河合奈保子のライブDVD6枚同時発売

http://columbia.jp/kawai/
2012年11月21日発売は単純に嬉しい。
松田聖子河合奈保子のデュエットがすごい
http://d.hatena.ne.jp/kidana/20101031
の続き。
河合奈保子が独特の歌唱法をしていて、それに合わせて松田聖子が歌唱法をコピーしている。最初、デュエット動画で河合奈保子が歌っているのを見て、何が起きているのかが理解できなかった。聞いたことが無い声が聞こえて、驚きしかなかった。


どんな楽器でもそうだが、素人の客を驚かせようと思ったら、一人の演奏で同時に複数のメロディを奏でれば、人を驚かすことが出来る。下のヒューマンビートボックスなどその典型だろう。

http://www.youtube.com/watch?v=hii7PQ7NJ_s

ギターで言えば、ベーススクラム奏法のような、メロディパートとベースパートを同時に一人で演奏する技法がある。ピアノだって、右手と左手で違うメロディを演奏したり、ショパンのように右手の親指側と小指側で別のメロディを奏でる奏法がある。ただ、歌や吹奏楽器は基本そのような事は出来ないはずなのに、河合奈保子の歌は一人で複数のメロディを同時に歌っているように聞こえた。平たく言えば、二人で歌っている場面で四人分の声が聞こえる。一人で歌っている場面で二人〜三人分の声が聞こえる。一人で歌っているのに異なる音域、異なるリズム、異なるメロディで、同じ声質の歌が同時に複数聞こえる。しかも、それは常に行われるのではなく、一定の条件下でのみ行われている。これがどういうことなのか、自分なりに考えてみた。


右を高音、左を低音、下が無音で、上に行くほどボリュームが大きくなる。そういうグラフィックイコライザーをイメージしていただきたい。声をグラフィックイコライザーに掛けたときに、山型の図が出て、山のてっぺんの音程が、その声の音程とされる。ドレミの「ド」の音であっても、音叉でもない限り、ド以外の音域の音も同時に出ている。1979年〜83年ぐらいの女性アイドルにありがちな音色で、エフェクターでコンプレッサーを掛けているのか、もしくはマイクや他の機材の都合なのか、声が山型で無く、台地型・台形になってるパターンがある。ある一定以上の音量がカットされるとき、ピークの音量が出ている音域を仮にドレミの三度だとする。普通の歌手は、この音を出したときに、真ん中を取ってレの音を出していると解釈する。でも、河合奈保子は台形の角の部分を取って、ミの音を出していると解釈する。アカペラだと、どちらに解釈しても同じだが、伴奏があり、ミの音でなきゃおかしい場面で、この声を出すと、ミだと頭で解釈する。でも、台形の角はもう一つあって、ドの音も同時に出ている。つまり、ミとドを同時に出している解釈になる。グラフィックイコライザー持っているわけでもないし、割と個人的な仮説だが、個人的にはそう感じた。


もう一つ、別のことを書くと、人間の耳が聞き取れる音の音域があって、可聴域よりも高い音や低い音は通常、聞く事が出来ない。いわゆるモスキート音てのがあって、子供には聞こえるけど大人には聞こえない高い音がある。私は大人なのでネット上のモスキート音を再生しても聞こえない。でも、モスキート音の再生をダブルクリックして同時に二つ再生すると音が聞こえる。同時再生であっても音が0.0何秒ズレて再生される。人間の耳は左右で0.03〜0.001秒ほどズレて音を感じ、そのズレで音源の方向や距離などを推し量るのですが、ズレが無ければ聞こえない音域の音も、ズレがあると聞こえるわけです。無響室で聞こえない音域でも、壁や天井で音が反響する部屋だと聞こえることがある。河合奈保子の声質は可聴域ギリギリのところまで出ている。それをある一定の条件下で録音すると、普段聞こえないはずの音域帯が明確に聞こえる。


