松田聖子と河合奈保子のデュエットがすごい

http://d.hatena.ne.jp/kidana/20101005
上手く言えないけど、なんかすごい。
アイドル歌手にとっての歌唱力とは、声質を作る能力のことだと思う。作詞や作曲や振り付けが本人に拠るものでないのなら、どのような声質を作るかにアイドル歌手のオリジナリティは掛かってくる。


中古で安く松田聖子のファーストアルバムを買ったのが、きっかけだった。最初のアルバムだけあって、松田聖子の歌唱法がまだ確立されておらず、様々な声質で様々な曲調の歌を歌っていて、その中には後の松田聖子につながって行く物もあれば、取捨された歌い方もある。その捨てられた側の声質で歌われている「チェリーブラッサム」が気に入って、この声質・歌唱法の元ネタになる先輩アイドル歌手が誰であるのかを探り当てようとした時に、自分の頭に浮かんだのが河合奈保子だった。実際に、ネットで調べると、松田聖子河合奈保子はデビュー年が同じで、歳は河合奈保子の方が少し下で、レコードデビューは松田聖子の方が数ヶ月早い。河合奈保子を元ネタとする仮説を証明しようとすれば、レコードデビュー以前に、レッスン場などで松田聖子河合奈保子が出会っていなくてはならず、無理のある仮説だということは判ったのだが、この二人のデュエット映像をいくつか見ていると、仲が良いとか悪いとか単純には言えないような、強烈なライバル意識・仲間意識が感じられた。


松田聖子が確立したアイドルポップスは、電子キーボードをバックに、薄くて透明感のある、ある種アニメ声に近い声質で歌う形式で「ピンクのモーツアルト」辺りが、その典型だと思う。対する「チェリーブラッサム」は、濁った鼻声もしくはハスキーボイスで音の分厚さ、音圧を出して、暗くて色っぽいメロディを歌う、アイドルポップスより一世代古いスタイルの歌謡曲だ。


あのジャンルの歌は、伴奏がシンセキーボードというより、第一バイオリン・第二バイオリンを中心としたクラッシックのオーケストラだし、照明も笑っていいとも風の全方向からライトを当てて、影がつかないように撮るアイドルポップスの明るいライトでなく、音楽室に掛けられているような音を吸収する分厚くて黒いカーテンの前で、真っ暗なステージに一本のピンスポットを浴びて歌うような、暗めの声質だ。


自分の記憶だと、チェリーブラッサムの歌い出しの声質は河合奈保子なのだが、実際ネット動画で見る限り、河合奈保子のシングル曲は、歌謡曲調の声質では歌われていない。歌謡曲調の声質で歌う河合奈保子が見れるのは、歌番組の企画で他の歌手とデュエットするときだけだ。ネット動画を見る限り、松田聖子河合奈保子は事務所もレコード会社も異なるにも関わらず、番組で頻繁にデュエットしている。デュエットをする場合、高音と低音でハモるのだが、二人の声質が近ければ近いほどきれいに聴こえる。松田聖子河合奈保子は、二人で一つの声質を操ることができる。しかも、歌謡曲調の声質とアイドルポップス調の声質、複数の声質を二人で共有している。この二人にデュエットをさせたいと音楽番組担当者は当然思うだろう。その中の一つに、衝撃的な映像があった。


