アメリカのプロレス

WWEで最も話題になった試合は、WWEのCEOビンス・マクマホンJr.対ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの試合だろう。


スキンヘッドで、ブルーカラー丸出しの作業服着たストーン・コールドが、仕事中にビールを飲み、会社上層部を批判し、スーツ着てネクタイを締めたホワイトカラー丸出しのビンスを殴る映像がTVで流れて、話題になった。


いま、ノアのKENTA選手が仲田龍批判をして、ストーンコールドのコピーをしているし、本家のWWEでも全身刺青のCMパンク選手が、同じことをやっているのをみても、類似品が出回るぐらいにビジネスとして成功したのがストーンコールド対ビンスマクマホン戦だったと言える。


コピー・類似品とオリジナル・本家の違いについて語ると、当時のWWEWCWと興行戦争をしていた。1980年代前半にWWEがアメリカのプロレス市場をほぼ独占した。それまでのNWA時代のプロレスはテリトリー制で、3つ〜5つぐらいの州ごとに地元団体のプロレスがTV放送されていたが、WWEがアメリカ全土に放送することで、アメリカのプロレス市場の独占が成されたのが1980年代前半。90年代に入って元NWAのWCWWWEと同じ曜日の同じ時間帯に異なるチャンネルでプロレス番組をぶつけてきた。俗にいうマンデー・ナイト・ウォーズで、資金力に勝るWCWWWEの視聴率を上回り、WWEが窮地に立たされた。それに対するWWE側からの巻き返しが、ストーン・コールドによるアティテュード路線で、プロレス番組の中にバラエティ番組の要素、下品で過激な暴力や性的表現を取り入れた(ジャッカス的な)番組作りをしたとされる。


このとき大事なのは、WWEはアメリカ北部に本拠地(テリトリー)を持つ団体で、WCW(NWA)はアメリカ南部の農村地域にテリトリーを持つ団体だということ。ネクタイ締めてスーツを着たビンスと、農作業用の、もしくは工業用のトラクターに乗ったストーン・コールドの争いは、上司対部下、ホワイトカラー対ブルーカラーの対立を表現するだけでなく、WWEとNWAのマンデー・ナイト・ウォーズや、もっと言えばアメリカの南北戦争をも表象していた。


マンデー・ナイト・ウォーズで巻き返しをはかる上で、相手陣営に見立てた人間を自分たちの番組の中に登場させて、活躍させることで、相手陣営のファンを自分たちの番組の中に取り込んだ。これはすごくアメリカ的なやり方だ。


私見だが、ナチスドイツは映画の中でユダヤ人を悪者に見立てることで、内政の不満を外(ユダヤ人)に向けさせるよう世論操作をしたが、政府がメディアを使って世論操作をするのは、他の政府もやっている。敗戦直後の日本で、悪役の白人を、善玉の日本人(と当時は報道されていた)力道山がやっつけるストーリーのプロレスをやって、日本で人気を博したとされるが、そのプロレスをやらせていたのは、GHQの流れを汲むアメリカ政府だと思う。そもそもその時代、日本にプロレスなんて物はなくて、アメリカ直輸入なわけで、アメリカ側からの依頼がないと日本側には、そういう物を作るという発想がない。ナチスとは逆だが、自分たちを悪役にすることで、まずは相手陣営の興味共感を得る。自分たちが作った場に相手陣営が乗ってくれば、自分たちのイメージアップは後々何とでも出来る。


話を戻すと、アメリカのプロレスは、日本と比べると、選手個人よりも、選手個人という記号が指し示す概念の方に重きが置かれている。力道山&木村組対シャープ兄弟ではなく、日本人対アメリカ人(=太平洋戦争)だったり、ビンス・マクマホンJr.WWE・北部)対ストーン・コールド(NWA・南部)だったり。ノアのKENTA=ノー・マーシーの場合、KENTAという個人・記号が、どんな概念を指し示しているのか、何を代表しているのかが見えない。これはノアに限らず、日本のプロレス全般にそうで、プロレスの動き・殺陣の部分は輸入出来ているが、選手という記号を使って、どんな概念を発生させるのかとなると非常に弱い。