学校教育が社会人を育てる上で、前提とする職業は何なのか?

日本や中国やフランスは、18歳で科挙バカロレアなどの公務員試験があって、受験戦争を勝ち抜いたエリートは高級官僚や公務員に成るのが前提とされている。これは官僚を中心としたカトリック的な制度だ。

柄谷行人著の「探究Ⅱ」「探究Ⅲ」はユダヤ的な物について考える内容に成っている。祖国を持たないユダヤ人にとって、ユダヤ人という国籍はない。肌の色や目の色や髪の色でユダヤ人とそれ以外を区別することも出来ない。ユダヤ人はユダヤ教を信じて、ユダヤ的な文化を持つ人達のことだ。

ユダヤ人は祖国を持たない以上(イスラエルという国の存在は取りあえず横に置く)、どの国に行っても外国人であり、公務員になる事は出来ない。公務員に成るための受験勉強などユダヤ人にとって無意味だ。

探究によるとユダヤ的なものは、国と国の間、価値体系と価値体系の間を行き来する商人だ。ある国、ある価値体系の中で、低い価値しかない商品aが、別の国、別の価値体系の中では高い価値を持つとき、商品aの価値が低い国から、高い国に運べば、商品aの価値が上がり、その差額で利益を得られる。

これは日本で言えば商社や外交官、アメリカで言えば投資銀行(インベンストバンク・証券会社)、平たく言えば、国際金融機関や多国籍企業の仕事です。ベタな固有名詞で言えばロスチャイルドです。複数の価値体系の間を行き来する仕事なので、最低限バイリンガルであることが要求されます。

商社マンに育てる前提で、親はどのような教育を行うのか。A国に住む親に3人の子供がいたとして、それぞれの子供をB国、C国、D国の学校に行かせて、長期休暇はA国に呼び寄せ、B国C国D国の現地情報を子供たちから聞いて、利益を生み出す価値体系の差異を探させる。幼いうちから多国籍の人達が集まるインターナショナルスクールに通わせる。ユダヤ教的な教育が前提としている職業は商社マンだといえる。

商社マンの仕事は、資源のない日本に、地下資源が豊富な国から石油や鉄鉱石などの資源を採掘し輸入するという仕事や、先進国で成功したビジネスモデルを途上国に持って行って根付かせるプラント輸出的な仕事や、人件費の安い途上国に工場を作って、安く作った商品を先進国で高く売る仕事などがあるが、基本、途上国に行って、現地の人達と地下資源を採掘したり、工場で物を作ったりする作業に成る。

学生時代に、電気ガス水道のない途上国へ行き、バイクや自転車にテントを積んで放浪し、大自然の中で火をおこして食料を焼いて食うキャンプなヒッピー生活を送っていないと、インターナショナルなエリートに成れない。インフラのない途上国で生活できないと商社マンは務まらない。

学生時代ヒッピーだった人が、社会人に成ってヤッピーに成るのは、この種の教育プログラムの中では予定通りの事である。浅田彰著の「構造と力」「逃走論」で描かれるノマドも、一見ヒッピー的に見えて、実はスクエアなエリート商社マンの生活を指しているのかもしれない。

アメリカのプロテスタント的な教育は、起業家や発明家(エンジニア)を育てることが前提に成っている。アメリカ人は官僚制度を極端に嫌う。中央集権的な官僚制度(ローマ・カトリック)が嫌で新天地に渡ってきたのがアメリカ人だ。

アメリカの独立戦争は、イギリスの植民地であるアメリカにだけお茶に税を掛けて、本土のイギリスではお茶に税を掛けなかった所が発端に成っている。アメリカ人から取った税をイギリス本土に持って行って、イギリス本土で使って、アメリカ人に還元されない。俺たちが払った税は俺たちの地元で使われるべきだ。

カトリックも同じで、キリスト教では収入の10%を教会に収めるが、その金は、ローマカトリックの中心であるバチカンやイタリアやフランスでなく、アメリカの俺たちが住む町の教会で使い切るべきだというのが、プロテスタント的な考え方で。ラテン語圏(ヨーロッパ・南米・アフリカの旧フランス領)の相互扶助的なネットワークを、官僚的・社会主義的な物として嫌う。

起業を前提にすると失敗するリスクは高い。相互扶助のネットワークに入らずにセーフティネットを、どうやって整備するのか?

例えばプロテスタントの国、ドイツだと小学三年生から職場実習が入ってくる。その場合の職場は多くの場合、肉屋・飲食店だ。肉屋というのはドイツで差別用語的なニュアンスがある。牛や豚や鳥を殺す仕事で、罪悪感が発生するため、社会の最底辺の仕事とされている。日本で言えば江戸時代、牛革・馬革加工の仕事が、部落民の仕事であったのと似ている。社会的に不名誉とされる仕事は、誰もがやりたくないので、競争は激しくなく、それほど高い能力も要求されない。

若い頃に社会の最底辺とされる仕事に就いて、そこで仕事を覚えて手に職をつけておけば、もっと上の仕事に挑戦して起業などして、失敗し一次的に職を失ったとしても、再び底辺の職に戻って来れる可能性は高い。競争率の低い、不名誉な仕事を身に付けておくことが、セーフティネットに成っている。

日本で言えば、理科の授業で、小学一年生はアサガオを育て、二年でヒマワリ、三年でヘチマ、六年で稲作だった。減反政策以降、六年の稲作が無くなったが、1960〜70年代地点では、小学六年の稲作がセーフティネットであったはずだ。