松本人志氏の性加害疑惑について

 

 

ジャーニーズ事務所のジャニー喜多川氏の事件との類似性を指摘される場合が多いが、今回の件はむしろラーメンズホロコーストネタで炎上し、東京五輪オリンピック・パラリンピック開閉会式の制作・演出を解任された事件に近い。

ラーメンズの炎上

解任が2021年7月22日、ホロコーストネタは1998年だから、20年以上の間、日本では公認されていたネタが、オリンピックという国際的舞台に関わるにあたり、国際オリンピック委員会ラーメンズの身辺調査をしたら、国際的に見てアウトだった。

 

その時も、ツイッター上でラーメンズは炎上したが、オリンピックから降りると炎上は収まった。ラーメンズ側からすれば、自分からオリンピックに関わりたいと言ったのではなく、日本政府から懇願されて、引き受けたら、ラーメンズは不適任だと国際社会から叩かれ、撤退した。向こうからお願いして来て、向こうが断るのは、おかしくないかという話だが、依頼したのは日本政府で、不適任と判断したのは国際社会だから、仕方がない。

 

直接、ラーメンズを批判したのはアメリカのユダヤ人団体だが、国際オリンピック委員会の本部はスイスのローザンヌにある。ゴルゴ13で有名なスイス銀行のあるスイスだ。東西冷戦時代に、永世中立を貫き、アメリカ政府からも、ソ連政府からも、自由で預金者の情報を公開しなかったので、世界中の汚れた金はスイス銀行に集まって繁盛した。西洋で金融業を営んでいるのはユダヤ人だ。キリスト教は利子を取るのを禁じているので、銀行業はユダヤ人の仕事に成る。そのユダヤ人が力を持つスイスに本部を持つ国際オリンピック委員会に対してホロコーストネタの説明をラーメンズは出来なかった。

 

チャップリンの映画「独裁者」はナチスを題材にしたコメディだったが、ユダヤ人社会にも受け入れられた。説明の仕方次第では、ラーメンズホロコーストネタも通用した可能性がある。

 

日本社会においてはラーメンズのコントは人気も信用もクオリティもあり、ラーメンズであれば、ホロコーストをネタにしても、変な扱い方はしないはずだと、信用される。けれど、ラーメンズ知名度が無いヨーロッパに行ったときに、国際オリンピック委員会のあるスイス人を説得するのは難しい。

大崎洋氏の予言

ダウンタウンの初代マネージャーで吉本興業の社長や会長にもなった大崎洋氏が「ボクも逮捕されるんやろか」というタイトルで週刊現代2023年9月13日の記事で弘中弁護士と対談している。

 

大崎氏は2021年に東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会の文化・教育委員会委員に就任している。この後、オリンピック委員会の理事を務めた高橋治之さん、元電通顧問・専務が1億9800万円の賄賂を受け取ったとして逮捕されている。他にも、電通・オリンピック委員会関係者が複数名逮捕されている。

 

民間企業であれば許されている接待・接待費などが、税金などの公金が入ったオリンピック委員会において、みなし公務員扱いに成るので、一律違法として逮捕に至っている。

 

今回の松本人志氏の出来事も、日本国内では許容されていた行為が、国際オリンピック委員会(本部はスイスのローザンヌ。会長はドイツの弁護士トーマス・バッハ。)という国際社会の反社チェックを受けたときに、外国人からみて、アウトだったという話に成る。ラーメンズの件と同じで、吉本興業ダウンタウンや大崎氏がオリンピックや万博から手を引けば、炎上は収まる。

文春記事の内容は既出の公開情報だ

昔のロックバンドがファンのグルーピーの女の子とドンチャン騒ぎをしていたというのは、よくある話で。

ガキの使いやあらへんで」の松本浜田のフリートークでも、松本人志は、

「以前、性的関係にあった女性の女友達から、メールで金銭要求の脅迫を受けていて、当時フェラーリに乗っていたので『フェラーリの件ですが』とメールが来るけど、女性からのメールで「フェ」から始まることあるか?」と話しているし

「すべらない話」でも松本人志氏は

「この話が表に出たら芸能生活終わるという、スキャンダルを抱えていた時期に、TV局前で、週刊誌やワイドショーのカメラが待機していて、行きたくないけど、収録があるから行くしか無くて、車で入って行ったら、『パシャパシャ』と一斉にフラッシュを焚かれて、マイクを突きつけられて、『終わった』と思ったら、記者から

