一帯一路VSシルクロード鉄道 2

中国の長江より南に位置する南部の広東語圏の自由主義経済を好む人たち、孔子よりも老子を好む人たち、明確な集団であったり、名称があったりするのか、どうかもあやしいが、シルクロード鉄道派とでも呼んだ時に。彼らが出してきたコラムで印象的な物が二つほどある。

 

一つは日本人は小日本と言われても怒らないという話。もう一つはシルクロード鉄道を説明するときに、ヨーロッパに向けてはマルコポーロという言葉を使うが、日本に向けてはマルコポーロという単語は使わずに説明をするという話。(以下、要約)

 

日本では1970年代ぐらいまで重厚長大な鉄鋼・造船産業が盛んであったが、1980年代辺りから、軽薄短小な、小さな精密機器が花形産業となり、ウォークマンや携帯電話でも、世界最小・最軽量が売りとなり、小さい=小型化に成功している=高性能という意味に成った。アメリカのマイクロソフト社の社名を見ても、マイクロ=小さいことが高性能を意味している。

 

中国人が日本人を馬鹿にするとき、小日本という言葉を使う。中国語において小は、小さい以外に倫理的に劣った小悪党の意味があり、大/bigという語には、大きい/large size以外に、倫理的に優れた、偉大な/greatという意味がある。小日本とののしっても、日本人は怒らない。むしろ自ら「小日本」と名乗り、微笑んでくる。日本人はそれほど心が広いのだ。(要約終わり)

 

という趣旨のコラムというか笑い話だ。おそらく、この話の元ネタは、中国人が日本に来て電車に乗ろうと切符の自販機に向かったとき、大人/小人で料金が違い、小人=悪人は運賃が安いのかと、驚く話だろう。

 

中国主導で、ユーラシア大陸を横断するシルクロード鉄道を作るときに、ロシアから中国を経て、中東、ヨーロッパ、イギリスまで続く鉄道をつなぐのに各国の同意や協力が必要になる。ヨーロッパではマルコポーロという語がポジティブなので、鉄道の説明に多用した方が良いが、日本ではマルコポーロはネガティブなニュアンスがあるので使わない方が良い。

 

日本人である私は、そこまで読んで、マルコポーロにネガティブなニュアンスが日本において存在するのか疑問に思う。

 

日本には2000年代にマルコポーロという雑誌があって、第二次世界大戦時の軍国主義時代の日本政府を正当化し称賛する雑誌だったのだが、第二次世界大戦時に同盟国であったナチスドイツを称賛し、「アウシュビッツは無かった」という記事を出したことで問題となり廃刊に追い込まれた雑誌がある。

 

日本人である自分としては、そのコラムを読むまで、マルコポーロという雑誌があったことを忘れていたが、マルコポーロと言われて、ヨーロッパ人の名前でなく、雑誌名を連想する人がゼロではない以上、ネガティブなニュアンスがあると言えば、確かにそうなる。何に驚くかと言えば、シルクロード鉄道派の中国人が、日本人も忘れているようなマイナーな雑誌を知っていて、それを印象操作に使っているということだ。日本人よりも深く日本文化を調査した上で、ヨーロッパ人にはヨーロッパ人に受け入れられる説明方法を取り、日本人には日本人向けの説明をもちいている。

 

テレビのドキュメンタリーでアメリカの経営学修士の授業が放送されていた。黒い服を売りたいとき、自社の黒い服と同じデザイン・機能・値段の黒い服が他社からも販売されている。黒という語を、ポジティブな言葉、ネガティブな言葉に置き換えて、呼ばなくてはいけない。blackをポジティブに言えば、chicで、ネガティブな言葉にすると、dark。自社の商品をchicな服と言い、他社の商品をdarkな服と言えば、よりポジティブなchicな服が売れる。どちらも同じ黒だけれども、ニュアンスが違う。黒を意味する単語でも、noir/ノワールと言えば、黒社会・犯罪・犯罪者なども意味する。表向きは、黒という色の話しかしていないのだが、実際にはニュアンスを付加することで、潜在意識に裏の意味を刷り込むことができる。

 

シルクロード鉄道派の人たちが専門とする分野はここで、中国語を外国語に翻訳したとき、ネガティブなニュアンスが発生していないかをチェックし、ポジティブなニュアンスに置き換えるのを生業としている。貿易商人は単に外国語が話せるだけでなく、外国語で外国人相手にセールストークが出来なければならない。

 

一帯一路もシルクロード鉄道も、同じ物を別の呼び方で呼んでいるだけなのだが、習近平が名付けた一帯一路では周辺国の協力が得られず、シルクロード鉄道に呼び変えたとたん、同意や協力が得られた印象が強い。