サラリーマンレスラー

今の新日本プロレスは短所だらけだが、俺は好きだ。
新日の短所を挙げると
・創業者が会社から抜けて、経営責任を取らなくて良い立場にいる。
・その創業者が、外から院政をひいて、自分の事業資金を工面してもらおうとしたりする。
・会社から金を抜こうとする創業者にNoと言える人間が社内にいない。
・会社の儲けが創業者に抜かれるので社員のモチベーションは低い。
・自己責任・自己判断で経営の舵取りを出来る人間が社内にいない。
・自己責任で経営の舵取りを出来る人間は社外に出て独立をする。
複数の人間の合議制で会社を運営しようとするが、自分の案を通せば責任が生じる。その案が失敗すれば責任を取らされ、成功して利益が上がっても創業者の利益になるだけで自分の手元には入らないため、誰も自分の案を言いたくないし通したくない。
・坂口社長時代、ゴールデンタイムのテレビ放送がなくなり、それまでのファンは会場に足を運ばなければならなくなった。世間的にはメディア露出が減り、新日凋落のきっかけに見えるが、社内的には90年代前半のこの時期が、新日本の社内史上一番利益が出た時期だ。創業者からの金の工面を社長が断り、広告費・メディア露出を減らし、商品開発費として赤字覚悟でやっていた新人レスラーの海外遠征もなくし、外人レスラーの招聘もなくし、広告・メディア露出・商品開発の費用を削ることで過去最高の利益を出し、社員の待遇を大幅UPさせ、モチベーションを上げさせた。レスラーの移動もバスを新調し、遠距離にはバスよりもグリーン車を用意し、滞在先のホテルもワンランク上げ、単年度契約や単試合契約だったレスラーに終身雇用や各種保険を約束した。ビッグマウスラウドの上井さんをはじめ、サラリーマンレスラーと呼ばれる永田選手・中西選手はこの時期の新日本を成功体験として感じている。蝶野選手はこの時期の坂口体制に批判的だ。先行投資を減らして、社内の福利厚生をUPさせることでカンフル剤的に社員のモチベーションを上げたのがこの時期だ。
・会社が儲かっていた時、優秀な社員を外から引っ張ってきた。アマレスでオリンピック日本代表になった人達だ。この人たちはオリンピックに出ていたり、世界大会の代表選手に選ばれていたりするので、それなりに良い条件で公務員の社会人チームに誘われている。その人たちを獲得するためには、公務員よりも良い条件を出して勧誘しなくてはならない。終身雇用的な一生涯の保証をちらつかせて入って来てもらったのがアマレス軍団で、安定志向・公務員志向・サラリーマン志向の強いレスラーである。アマレスからプロレスに入った最も初期の選手であるジャンボ鶴田選手は「全日本プロレスに就職しました」と入団会見で言い、「プロレスに就職」という組み合わせが物議をかもし出した。
・プロレスファンの中から、自分たちでプロレスを始める人達が表れ、インディプロレスが流行となる。自分たちファンが面白いと思うプロレスをやるために、ノーギャラで選手をし、ノーギャラで営業をするため、運営コストは限りなくゼロに近くなる。老舗プロレス団体は、公務員以上の給料を取る選手を抱えて、ノーギャラで働く人たちとコスト面で戦わなくてはならなくなる。しかも、プロレスに興味がないままプロレスラーになったアスリートと、プロレスファンが情熱だけで作り上げたプロレスだと、娯楽性だけをみるとファンが作った物の方が質が高かったりする。


メディアに載ってる噂と想像だけで書いてるが、たぶん大きくは外れてないと思う。そしてこの新日本プロレスの欠点は、今の日本企業の多くが抱えている欠点でもある。日本の敗戦が1945年。ここで財閥解体がなされているので、この時期の日本の職業は建前上、公務員と自営業しかないことになる。1960年代の高度成長期に自営業者の中から勝ち残って大企業に発展するところと、つぶれていく零細企業に分かれる。仮に日本の企業の多くが1945年〜1950年前後に創業されたと仮定して、50年で創業者が30歳ぐらいだと、2006年地点では、86歳。亡くなっているか、引退しているかの年齢だ。


