国人が主催するパーティに出向いて、外国人と毎晩パーティをすることが学生の本分とされました。

漢民族の世界では、人が集まる場所、満員電車の中や行列の待ち時間などでは、静かに大人しくしていることがマナーとされ、友人と話す必要がある場面でも小声で周りの迷惑にならないよう、ささやくことが礼儀とされました。

広東人の世界では、満員電車の中や行列の待ち時間などで、皆が退屈を持て余しているだろう時には、大きな声でジョークを言って場を和ませるのがマナーとされ、重苦しい沈黙を提供することはマナー違反とされました。

トランプ政権と習近平政権の交流を見ると、トランプ側から見た正しいマナーが、習近平から見ればマナー違反で、習近平から見たマナーが、トランプ側から見ればマナー違反であった場面が多々あったように思う。それは米中の文化の違いというより、トランプ・江沢民的なパーティ・ピープルと、習近平・ヒラリークリントン的なガリ勉の文化格差に見えた。

トランプが習近平を抱きしめようとして、習近平が拒否をする場面。握手という肌の接触で仲良くなる西洋文化と、お辞儀という肌の接触無しで仲良くなる東洋文化の違いもあったかもしれない。

広東人が中国のソフトパワーを強調することで、ハードパワー(軍事力・抑止力)に頼らない、民間外交による世界平和の実現を提唱していたのに対し、ハードパワーを強調する習近平のズレた世界観がどこから来るのか。

習近平は高等教育を受けたエリートであり、膨大な量の学術書を読む学者肌のガリ勉です。大学などの研究機関に所属する学者が書く学術書は、「百年以上昔の歴史について書かなければいけない」という暗黙のルールがあります。存命中の権力者(政治家や経営者)を称賛して、広告費をもらうのは学術の世界ではやってはいけません。かといって存命中の権力者や有名人を批判して失脚させるのも学者の仕事ではありません。死後百年以上経って、関係者や家族や弟子がいなくなってから、初めて利害関係の無い中立の立場で研究論文を書けることに成ります。

2019年の今から約百年前、1919年辺りが正統派の学者が学術書・歴史書の中で書ける一番新しい時代設定に成ります。学術書を読みあさる習近平の頭の中では、いまは1919年、第一次世界大戦第二次世界大戦の間の戦間期で、大国があちこちで侵略戦争を仕掛けて、植民地の分捕り合戦をしている1919年が、いまのこの時代だと彼は認識しています。仮に今が1919年なのであれば、近い将来、第二次世界大戦は必ず起きます。第三次ではなく第二次です。それまでに軍備を増強しなければいけません。

広東人は、漢民族とは違うやり方で世界を認識します。上海閥アメリカ在住の江沢民はもとより、広東人は学術書を読まず、海外を旅したり、外人の友達と話したりして、今の時代を知ろうとします。軍事力で国境線を書き換えるような乱暴なことを、国際世論が許さない時代だと広東人は知っています。理由なく侵略戦争を仕掛けたり仕掛けられたりの時代で無いことを知っています。

 

 

 

中原に住む漢民族が中国の人口の三分の一を占め、中国の歴史を見ると、漢民族が政権を担った時代と、非漢民族少数民族連合政権を担った時代に分かれます。

毛沢東は「大漢族主義」を批判し「反大漢族主義」を提唱しました。以後、中国共産党内で漢族が要職を独占することはなく、非漢民族による少数民族連合政権が中心を担ってきました。習近平政権は大漢族主義を復興させたとして、早い段階から中国内部で、北部と南部において批判をされてきました。

 日本における中華料理を見ると、大衆料理としての広東料理(中国南部)と、高級料理としての四川料理(中国北部)があって、北京料理(中原)は開店休業状態の店が多く、客数が少ない上、定着していません。逆に韓国では、北京ダックと似た鶏料理のサムゲタンがあって、韓国における中国文化を見ると、北京・漢民族の中原文化が強いように思われます。

 

毛沢東以降、日本目線で言えば日清戦争以降、中国政治の表舞台に出てこなかった漢民族習近平政権で中核を担うようになり、漢民族に触れてこなかった日本としても戸惑う場面が多かったわけです。

deal/交渉に至る前段階の、初対面の担当者同士が雑談を通じてお互い仲良くなり信頼関係を醸成する場面。それまでであれば、まずは相手をほめて、相手に対して敬意を示す。担当者の服装や身なりや経歴をほめるとか、相手が中国人であれば中国をほめる。それに対して、先方が謙遜し、「いやいや、私なんて大したことないですよ」と言い、逆に相手をほめ返す。それに対して、こちら側も謙遜する。お互いに褒めあって信頼関係ができたところで、本題であるディールに入る。

