共通の話題としての大きな物語

http://d.hatena.ne.jp/kidana/20050530
みたいな話で、あまり親しくない人間と肩の凝らない話をしなくてはいけない場合。共通の話題として、スポーツ新聞の芸能欄的な話やTVのワイドショー的な話をする。話し相手は日本語ペラペラの外国育ちの日本人で、日本の芸能情報は全く知らず、仮に彼が台湾出身であれば、台湾の芸能ゴシップ情報はかなり詳しいとする。お互いに自分のプライベートに関してあまりしゃべりたくなく、芸能・スポーツ情報で雑談をしたいが、先方は台湾のそれしか知らない。例えばブルース・リーの話をすると「彼はアメリカに渡った香港系中国人で、台湾人ではない」と批判される。こうなった時に、台湾の大きな物語(芸能ゴシップ)を持つ彼と、日本の大きな物語に依存した自分では、共通の物語・話題がない。


日本人が外国に行く時、その国の文化や歴史について勉強してから行くように、彼も当然、日本の文化や歴史について勉強していて、それを共通の話題として提供しようとする。例えば、五重塔の持つ宗教的意味合いについて聞いてくる。が、当然、私にはそんなことは分からない。彼は日本人なら当然日本文化について外国人に説明できる程度に詳しいはずだと思っているが、私のように教養のない日本人には、難しいことを聞いても答えられない。台湾の大学で日本文化を研究している大学教授の方が私よりよっぽど詳しいだろう。私に分かるのは、家の近所でおいしいラーメン屋はどこかとか、職場への通勤はこっちの裏道を使った方が早いとか、そういうことだけだ。


外国人がその国に行く時、勉強していく現地の文化は中世から精々1960年代ぐらいまでの伝統文化で、イギリスで言えば、ビートルズが人気あるらしいよとか、日本だと美空ひばりが人気あるらしいよとか、そういうので、現地の若い人と必ずしも共有できる文化ではない。日本で外国文学といったときに、イメージされる文学も現地のリアルタイムの文学というよりもは、40〜50年前のその国の文学であったりする。現地の比較的教養のない若い人たちにとっては、そんな何十年も前の純文学より、今週のテレビのワイドショーの方がよっぽど共通の話題として使える大きな物語であったりする。