もう少し違う視点でみると、1980年代にバブル経済になる。この時期に社長だった人達で、一生生活して行けるだけの個人資産を蓄えたあと、引退し、バブル後の尻拭いを会社の残った人間に任せて自分は経営者責任の問われない社外から院政を引いているという会社も日本には多い。日本のバブルと新日本プロレス社内のバブルは丁度10年の差があるのだが、バブル期入社組=永田選手たちの第三世代と思って間違いない。バブル期には高学歴のYesマンが新人として重宝され、言われたことを文句を言わず高い質でこなす人間が大事で、自分の考えを社長にぶつけるような人間はいらないわけだ。結果社内には、言われたことをきちんとやるが、それ以上のことは何もやらない人間だけが残る。会社や社会全体が儲かっている時はそれで良いが、バブルがはじけて、会社の経営が難しくなると、今まで会社を引っ張ってきた創業者が会社から逃げて、言われたことをやる事務処理能力だけが高い人間が集まって合議制で会社を運営する羽目になる。当然、慣例を慣例通りすることはできるが、前例のないことは前例がないという理由によって出来ない結果になる。


私は90年代の氷河期入社組だが、就職活動のときによく言われたのが、この会社を使ってどんなビジネスをやりたいのか?だ。ビジネスモデルを作るのが仕事だと、入社試験で言われた世代だ。時代的にIT関連が花形で成長産業だったので、そういうところを受けると、「君はプログラムを組めなくて良い。君なんかより優秀なプログラマーは、東大の学生バイトで社員よりずっと安い給料で雇える。社員の仕事はバイトを使っていかに儲けるかを考えることだ」と言われる。プログラムにしろ、プロレスにしろ、ノーギャラで働く人間がいくらでもいる。ライターなんかもブログにノーギャラで書く人間はいくらでもいる。彼らを使って、いかに儲けるかを考えるのが仕事だ。ノーギャラで働く現場の人間はいくらでもいて、現場の人間を管理する中間管理職も余っていて、自腹でビジネスを始める創業者をうちの会社は欲しいのだと、入社試験の一番最初に言われる経験をしているのが氷河期入社組で、会社は君に仕事を与えない、自分で仕事を作るのが君の仕事だと言われて、会社に入ってる世代だ。入社試験の面接で「二・三年は現場の仕事を教えます。そのあと、現場の仕事しか出来ない人はリストラします。50代の社員一人の給料で、20代の若者が三人雇えるのですから当然でしょう。」と言われて、受験勉強的な事務処理・現場の仕事を6・3・3・4とやってきて、社会に出ていきなり新しいビジネスモデルを作れなかったらクビですと、言われてそんなクリエイティブな仕事要求されてもなぁと思うし、ニートが増えたり、学生社長が増えたりするのも納得できる。


新日で言うと棚橋選手などは学生プロレス出身で、これは学生自らプロレス団体を創業し運営しているのとほぼ同義だ。新日本の中には、一度社外に出て自分で創業し失敗して戻って来た出戻りの長州選手や、社員であると同時に子会社の社長でもある蝶野選手などがいる。私の経験上、不況時にはイエスマンよりも創業経験者が経営者から重宝される。倒産した経験であっても、経営者から見れば、自腹でビジネスをしようと志す分、社員よりましだし、失敗から得たノウハウを自分にも伝えて欲しいと本気で思っていたりする。一般の会社を見ていると、老舗のデパートが子会社のコンビニに買収されたりしている。アメリカンプロレスをする外資系の蝶野選手が、村上ファンドライブドアホリエモン的に見えるし、蝶野選手のアリストトリストが新日を買収とかもありえなくはないぐらいに見えたりもする。


そんな時に一般の普通のサラリーマンが蝶野選手に共感するかというと、共感できない。長州選手に共感するかと言うと、それも難しい。鳶の職人さんや長距離トラックの運転手さんに共感される天山選手も良いが、天山選手と違い、会社の経営的な矛盾や行き詰まりも判っていて、じゃあ、どうすれば良いのだとなったときに、蝶野選手や中邑選手のように良いアイデアが出てくることもなく、かつ、出てきたところで「じゃあ、それ、自己責任で自腹で成功させてみろよ」と上から言われて、「いや私には妻も子供もいて、家庭もあって、とても自腹で事業をするなんて、絶対無理です」となるサラリーマンレスラー永田選手のダメさ加減は、事務処理能力の高さとあいまって、バブル期にはエリートと呼ばれたサラリーマンが感情移入しやすい要素になってると思う。