『相方の浜田さんにお子様が生まれた件で一言メッセージをお願いします』

と言われて、『良かった』と思った」と話していて

Hな合コンをやっているぐらいの事は既出の話で、日本の視聴者には長く許容されてきた話だった。

今回の件も、被害者は刑事事件にしていないし、文春もコロナ以前(2~3年前)から持ち込まれて知っていた話を、刑事事件の時効が成立したタイミングで出している。

文春自体が裏付け取材をした結果、ボツにしたネタが、国際オリンピック委員会や万博事務局(BIE。the Bureau International des Expositions)が行った吉本興業に対する反社チェックの結果を受けての、記事であって、文春メインで動いた記事でも無い。

日本国内においては、法律上、黒でも白でも無く、グレーで何となく許容されてきた状況を、外国の公的機関が審査したときにアウトである可能性が出てきたわけで、説明責任を果たす相手は国外の機関に成る。

吉本興業松本人志氏も週刊文春も巻き込まれているだけで、実際の当事者は大崎洋氏と国際オリンピック委員会やBIEだと私は考える。

 

 

マイノリティがマジョリティに抱くヘイト

日本のポエトリー・リーディングを見てきた中で、それがオルガン学派(竹田青嗣小阪修平)と地続きだということに気付いた。

ポエトリーも小阪修平もベースは、マイノリティ(少数派)側からのマジョリティ(多数派)に対するヘイト(憎悪)から来ていて、在日韓国人とかヨーロッパの移民とか、祖国が戦争に巻き込まれて、戦火を逃れて他国へ移住した移民にとって、言葉も文化も異なる外国で暮らしていくのは楽では無くて、自分達の言語や文化を強制してくる多数派に対する憎しみは、一定数ある。

フランスのポエトリーとかは、国が移民同化政策で、外国人に税金でフランス語を教えて、その一環で、外国人が詩集を出したり、スピーチしたりする場を作って、フランス語でスピーチする外国人のコンテストで賞を与えたりします。そのスピーチの多くはフランスに対するヘイトで、大目に見ても、フランスに対する外国人目線の要望であって、「トルコ語が通じないからフランスは不便だ」とか言っているわけです。

フランス人からすれば「何故、俺達の税金がフランスに対する悪口コンテストに使われているんだ(怒!」となるわけで、それは反日教育をしている日本国内の韓国人学校に日本の税金を入れるのはオカシイとかいうのと似ていて、母国の人間と移民との間で、ゼロサムゲームをすれば、どっちかが権利を得れば、もう片方は権利を失うわけで、全員が得する落し所は中々見つからない。

ヘーゲルは全員が納得する大文字の正義、グローバルスタンダードとか国際標準、世界標準の正義にたどり着けるとしたのだけれども、実存主義キルケゴールは、すべての人間は他の誰でもない単独者であり、マイノリティだとヘーゲルを批判した訳です。

小阪修平は、人種や国籍に関係なく、全人類が仲良く手をつなげる世界を夢見ながら、同時に、それが不可能に近いこともよく分かっていて、ヘーゲルキルケゴールの両面を抱えて絶望する姿は学術的でも論理的でもなく、感傷的で詩的だったように思う。

芸人の小虎主催漫才ライブ「御礼参り 其の弐」感想

  1. 会場の問題

全体を通しての印象は、ゲスト含め、大声を出している所しかウケない。小声でどんなに面白いことを言ってもウケない。 会場が渋谷Loft Heavenというライブハウスなので、アンプで増幅された音が外に漏れないように 壁全体が吸音材になっていて、客席の笑い声が全部壁に吸収されて、 ずっと薄っすら滑っている空気に成る。ソニーBeachVと同じ環境です。

ソニーのビーチブから出てきた芸人は、ハリウッドザコシショウ、バイきんぐ、錦鯉という大声系か 逆にサイレント映画でも通用するアキラ100% お笑いのネタを試す、研ぐ、作る環境としては最悪です。

 

中野TWLのような演劇系の会場の方が、客席の笑い声が壁に反響して、他の客の笑い声でつられて笑うお客さんも生まれて、笑い声が増幅し、自信がないネタを試しても、それなりにウケて一軍入りしたりするのですが。ライブハウスだと、大声じゃないとウケない、逆に大声ならウケる。結果、大声大会と発声練習にしか成らず、ネタの選別や研鑽に向かないライブに成ります。

 

小虎が月一ライブを主催してM-1を目指すというのは 2019年ミルクボーイの「漫才ブーム」ツアーをイメージしているはずなのですが、 だとすると会場選びを根本的に間違えている。逆にこの会場で勝負するなら、もっと大声出すか アキラ100%ウエスPのようなサイレントで戦える芸風に成るか。 トークの内容で笑い取るのは、この会場では無理。

