2000年代つけ麺・二郎系ラーメンブーム

写真をメインにした東京ウォーカーのラーメン特集やTV東京のラーメン特集などに対応して、絵的に派手で面白いラーメンやオシャレな内装のラーメン屋が増えていった中、写真の載らない活字雑誌を中心に、ラーメン二郎特集が組まれることが増えていった。曰く、安くてまずくてボリューム感のある食べ物、ラーメンではないが美味しい、マズイがクセになる、ラーメンではなく二郎という食べ物。一部のカルト信者に熱狂的に支持されながら、映像媒体で扱われることがない活字オンリーのメディア露出、オシャレラーメン業界とは一線を画した二郎に、私は何となく胡散臭さを感じていた。


近所に二郎のインスパイア店が出来て、行ったことがあったが、駅前で、車二台分の駐車スペースがありファミレス風の内装で、二郎系の極太つけ麺を出すとはいえ、普通の店という印象だった。


二郎ブームから遅れること10年あまり、二年ほど前に初めて二郎に行ったが、カルチャーショックが強かった。国道沿いの薄汚いあばら家に浮浪者の群れがいつも集まっている場所があって、オウムのようなカルト宗教の建物&信者達か何かだと思っていたら、それが二郎だった。二郎は営業時間が極端に短く、スープがなくなり次第閉店なので、開店前からシャッター前に人が並ぶ。遅いときでも30分前、早ければ2時間前から列が出来る。開店してからも最低20分は外で並ばなければ店に入れない。店は狭く店内の待合席はない。駅から遠い幹線道路沿いにも関わらず、駐車場がない。店の前の街路樹スペースには「自転車を止めないで下さい」「自転車による来店はお断りです」とプラスチックの札が掛けてあり、隣の手打ちそば屋、一杯千円〜二千円の高級店には「二郎のお客様へ店の前に並んで店をふさがないで下さい。営業妨害になります」と張り紙があり、列は二郎から、一軒飛ばして隣の民家前に並ぶことに成る。要は近隣住民とのトラブルを抱えるカルト宗教の施設という第一印象がそれほど間違っていないのだ。


路上に最低20分並ぶ、長いときには2時間並ぶ。これがどういう意味かといえば、最低20分ホームレスを経験しないと食えないラーメンだということ。冬は寒さから身を守るため、路上の客は毛糸の帽子をかぶり、セーターの上からトレンチコートを着て、エリを立て、マスクをし、手袋とブーツで寒さに備える。夏は暑い日ざしから身を守るため、つばの長い帽子で直射日光を防ぎ、サングラスと日焼け止めで顔を守り、女性ならUVカットの白手袋の一つもはめて、日差しを避けるためのコートを着込む。春は梅雨、秋は台風や突然の通り雨に備えて、防水加工の帽子をかぶり、レインコートの代用品にもなるビニール製のコートを着て、コートの外側には防水スプレーをたっぷりと掛ける。国道や近隣住民からの白い視線を避けるために、コートのエリを立て、帽子を深くかぶり、顔を隠しなるべく肌を外にさらさない姿で路上に立つ。客の服装が場外馬券売り場の浮浪者と同じセンス、同じスタイルになる。客層からファミリー層やオシャレな若者カップルが真っ先に消える。


路上で並んでいると列を誘導する店員が色々指示を出すのだが、この地点で、コミケか何かと変わらない空気に成る。店内の券売機に触るより先に、列を誘導する店員にメニューを聞かれて注文をしなきゃいけないのだが、メニュー表も見てなければ、「ヤサイ」「カラメ」「マシマシ」などの二郎のみで通じる隠語も分からない。事前にホームページか、活字系雑誌で二郎の隠語や作法を予習して来ないと、注文すらスムーズに行えない。逆に言えば、二郎は活字雑誌の売上にちゃんと貢献している。麺を十人分一気にゆでるため、事前に十人先までメニューを聞いて、麺の固さや量を調節するというちゃんとした目的があるのだが、予習抜きで初二郎に行った客は、まずここで撃沈して、ラーメンを食わずに帰路につくことになる。


店内に入ると、私語・タバコ厳禁、水・おしぼりはセルフサービス、最初と最後はおしぼりでテーブルを拭いてコップと器をテーブルの台に乗せて帰るという二郎マナーが、安く早くラーメンを提供するために必要不可欠な物で、ただの頑固親父演出ではないことに気付く。大盛りが売りとは聞いていたが、ヤサイマシマシの客に、バケツに入ったもやしの山をバケツサイズのどんぶりに入れて出していたのはびっくりした。あれは人間の食い物ではなく、馬のエサだろ。物凄く機敏な動きで働き続ける店主と弟子、弟子がワザと店主の前で少しサボるそぶりを見せると、店主は「てやんでぃ、しっかりしろぃ」と歌舞伎役者のような言い回しで怒鳴り、弟子は「厳しい修行に耐えている自分」に酔いしれながら、嬉しそうな恍惚の表情で「すみません」と謝罪し即、仕事を続ける。カルト宗教その物を見ているかのような気分で、どうして良いか分からなくなる。


ラーメンを食べた瞬間の印象としては、単純肉体労働をする上で必要な栄養素を過不足なく全部入れて調理したら、こんな感じになるという味。おいしさやオシャレを排除して、肉体労働用の栄養補助食品を作った感じ。関西で言えば、家族ですき焼きやって、なべに、肉・白菜・白滝・ゆで卵・じゃがいも、色々入れて食べたあと、出汁が出切った残りの汁にうどんを入れて作った鍋焼きうどんみたいな味。


口の中で肉体労働の味がする。90年代のオシャレ系ラーメンに対して「いまやラーメンは資本家階級に乗っ取られている。しかし我々は、ラーメンを労働者階級に取り戻すべく、プロレタリア独裁のラーメンを打ちたてたいと思う」という演説が聞こえて、学生時代60年安保を闘い、出版社に勤めて電通と組んで広告事業部を立ち上げバブルを謳歌した団塊世代が、定年を目前に控えて、もう一度マルクスに先祖返りした文章を二郎に向けて書いているのが、何となく分かった気がした。確かに二郎はカルトに見える。俺達ブントだって過激派と呼ばれた。でも根っこの部分では、真に労働者のためになる栄養価の高い食品を安価で提供したいという善意にあふれているのだ。確かに近隣住民とのトラブルはある。街の景観・治安を悪くするという声もある。しかし労働という行為の尊さと比べればそれらは瑣末なことではないだろうか的な、60年安保の数少ない成功例的なエグさが二郎にはある。