日本のポップミュージック史

youtubeなどで割りと古い映像なんかも見れるようになると、色々わかって来る。
四畳半フォーク(=かぐや姫)批判も松任谷由実(=ニューミュージック)がした「貧乏臭い」という批判しか知らなかったが、どちらかと言えば、岡林信康ファンが四畳半フォークに対して嫌悪感を持ったんじゃないかなと思う。四畳半フォークのフォーマットは岡林の世界観をポップに仕上げた感じで、マーケティングがあざとく見える部分もある。岡林的な貧乏が中卒で工員や農民をやっている貧乏だとすれば、四畳半フォークは大学進学のため東京に出てきて木造アパート一人暮らしで、彼女と同棲中で、大学卒業と同時に「22歳の別れ」つうポップだし、岡林の歌と比べればある意味金持ちだし、駅弁大学が出来て大学進学率が上がっていく時代の新しい青春群像を描くって部分で、ターゲットが明確だったりもする。
なんか自分の中で岡林信康の「チューリップのアップリケ」とアニメ「てんとう虫の歌」がなぜかつながっている。


自分達世代にはまったく知られてないが、少し上の世代にはカリスマ的に支持されたミュージシャンとして「赤い鳥」なんてのがいて、後に分かれて「ハイファイセット」と「紙風船」になって、ハイファイセットから松任谷由実松田聖子につながっていくのだが、赤い鳥の山本潤子のスキルは、時代の空気感を服装や髪型に落とし込むのが圧倒的に上手い部分で、松任谷由実がマネしているつもりでマネ出来てないのが、ここだと思う。赤い鳥のプロモ映像見ると、橋の上でフォークな服着た男女六人が居るんだけど、絵的にまんま浅間山荘事件の犯人達で、あの当時の若者達は浅間山荘に限らず、みんなあんな服着ていたてのがわかる。あそこから80年代のハイファイセットになると化粧品のコマーシャルみたいな服装髪型に転向するんだけど、ポップミュージックが誕生する直前の空気感、文部省主催の中学生合唱コンクール的なクラシックノリの礼服・タキシードと、フォークジャンボリー的なヒッピーノリの自由な着くずし方、透明感の高いあの時代の空気を上手くファッションに落とし込んでいる。


ディスチャージの評価が高いのは日本だけで、海外だとカオスUKやエクスプロイテッドの方が評価高いてのも、youtube見ると判らないでもないが、パンクの情報に飢えていた1980年代初期の日本で、ライブツアーをやってくれた海外の本格派ハードコアパンクバンドがディスチャージだったてのが大きい。あと日本の場合、英語が判らないからディスチャージの正論だらけの歌詞を受け入れられるのであって、英語が判ると皮肉やユーモアの入った他のバンドの方が聞きやすいてのも、わかる気がする。