  1. キャラ付けシステム付け

M-1で優勝するために月一ライブでネタを試す前提だと、システムもキャラクターも無い、 ノーマルな漫才をやっている地点で違うなと。 色んなシステム、色んなキャラクターを試して取捨選択していくなら分かるけど。 小虎のネタ動画だと「キャンプ」で、りょうくんの体の動きや声のトーンがウケてて あの動きと声のトーンだけで、客前で受けた数秒ネタだけをつないで ネタ2本作れたらThe MANZAI2011のHi-Hi的なポジションでM-1決勝行けるはず。

 

「顔」というネタでNSC大阪35期「もも」的なことをやって、お互いのキャラを探っていたけど もっとちゃんとキャラを立たせたら、ウケるはず。 兼近さんは黒髪から脱色して金髪に成って、チャラ男漫才して、 髪をピンクにして大ブレイクしたわけで。 りょうさんだと、舞台に出てくるときと、はけるときに、 ペンギンみたいに両手を上下にバタバタさせて歩くだけで、カワイイキャラで行けると思うんだよな。 イスから立ち上がるときに、両手を上下にバタバタさせて立ち上がるだけで、カワイイになるはず。

 

ツカミのドラマネタから入るシステムも、TV出る前提だと、その局のドラマしか言っちゃダメで M-1テレビ朝日で「六本木クラス」なのに、 りょうさんは毎日放送系列のMBSユニコーンに乗って」なのが 放送禁止用語を使ってネタ作るのと同じぐらいズレている。

  1. ツッコミ&台本書きが常識を知らない

ネタを書いていて、ツッコミ=常識側をやっているりょうさんが、あまり常識を知らない。 ボケに常識を押し付ける役の、りょうさんの言う常識が、 ズレているからネタとして成立してないパターンがある。

 

ネットに上がっているネタだと「キャバ嬢に成りたい」や「子育て」が分かりやすい。

「キャバ嬢に成りたい」の開始1分5秒の「オジサンがキャバ嬢をやっちゃダメか?オジサンがキャバ嬢をやっているオカマバーは普通にあるし マツコ・デラックスさんもそういうバー出身だし、新宿二丁目はオカマバーの聖地だし 東京吉本本社がある新宿ゴールデン街(歌舞伎町一丁目)も、そういう文化(LGBT)に寛容な街だと思うし 世の中の流れが、LGBTを差別してはいけない風潮に成っている中、 「オジサンはキャバ嬢をやっちゃダメだ」をTVなどの公の場で発言すると、時代的に 「同性愛者や性同一障碍者に対する差別」として糾弾される内容かと感じます。

「子育て」の開始3分19秒

「お前に子育て任せたら変な子に成っちゃったよ」 小虎チャンネルを見ると、りょうさんはアニメオタクなわけです。 小虎チャンネルを見ている小虎ファンが、この漫才を見たときに アニメオタクのりょうさんが、アニメオタク(の子ども)を批判すると キャラがブレているように見えて、ネタが嘘っぽく見えて共感しにくく成ります 台本を書くりょうさんが、自分の得意なジャンル(アニメ)をテーマに漫才やって 自分の主張を福井さんに言わせて、自分が常識側に立って、アニメオタクを批判すると キャラがブレます。 ネタを書く側は、自分の主張は自分で言って、福井さんには福井さんが言いそうなセリフを 当て書きしなきゃいけない。競馬マニアの福井さんに競馬を語らせて、りょうさんは 競馬マニアにツッコむとかじゃないとリアリティが出ない。3:25 女房は止めろ 何故、女房という言い方がダメなのかもよく分からない。 終わり方(落語でいうサゲやオチ)は、つかみと同じぐらい大事なはずなのに、 客から見て腑に落ちない終わり方だと、他がどんなにウケてても賞レースで弱くなります。

今回のネタだとアイスのネタで、先輩の家の引っ越しの手伝いをしていて、 夏で暑かったから先輩が「アイスおごってやるよ」と言ってくれて みんなはガリガリ君とかすぐ食えるアイスを注文したけど、 福井さんはスーパーカップという食うのに時間の掛かるアイスを注文して、 短時間で食って引越しの手伝いに戻らなきゃいけないのに、非常識だというネタなのですが スーパーカップは語感だけなら食うのに時間が掛かりそうだが、実際のアイスは ガリガリ君と大して変わらない時間で食える。

 

久保田食品の「おっぱいアイス」だと食うのに時間が掛かりますし レディボーデンのデカい奴とか、ローソンのフローズンパーティとか もっと食うのに時間の掛かるアイスはあって フローズンパーティは、アイスだけどレンジでチンして、 熱でマックシェイクみたいに溶けたアイスをストローで飲むのですが、 ローソンでチンし忘れて、家にレンジが無い場合、 カチコチに凍ったアイスで、金属製スプーンを差し込もうとしても、 氷がガチガチでスプーンが入らない。