番組名は判らないが、題名のない音楽会のようなクラシックノリの番組で、バックバンドは当然クラシックのオーケストラで、会場のお客さんは礼服を着た50代前後の男女。曲は、歌謡曲の中でも、より唱歌(和製クラシック。「荒城の月」とか「我は海の子」とか)に近いノリで、松田聖子河合奈保子が出てきて歌う。バイオリンバックだと、濁った分厚い歌謡曲寄りの声質で歌い始めるのだが、途中で、河合奈保子が声質を松田聖子にではなく、バイオリンにチューニングしていく。伴奏の音色に溶け込んだ声質で歌う河合奈保子に対し、松田聖子の声質が伴奏から浮いて、音痴に聴こえてしまう。あわてた松田聖子が、声質をバイオリンに合わせに行かずに、アイドルポップス風の薄くて透明感のある声質に持っていき、あえて伴奏の音色から浮くことで、河合奈保子の歌=伴奏、自分がメインボーカリスト、という空気に持っていくのだが、会場の空気が、松田聖子に対してより厳しくなっていく。会場の客層は50代の老夫婦がメイン。当時の河合奈保子の持っている空気感は「おかあさんといっしょ」の歌のおねぇさんであったり、ロンパルーム、ピンポンパン、ひらけポンキッキ、などの幼児番組に出てくる保育園の音楽の先生的な空気で、メインの客層は幼児とその親である若夫婦とその親である老夫婦で、10代の中学生高校生相手に人気のある松田聖子は、クラシック会場では完全にアウェーなわけで、そこでティーンアイドル風の声質で歌ってしまうと、会場が全員敵になってしまう。慌てて、松田聖子が挽回すべく、アドリブで振り付けを付けて踊りながら歌ったりするのだが、逆効果がさらに増していく。松田聖子が(音程を重視したクラシック的な意味での)歌唱力で負けたとは言わないが、ある種の空気感において、ボロ負けする映像を見て、これすごいなと松田聖子が同期のアイドルとの競演絶対NGになるきっかけはこれだろうと、感銘を受けたわけです。


動画を見ながら、色んなことを考えたわけですが、一つは、松田聖子河合奈保子はデビューが1980年で、当時まだ、音楽番組ではクラシックのオーケストラバックに歌を歌うのが主流であったことに、驚きました。例えば「ザ・ベストテン」や「8時だよ!全員集合」でも、オーケストラバックで、照明も割りと暗いんですね。当時の環境であれば、バイオリンバックに歌える分、河合奈保子に分があるわけです。クラシックのオーケストラ→ジャズのビッグバンド→4人組のロックバンドや打ち込みシンセという、単線型の音楽史を感じていた自分にとって、1980年地点でもオーケストラメインだったとか、逆に榊原郁恵の「夏のお嬢さん」辺りは松田聖子以前のアイドルポップスのルーツとして普通にあったとか、ピンクレディもYMOの細野が曲提供していたので、打ち込みシンセだったとか、80年地点でもまだ、森田公一とトップギャランが意外に力を持っていたとか、色々考えると、そんな単線的に音楽は変化してないなとか、色んな楽器編成の音楽が同時並行的に活動していて、その中で、あっちの楽器編成からこっちの楽器編成に移ったり移らなかったりが起きているとか、まあ、色々思った。


河合奈保子のシングル曲の声質は、「スマイル・フォー・ミー」などの明るいポップスを歌っていた時期と、1983年以降の不良っぽいディスコミュージックを歌っていく時期があって、初期の頃は、ジャズの吹奏楽器に合わせた声質で、これはこれでポップスの王道というかきれいなんだけど、ディスコミュージックを歌うようになって、あまり売れなくなっていく。ディスコミュージックと河合奈保子の声質が合わない。河合奈保子の客層が不良っぽい音楽を求めていない。ディスコならステップを踏んで左右に動けなければいけないのだが、河合奈保子のダンスが、TVの都合などで顔のアップを撮るから立ち位置を変えないでくれとかあるにしろ、腕の振りだけで、足がまったく動かないので迫力がない。同じ路線なら中森明菜の方が上手い。総じて河合奈保子の個性や持ち味と合わない方向へ、シングル曲が向かってしまっている。でも、バイオリンの弾き語りをするさだまさしとのデュエットを聴く限り、バイオリンの音色に合わせた声質で歌う分には圧倒的な色気がある。全体的に、似たような所からスタートした松田聖子河合奈保子だが、独自の声質を作るために誰かと似た声質を一つ一つ捨てていった松田聖子に対して、自分のバックで鳴る様々な楽器、デュエットする様々なボーカリストの声質に合わせるため、声質を一つ一つ増やしていった河合奈保子の差は、オリジナルのリードボーカルをゴールにするのか、どんな音にでも対応できるスタジオミュージシャン的なバックコーラスをゴールにするのかの違いであるようにも見えた。


チェリーブラッサムの声質の元ネタを探したいのだが、どうしても見つからない。あと、松田聖子のセクシー路線、マドンナ風の下着姿でヴォーグを踊ったりがあったが、30代より上の年齢層向けならチェリーブラッサムの声質で歌うのはありだと思う。