1983〜84年の河合奈保子のレコーディング音源を聞くと、河合奈保子特有の魅力が薄く、普通の歌にしか聞こえない。けれどもTV番組での松田聖子とのデュエットを聞くと、二人で歌っているのに、それ以上の声が聞こえる。デュエットの会場が、ややクラシック寄りの木造コンサートホールで、壁や天井は音響を計算した反響板で作られていて、音の反響で可聴域周辺の音が増幅され、松田聖子と同時に別パートを歌うことで、声がさらに反響し、TV番組用に設置された遠くから音をひろう集音マイク・ガンマイクが、歌手の声を直接録音するオンマイクではなく、壁から跳ね返ってくる歌手の声を録音するオフマイクの役割を果たして、レコーディング室で録音したときには無かった魅力が、オフマイクの中にガッツリ入っている。


1983〜84年のレコーディング音源を聞いて、河合奈保子特有の声や歌唱法が反映されていなくて、がっかりした。何故こんな風になったのだろうと思ってwiki河合奈保子を見ると、河合奈保子絶対音感を持っている、1984年に「録音から制作に参加」とあって、なるほどなと思う。一般に絶対音感を持った人は、音楽業界のスタッフサイド(ディレクター・作曲家・スタジオミュージシャン)に多く、アーチスト側に少ない。絶対音感を持っている人と持ってない人では、音楽の好みが異なる。市場には絶対音感を持っていない人が多い以上、絶対音感を持ってない人の方が、自分の好みと売れる音の傾向は一致しやすい。音を再現する能力は絶対音感を持っている人の方が圧倒的に上だが、音を楽しむ事に関しては絶対音感を持ってない方が上だと思う。例えば「ピアニスターHIROSHIのCDでわかるかんたん作曲講座―「ひらめかない人」でも、オリジナル曲が作れる!」を読むと、著者は絶対音感を捨てるためのトレーニングをやっていたりする。絶対音感がある人とない人の音楽的好みの違いは、音感がある人の方が薄い音を好む。グラフィックイコライザーで言えば、底辺が広い音は音程が不明瞭になるため音感を持った人には好かれない。音叉のような音程が明確で薄い音を好む傾向が強い。1983〜84年の河合奈保子のレコーディング音源は声も伴奏も薄い音で構成されていた。


河合奈保子のレコーディングアルバムには、河合奈保子の声質を最大限生かしたものは少ないが、TVのライブ映像を見ると、木造のコンサートホールでの低音の厚みが増した暖かい反響音を聞けるタイプのものと「どきっ!女だらけの水泳大会」系の番組でプールサイドで歌っているもので、コンクリートの床に反響した高音をひろう集音マイクが、良い感じの角度で音をひろって、ナチュラルなショートディレイで高音が伸びるタイプの物があって、どっちもすごい。しかもコンクリートと木造だと声質がまったく違う。


絶対音感を持っているからこそ、グラフィックイコライザーの頂点だけでなく、二番目の頂点、三番目の頂点も音程を合わせて、複数の頂点で和音を構成したり、それぞれに別々のメロディを持たせたり、ありえない音を響かせている河合奈保子だが、絶対音感を持つがゆえに、音楽を楽しめていないのではないかと思える部分もあるわけです。1980年〜83年ぐらいまでのアイドルとしてキラキラした時期を経て、83〜86年になると、仕事の出来るOL風の服装&歌詞で、厳しい表情ですごく必死に踊り歌っていて、音程もガチガチの厳密な合い方をしているんだけど、なんかしんどそうな、力みすぎの時期を経て、86年〜88年ぐらいのライブ映像を見ると、すげ〜〜〜楽しそうにルーズでラフな感じで歌い踊っていて、音程は絶対音感を持った河合奈保子の厳密な音程でなく、普通のアイドル歌手並みの音程で、でも声質の良さがきっちり出る歌い方で、ああ、楽しそうで良いなぁになってる。