御礼参り其の二の他のネタだと、「バイト先のマドンナ」も、そんな古い言い回し使わないだろう。 テレビ普及前の、アイドル映画全盛期の「若大将シリーズ」時代の言い回しじゃん。

男はつらいよシリーズのマドンナ役」とかでしか使わない。 今回のライブで実際にあった変なツッコミで言えば

りょう:好みの女性のタイプ誰だよ

福井:井上真央

りょう:そんな奴いねぇよ!井上真央のこと好きな奴なんて居ない!

百歩譲ってベッキーとか福原愛とかゴシップがあれば、まあ、そうかなとも思うが ゴシップも私が検索した限り見当たらず。普通に美人女優じゃん。

 

26歳の小虎りょうさんからすれば、既婚で35歳の9歳年上はおばさんかも知れないが 吉本のなんばグランド花月は5歳から60歳70歳のお客さんまで 全年齢に対応しなきゃいけないわけで、 5歳児からすれば、知らない女優の名前出されても困るだろうし 70歳のおじいさんからすれば、同世代の人気アイドルはキャンディーズ伊藤蘭(67歳)が 今も現役アイドルとして歌手活動していて応援しているわけで タモリさんはいまだに吉永小百合(77歳)が好きなわけで、 いまでも吉永小百合はCMにいっぱい出ているわけで。

小虎の福井さん(32歳)が井上真央(35歳)好きなのが、そんなに変か?

井上真央に親でも殺されたか?

 

りょう:井上真央のこと好きな奴なんて居ない!

これ、ニューヨーク屋敷さんの偏見ネタ、ラファエルの偏見あるあるの延長として見ると 面白いと言えば、面白い。

何の根拠も無く、「井上真央のこと、好きな奴なんて居ない!」と 断言する異常者という役回り。 でも、屋敷さんの偏見ネタは 「港区で毎晩飲んでいる女、その金、どこから出とんねん!」 とかで、芸能人の固有名詞を主語にしないし、TVに出ていく上で不利には成らない。

「OLで月の手取りが16万で、ゴルフ場で2万円のコース回って、ナイトラウンジでナイトプール行って、週末はグアムでインスタ撮って、50万円のバッグ持っているんだ。その金どこから出とんねん!」 と、一応、理屈は通っている。

 

あだ名時代の有吉にしても、実力の割にチヤホヤされている旬の人に行くわけで 何故、旬でもない井上真央という、理不尽さが、ラファエルっぽい。

 

まあ、普通に考えると、フリートークで、ツッコミのりょうさんが

好みの女性のタイプをボケの福井さんに聞いて、

絶対にボケて変な事を言ってくれると期待した上で

「そんな奴いねぇよ」というツッコミを事前に決めていて

井上真央」と言われたけど、誰か分からないまま

井上真央を好きな奴なんかいない!」と

断言した感じかなぁ

 

策士のりょうさんとしては「シン・りょう」「24の逆襲」に 井上真央を呼ぼうとしている?

 

オープニングでポイズンガールバンドM-1でやったネタに触れたとき

 
福井:いつの話だよ
りょう:たぶん、2005年頃(正確にはM-1行ったのは2004年と2006年)
福井:絶対見てないだろ!当時何歳だよ!17年前って、俺でも15歳だよ! お前、9歳じゃねぇか!
 
オープニングトークなので、台本有りなのか、フリートークなのか分かりませんが りょうさんが台本書いているのか、福井さんのフリートークなのか
どっちにしろ、「17年前のネタをおぼえているのがおかしい」というツッコミも おかしくて、りょうさんは大学で演劇を勉強してきたわけで、当然、古代ギリシャ悲劇のオデュッセウスとか、シェークスピアチェーホフ寺山修司とか 一通りは演劇の歴史を勉強して、それなりには戯曲も読んでいると思います。
 
17年も前のM-1リアルタイムで見てないじゃん!というツッコミはおかしくて 芸人なら後追いでもDVDで一通り勉強するでしょう。 なんか全体的にツッコミがズレてて、ボケがズレていないという。
 
アイスのスーパーカップで進んだネタが、 インスタントラーメンのスーパーカップで伏線回収して終わるという そのままじゃないかと。予想外の驚きが無い。
 
「バイト先のマドンナ」にしても、そのままな伏線回収なのですが
小虎として初の伏線回収ネタを作ってみたのかもな。

一帯一路VSシルクロード鉄道 2

中国の長江より南に位置する南部の広東語圏の自由主義経済を好む人たち、孔子よりも老子を好む人たち、明確な集団であったり、名称があったりするのか、どうかもあやしいが、シルクロード鉄道派とでも呼んだ時に。彼らが出してきたコラムで印象的な物が二つほどある。

