総合誌

前日の日記の続きで、自分が何故何にいらだったのか分からずに、感情のまま書き続けてみます。
総合誌という言葉の定義の分かりにくさが一つはあって、


>こういう話になると、いつも「総合誌の役割は終わった」という話になるけれど、本当だろうか。この先、いくつもの雑誌を同時に買う読者なんて考えられない。


という部分を読むと、音楽雑誌と映画雑誌とTV雑誌と漫画雑誌と文芸誌があるなか、全ジャンルの売れ筋チャートが載っている日経エンターテーメントが総合誌だという話になりますが、現実に総合誌と呼ばれている物を見ると、文藝春秋にしろ月刊現代にしろ、論壇誌や実話雑誌に見えるわけで、文藝春秋を買えば、雑誌「オリコン」は買わなくて良いという物ではないと思う。オリコンを兼ねているのはむしろ日経エンタの方に思える。


総合誌の役割は、国と国との戦争や吸収合併が繰り返された時代に、他国の文化を知り、自国の文化を育てるという物であったように思える。だとすると、いま国の統合を実験的に進めているECの雑誌は、総合誌として非常に面白いと思う。貨幣や労働力を統一して流動的に国境を越えて行けるようにする実験は、かつてソ連で行われた計画経済の実験と同じぐらいスリリングな実験だと思える。


古い意味での総合誌の扱っているテーマは社会問題や経済問題や政治問題です。ルポライターが社会問題の起きている地域に潜入取材をして、暗部をえがき、白日の下にさらすことで、その社会問題を解決する政策を政党が打ち出し、選挙民が投票し、問題が解決するというサイクルの中に、総合誌の役割がある。1968年の安保闘争で、多くの人達が安保に反対したにも関わらず、安保が通った。それによって日本国民は政治に民意を反映させることは不可能なのだと悟ったわけです。軍事的にも政治的にも日本はアメリカの属国なのだと再認識したわけです。1980年代初頭のバブルで、軍事費の負担なしでアメリカの核の傘の下に入った日米安保は正しかった、アメリカが出してきた政策を日本はすべて受け入れていれば、すべては上手く行くのだとなった。1980年ぐらいを境に文芸誌から「政治と文学」というテーマが消える。日本の政治について語ることがダサくなると共に、アメリカの大統領選挙やアメリカのロビイストについて語ることが有意義になる。すると、社会問題を扱ったルポタージュを日本人の読者である自分が読むという事が、無意味になる。何らかの問題意識をもったところで、それを反映させる手段が自分達にはないのだから。(井上陽水の「傘がない」が1972年)


買いたい雑誌と買いたくない雑誌の違いは、自分の場合、How toかmust buyかの違いで、カタログ雑誌であっても、その商品のどこがどう良いのかがきちんと説明してあって、商品の選び方や見方を提示してくれていれば買う価値があると思います。商品をけなすにしても、どこがどうダメかを説明された上で、その欠点が気にならなければ、その商品を買っても良いわけです。


1970年代の後半ぐらいまで、日本のファッション雑誌と言えば、型紙が付いていて、服の作り方について書かれた雑誌だったと聞きます。80年代初頭辺りから、ファッション雑誌において服は作る物ではなく買う物になった。雑誌がマニュアルからカタログに変わったのだと思います。もし自分がいま高校生で「先生に見つからない改造制服の作り方」という記事が載った雑誌があれば買うと思いますが「改造制服の通信販売カタログ」が記事として載っている雑誌は買わないと思います。宝島にしても海賊ラジオ局の作り方とかインディレーベルの作り方とか、そういうのが面白かったわけです。


実際にHow to情報満載の雑誌を作ろうとすると、非常に難しいというのも想像できます。既に公開されているHow toは情報価値のないフリーのものであったとしても、それ以上のHow toを求めると、企業秘密の部類に入るので、そのHow toが産業として成立していれば成立しているほど、誰も教えてくれないというのはあります。Whole earth catalogが成立したのは、ベトナム戦争の時期で、元勤め人の失業者が大勢いて、皆、昔の職場の技術なり知識なりを持っていたからで、好況時にあれだけの情報が集まるかというと難しいと思います。いま不況で技術を持った失業者が多いとすれば、あれの現代版が出来るのかも知れません。