カオスラウンジとか何とか

カオスラウンジの展覧会に行って、カオスのスポークスマンというか、批評担当の黒瀬陽平さんから話をうかがった。私のイメージだと、
ハイカルチャー=現代美術=アカデミズム=西洋文化の輸入
ポップカルチャー=商業主義・インダストリアルデザイン
民俗学博物学)=近代以前の日本文化の輸出
の3つの方向のうち、カオスラウンジは、どれを選んでいるのか?
みたいな見方で。実際には、その3つは地続きで、厳密な境界線は無いとか、3つ全部に手を出して、全部やってみるとか、色々あるんだけど、大雑把に、どの方向か聞いてみた。


黒瀬さんは大学には残らない、ポップにも行かない。NHK出版の思想地図4号で、村上隆さんが言っているような意味での輸出もしない。むしろ近代以前の日本文化の保存や再生産や発掘に興味があるようだった。がっつりハイカルチャー側だと思っていた自分は面食らった。


私の知っている美術史で言えば、第二次対戦中に戦意高揚のための芸術があって、志願兵募集のポスターなんかにアートが使われて、その反動で、戦後芸術家の戦争責任が問われる。ヒトラーが元々画家志望で、抽象画が理解出来なかったこともあり、抽象画を退廃芸術と呼んで禁止したので、第二次大戦後のアメリカなんかでは、抽象画は反ナチス的な絵として現代アートの主流になった。みたいな知識から、ジェフ・クーンズのネオポップまでの距離は遠い。ジェフ・クーンズをハイアートとするなら、ハイカルチャー=高級文化と、ポップカルチャー=大衆文化との境界は消える。


明治期や第二次対戦敗戦時のように、先進諸国=西洋の学術書を翻訳して日本に輸入するのが知識人の仕事だとしたときに、ヘーゲルマルクスサルトルまでは、進歩史観で過去より現在、現在より未来、途上国より先進国が進歩しているという世界観で来れたのが、レヴィ・ストロース以降は、先進国が未開社会から物を学ぶ方向へ進んでいて、アメリカやフランスの哲学誌を検索すると、私の検索の仕方もおかしいのかも知れないが、腰ミノつけた人達の姿や歌舞伎メイクの人達の画像が出てきて、特集がヨガとかだったりする。民俗学文化人類学ハイカルチャーだったりする。


平たく言えば、上の3つの境界線は消えている。60年代がアフリカの年で70年代の日本の知識人を見ると、自分を土着的な人間に見せる服装になってる。吉本隆明の家族写真でも、奥さんは黒いスーツに黒いセルフレームの眼鏡だが、隆明はステテコ・猿股・腹巻でバカボンパパみたいな格好をしている。


色々考えたが上手く言語化出来ない。