 

一つは日本人は小日本と言われても怒らないという話。もう一つはシルクロード鉄道を説明するときに、ヨーロッパに向けてはマルコポーロという言葉を使うが、日本に向けてはマルコポーロという単語は使わずに説明をするという話。(以下、要約)

 

日本では1970年代ぐらいまで重厚長大な鉄鋼・造船産業が盛んであったが、1980年代辺りから、軽薄短小な、小さな精密機器が花形産業となり、ウォークマンや携帯電話でも、世界最小・最軽量が売りとなり、小さい=小型化に成功している=高性能という意味に成った。アメリカのマイクロソフト社の社名を見ても、マイクロ=小さいことが高性能を意味している。

 

中国人が日本人を馬鹿にするとき、小日本という言葉を使う。中国語において小は、小さい以外に倫理的に劣った小悪党の意味があり、大/bigという語には、大きい/large size以外に、倫理的に優れた、偉大な/greatという意味がある。小日本とののしっても、日本人は怒らない。むしろ自ら「小日本」と名乗り、微笑んでくる。日本人はそれほど心が広いのだ。(要約終わり)

 

という趣旨のコラムというか笑い話だ。おそらく、この話の元ネタは、中国人が日本に来て電車に乗ろうと切符の自販機に向かったとき、大人/小人で料金が違い、小人=悪人は運賃が安いのかと、驚く話だろう。

 

中国主導で、ユーラシア大陸を横断するシルクロード鉄道を作るときに、ロシアから中国を経て、中東、ヨーロッパ、イギリスまで続く鉄道をつなぐのに各国の同意や協力が必要になる。ヨーロッパではマルコポーロという語がポジティブなので、鉄道の説明に多用した方が良いが、日本ではマルコポーロはネガティブなニュアンスがあるので使わない方が良い。

 

日本人である私は、そこまで読んで、マルコポーロにネガティブなニュアンスが日本において存在するのか疑問に思う。

 

日本には2000年代にマルコポーロという雑誌があって、第二次世界大戦時の軍国主義時代の日本政府を正当化し称賛する雑誌だったのだが、第二次世界大戦時に同盟国であったナチスドイツを称賛し、「アウシュビッツは無かった」という記事を出したことで問題となり廃刊に追い込まれた雑誌がある。

 

日本人である自分としては、そのコラムを読むまで、マルコポーロという雑誌があったことを忘れていたが、マルコポーロと言われて、ヨーロッパ人の名前でなく、雑誌名を連想する人がゼロではない以上、ネガティブなニュアンスがあると言えば、確かにそうなる。何に驚くかと言えば、シルクロード鉄道派の中国人が、日本人も忘れているようなマイナーな雑誌を知っていて、それを印象操作に使っているということだ。日本人よりも深く日本文化を調査した上で、ヨーロッパ人にはヨーロッパ人に受け入れられる説明方法を取り、日本人には日本人向けの説明をもちいている。

 

テレビのドキュメンタリーでアメリカの経営学修士の授業が放送されていた。黒い服を売りたいとき、自社の黒い服と同じデザイン・機能・値段の黒い服が他社からも販売されている。黒という語を、ポジティブな言葉、ネガティブな言葉に置き換えて、呼ばなくてはいけない。blackをポジティブに言えば、chicで、ネガティブな言葉にすると、dark。自社の商品をchicな服と言い、他社の商品をdarkな服と言えば、よりポジティブなchicな服が売れる。どちらも同じ黒だけれども、ニュアンスが違う。黒を意味する単語でも、noir/ノワールと言えば、黒社会・犯罪・犯罪者なども意味する。表向きは、黒という色の話しかしていないのだが、実際にはニュアンスを付加することで、潜在意識に裏の意味を刷り込むことができる。

 

シルクロード鉄道派の人たちが専門とする分野はここで、中国語を外国語に翻訳したとき、ネガティブなニュアンスが発生していないかをチェックし、ポジティブなニュアンスに置き換えるのを生業としている。貿易商人は単に外国語が話せるだけでなく、外国語で外国人相手にセールストークが出来なければならない。

 

一帯一路もシルクロード鉄道も、同じ物を別の呼び方で呼んでいるだけなのだが、習近平が名付けた一帯一路では周辺国の協力が得られず、シルクロード鉄道に呼び変えたとたん、同意や協力が得られた印象が強い。