東浩紀VS浅田彰

http://live.nicovideo.jp/watch/lv166863981
メモ
哲学書房http://www.tetsugakushobo.com/default.html
武谷三男
アドルノVSルカーチ
有料放送の内容をブログで暴露するわけにもいかないので、ネタバレしないようにしつつ個人的感想を書いてみます。


浅田さんが日本共産党支持だったのが意外。ニューアカデミニズム自体、マルクス主義=共産党がダメだという前提で始まっていたはずで、建築業界におけるポストモダン=ラスベガスのネオンサイン建築=広告の肯定からスタートして、超並列とかリゾームとか、基本、無数の小さな会社が生まれては消えて不定形につながったり離れたりするイメージだったので、びっくりした。ニューアカ参照元は1968年前後のフランス思想で、大学解体とか、非共産党系の左翼運動とか、非大学系の知識人とかを模索していたはず。


東さんが西洋哲学に対する東洋哲学の独自性を説く。個人的に西洋哲学=一神教、東洋哲学=多神教アニミズムの傾向はあると思うが、西洋哲学に勝てる東洋哲学を組み立てるのはたぶん難しい。柄谷行人が若い頃似たようなことを考えて、日本の哲学のルーツは中国哲学で、中国哲学のルーツはインド哲学で、インドの曼荼羅の中にアリストテレスという神が描かれているのを見て、西洋哲学の影響を受けていない東洋哲学なんて無いと思いストレートに西洋哲学を学ぶことにしたというエピソードがある。


東洋哲学で仏教があって、色即是空という時の、空が、無と似ているけど違うとか、漢字の色即是空の翻訳元になっているサンスクリット語の「空」は、ゼロを意味する単語で、アラビア数字の「0」の発見の偉大さとか。十百千万と、桁が増えるたびに新しい文字をあてて行くのではなく、たった十種類の文字で無限桁の数を表記できて、計算もしやすい「0」の発見は数学に貢献している。10という数字を書いたときに、0がある、無がある。空は、空席とか空箱とか空白とか空室とかで、空室は部屋が無いのではなくて、空いた部屋がある状態。容器の中に物を入れる余裕がある状態が空で、この空の概念は、ショーペンハウエル辺りを経由して、ハイデガーサルトルの「無」の概念に影響を与えているのではないかとか思う。無知な自分がいい加減なこと書いているが、小室直樹が書いた仏教の本http://www.amazon.co.jp/dp/4198611688とか読みたい気がする。