東京オリンピック・大阪万博・ビートルズ来日公演・ルーテーズ

「敗戦直後の日本で、力道山が白人の外人選手を空手チョップでやっつけ、プロレスが日本で大ブームになった」という通説が実は嘘なのではないかという話がある。


実際その時代の街頭テレビの動画を見ると「日本人の群集が敵役のシャープ兄弟にも拍手や声援を送っている」という話があるし、NWAの世界チャンピオンだったルー・テーズが来日し力道山とタイトルマッチを行なった時の映像を見ても、飛行機から下りてくるルーテーズの映像が、ビートルズやツイギーなんかと同じで、日本人の群集が熱狂的に迎え入れていて、TVメディアの扱いも国賓級だったりする。


敗戦によって発展途上国になった日本が、焼け野原から立ちあがり、先進国の仲間入りするために、先進国から文化を輸入し、西洋文化に馴染まなくてはならない。明治期に鹿鳴館を作り舞踏会を開いたように、東京オリンピックを開き、大阪万博を成功させ、ビートルズの来日公演を成功させ、ルーテーズのタイトルマッチを成功させなくてはいけないという、国家プロジェクトの一環みたいな流れにNWA(全米レスリング同盟)の世界タイトルマッチが組まれている。


その流れで見ると、シャープ兄弟もルーテーズも、ビートルズやオリンピックのメダリストや先進国の大統領なんかと同じ扱いで、悪役というポジションではない。ザ・デストロイヤー選手などはヒールとして来日したが、ベビーとしての人気が出てしまったためベビーに転向した選手だ。


敗戦直後の日本人が戦勝国アメリカへの怒りをプロレスで発散するというストーリーは、NWAが用意したストーリーだ。NWAとは、元々アメリカの弱小プロモーター連合で、小さいプロモーターが集まって、プロレスの全米チャンピオンを認定し、そのチャンピオンが、NWAに所属するプロモーターの地元テリトリーでタイトルマッチを行い、地元の英雄相手に卑怯な手を使いながらなんとか辛勝するというストーリー・機能を持たした団体だ。反則負けはタイトルの移動を伴わないので、チャンピオンがワザと反則を犯してタイトルを保持するというパターンも定番だ。各テリトリーのプロモーター=選手が地元の英雄で、お客さんは皆地元の英雄を応援し、NWAのチャンピオンは基本ヒール。アメリカで差別されている少数民族住民の多い地域で試合をし、少数民族の英雄相手に、白人チャンピオンが卑怯な手を使って勝ち、チャンピオンに対して、怒りをぶつけることで少数民族の怒りをガス抜きする。笑顔のファシズムとか柔らかいファシズムとかベタに3S政策、陰謀論的な文脈で書くとそういうことになる。実際、力道山とルーテーズの試合を見ても、一部ルーテーズがちょっと待ってくれというジェスチャーをしながら、攻撃してきたりという卑怯な手を使ってヒールっぽい動きもしている。


誤解をおそれずに言えば、NWAのビジネスモデルは、ユダヤ的な感じがする。ユダヤジョーク集を読むと、ユダヤの教育課程の中で、見知らぬ土地に行って大道芸をするというのがあるらしい。ユダヤ人のジョークは、自らをオチに使い、自分を一段低く見せることで笑いを取る。NWAのビジネスも、取引先のプロモーターを正義の味方として立てて、自らを悪役にしている。WWEを見ても、自ら一歩引くことで相手を立てて、ビジネスを円滑に進める手法があちこちに見られる。プロレス用語のセル/セールはまさにそれだ。


第二次大戦で敗戦し、GHQが入ってきた地点で、日本の武道全般が禁止された。柔道剣道相撲古式泳法などが、軍事格闘技術・殺人術扱いで禁止され、GHQが撤収した翌年に力道山日本プロレスが設立される。武道の代用品として、入ってきた。


戦後の焼け野原から、日本が復興し先進国の仲間入りするためには、オリンピックや万博と並んで、プロレスの世界タイトルマッチもやらなければいけない。舶来品というフレーズが国産品より数段高級なオーラがあった時代に、途上国日本にとってプロレスが高級文化に見えた時代があって、力道山日本プロレスと提携していたルーテーズのNWAは、日本からみたプロレス界のグローバルスタンダードであるのだが、アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードなのかという問題は横におくとしても、そもそもNWAがアメリカンスタンダードなのか、てのも「アントニオ猪木のアメリカ武者修行時代」を読むと、意外にあやしい。NWAが力を失った時期を、ルーテーズとエドワード・カーペンティアの試合で、両者がチャンピオンを名乗り、チャンピオンベルトがカーペンティアに渡った地点だとすると、1957年になる。1948年に作られたNWAが10年ほどで衰退を始めたとするなら、途上国から見てグローバルスタンダードに見えたものが、先進国の中では、その当時の流行・ポップカルチャーでしかなくて、メインカルチャーでもハイカルチャーでもなかったのではないかと。先進国から途上国が文化を輸入する時のズレが生む効果が、個人的によく分からない次元で面白い。