以上が一般的な通常の流れであったとすると、習近平政権に成って、担当者が漢民族に成ると、初対面でほめてくる、お世辞を言ってくる相手に対して、露骨に警戒心を持つようになった。孔子の一番有名な警句「巧言令色少なきかな仁」というわけだ。相手担当者や中国の事を本当に詳しく知った上で、本心からほめてくるなら嬉しいが、初対面で私のことをよく知らないのに、何故あなたは私をほめることが出来るのだ。事実に基づかないほめ言葉を使うのは詐欺師の手法である以上、信用できない詐欺師相手に私はこれから交渉をまとめなくては成らないのか。と相手は嘆く。

信頼関係を築くための前振り段階で、大きくつまづくことになる。

漢民族は、初対面の段階で、お互いにとって利害関係の無いテーマで論争/debateを要求してくる。良い天気とは、晴れた日か、雨の日か。ペットを飼うなら犬と猫のどちらが良いか。漢民族ディベートを通じて、相手がどのような人間で、どのような論理を好むのかを判断する。こういう論理を展開する相手なら、交渉はこの論理展開が有効なはずだ。ディベートを通じて相手の論理的な思考能力や専門分野、その分野における知識の量や権限などを分析する。

日本は先進国で唯一義務教育にディベートを取り入れていない国で、日本の学校教育の最大級の欠点なのだが、まともにディベートを出来る人間が日本側にほとんどいない。自分の意見を言わずに相手に合わせろと教育されている。良い天気は、晴れた日か、雨の日か、と問われ、晴れの日と日本人側が答えたとき、「では私は雨の日です」と相手に言われると、日本人は「だったら私も雨の日が良い」と言い出す。「分かった。あなたが雨の日なら、私は晴れの日にしよう」と相手が言うと、「では私も晴れの日にします」と日本人は言い出す。相手と同じ意見、同じ立場に立って、仲間意識を高めた上で交渉に入りたい日本側と、いつまで経ってもディベートに成らないことに、いら立つ漢民族側で交渉は決裂する。日本の政治家で中国相手にまともにディベートできるのが石破茂ぐらいしかいない。

江沢民アメリカ大統領と会談したとき、喜びのあまり泣きながら大統領に抱きついて行った。諸外国に対してお世辞も言ったし謙遜もした。それと比べたときの漢民族の交渉スタイルは、それまでの中国と異なっていて、戸惑いはあっただろう。

トランプ大統領が自身の孫娘に中国語で中国の歌を歌わせ、その動画を全世界に向けて発信した。中国の習近平に対するプレゼントだしお世辞とも言える。普通ならそこで、習近平も自身か身内の者に英語でアメリカの歌を歌わせて、アメリカをたたえる動画を全世界に向けて発信すべきだった。アメリカからの歌のプレゼントに対して、お返しをしていないのは、礼儀を知らない人間に見えてしまう。全世界のメディアが注目する中で、西洋式の礼儀を知らない東洋人の姿をさらしてしまったと言える。

漢民族は高級官僚・上級公務員になるよう教育を受けている。彼らの教育の中では感情を表に出してはいけないことに成っている。裁判官はプレゼントをもらっても喜んではいけない。喜ぶとそれは賄賂を要求したことに成るので、嬉しいという感情を表に出してはいけない。裁判中、被害者や加害者が同情を誘うために、様々な物語を語り、演技をするが、同情や共感の感情を表に出してはいけない。裁判官の表情を見ながら、彼が好む物語を原告や被告が語り出し、裁判を誘導するのを防ぐため、裁判官は無表情でいなければいけない。

習近平の無表情・無感情が、悪意のある見方をすれば、嘘をついている、隠し事をしているように見えなくもない。漢民族ディベートを通じて相手を知り、交渉に至るように、アメリカ側が表情やジェスチャーを通じて中国側を知り、交渉に至ろうとする。ディベートに乗らない=隠し事をしている。のと同じように、ある種の無表情が交渉を難しくしているように見える。