やおい・BL文学研究所

個人的に売れる売れないの話をすると
文尾実洋さんid:boilednepenthesや斎藤ミツさんの腐女子論が一番売れると思う。
パンドラのキャッチコピー
「思春期の自意識を生きるシンフォニー・ マガジン」から
講談社BOXの想定読者を高校生男子ぐらいだと考えれば
腐女子にモテたいという欲望は絶対に強いはずで
モテないまでも、腐女子と共通の話題でおしゃべりしたいとか
あるはずなんだ。


BLという話題を共有し、腐女子にモテるにはどうすれば良いのか?
「egg」とか「men’s egg」を読んでいるコギャルやギャル男は
http://www.eggmgg.jp/mgg/
彼らなりの生き方なりファッションなりがあるわけで
そこに向けてのファッション誌は多いと思う。
でもさぁ、講談社BOX読んでいる高校生は、
髪黒いだろうし、日焼けサロン行かないだろうし、
コギャルと付き合いたいとも思わないだろうし、
同じクラスで図書委員とか保健委員とか飼育係やってるような女の子と
付き合いたいはずなんだよな。
その層に向けての恋愛マニュアルやライフスタイルマガジン的な物を
女性視点で書いてもらえるのは、ありがたいと思うんだよ。


ギャル男を生み出した「men’s egg」のコンセプトは
ギャルにモテたきゃ、男自らギャル化しろって話じゃん。
文尾さんの「あなたも腐女子になっちゃおう!」
「男も女も、みんな腐女子になっちゃいな」
辺りは、高校生男子を想定読者とした「men’s egg」のオタク版として
非常に正しいと思う。


http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/zeroaka/youyaku/01.html
要約の一章で書かれているのは一夫一婦制の限界についてなのですが
そもそもこれが腐女子固有の問題なのか。
男性向けラブコメの歴史を見ても、
婚姻関係のない男女の同棲や共同生活が多く描かれていて、
その中には男一女一の関係だけでないものも多い。
漫画「タッチ」において、上杉家と浅倉家の間に子供達のための
勉強部屋が建てられ、そこには男二人女一人の共同生活があるし、
めぞん一刻」においても、複数の男女がアパート内において、
部屋の鍵をかけずにお互いの部屋を行き来する
共同生活の形式をとっている。
東さんが一時期取り上げていた美少女ゲームをみても
多くの美少女ゲームにおいて、一人の男性プレイヤーに対し
複数の女性キャラが登場する仕組みになっている。


ベトナム戦争の副産物として生まれたヒッピームーブメントにおいて
彼らはルイス・ヘンリー・モーガン的な原始共産体を目指しており、
その指向の中には、原始乱婚制度も含まれていた。
マックを売りまくった「フリーセックス」ヒッピー・コミューンの歴史
http://wiredvision.jp/archives/200204/2002042405.html
日本のヒッピーコミューン「部族」
http://www.wacca.com/88/10/chernobyl/chernobyl.html
多夫多婦制(ポリフィデリティー)について語るとき、
どうしてもヒッピーの話は出てくるし
腐女子というテーマからは離れると思う。


文尾さんが第一章で
「BLに教わろう!新しい恋愛★新しい家族」
と書いている物は実は少しも新しい物ではなく
むしろ歴史的に見て古いものだと思う。
ここで彼女が提唱しているのはある種の大家族制度だ。
彼女自身が母子家庭の中で多くの親戚や地域の人に支えられて
育ってきたことを明かしているが、
この種の制度は太平洋戦争時と明治期に作られていて、
どちらも戦争と関連している。
一夫一婦制の中、夫が戦争にとられた未亡人が大量発生する。
夫が戦死しないまでも、戦場に行ったまま
一年二年、母子家庭状態になるとすれば、
その間、母子の扶養義務を誰が負うのか?
戦争を実行した国家ではなく、地域社会や母子の縁者・親戚に
義務を転化したのが大家族制度・家父長制度だ。


豊かな社会は集団への所属よりも個の充足へ価値を見出すようになる。
戦後の家父長制度から、ニューファミリーの一夫一婦制、
その先を見るなら、未婚の父や未婚の母といった独身者の子育て制度を
どう確立するのかだと思う。北欧では未婚の母に対して国は養育費を払う。
日本のように出産費用を一時的に払うのではなく、
毎月の養育費を払うので、地中海で相手を見つけて、
本国で出産と育児を行うのが流行りだという。
映画監督のジョージ=ルーカスも、孤児院から三人の子供をあずかって
自分の子供として育てている。
もちろん、孤児をあずかる側に扶養できるだけの収入があるかや
未成年者に対する性犯罪歴などの審査はあるが
方向としてはこちらがむしろ新しいのだと感じる。


執筆方針にある
「より多くの読者に訴えるために、わかりやすい印象になるよう、
口語に近い文体にする。」
という部分が、他のゼロアカ参加者と比べて突出しており
電波系であることを怖れない姿勢に共感を覚える。
雑誌「m9」のコンセプトが、


http://news.ameba.jp/cyzo/2008/05/13564.html より
「『大文字の文学とライトノベル』の対比関係になぞらえた、
『大文字の言論とライトオピニオン』という位置付けです。」


とあるように、個人的には講談社BOXはラノベだと思っているので
(純文とラノベの壁を越えるハイブリッドという話もあるし、
小説と漫画と評論とノンフィクションの枠を超える
ハイブリッドという話もある)
あえて口語を選んだ側を応援したい気がする。