国内武者修行

プロレスに関して。
昔のプロレスラーは、


プロレス団体に入門
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練習生として練習
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新人としてデビュー
    ↓
(ヤングライオンなど)新人枠で前座試合をする
    ↓
海外武者修行
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凱旋帰国後、若きエースとして活躍


という出世コースが一般的で、前座で試合を作れるようになったら、海外に行って、他団体への道場破り的な位置で、外国人ヒールとして参戦し、新聞やマスコミなどに話題を提供したり、ヒールが道場破りをするストーリーを作って語る仕事を覚えた。一目見て外国人ヒールだと分かる格好をするため、メキシコだと地下足袋を履いた田吾作スタイルで写真を撮ったり、自国の民族衣装を着たり、試合に到るまでのストーリーやキャラクターの部分を伝える作業をそこで覚えて、外国でトップヒールになれば、凱旋帰国するというのがパターンだった。NWAが崩壊して、北米のプロレス市場がWWEの独占状態になると、国外武者修行の受入先が無くなって、新人レスラーが自団体内でランクアップする方法が極端に減った。真壁刀義選手や杉浦貴選手のように国内の他団体に参戦して、トップヒールを張るというルートを経ないと、いつまで経っても新人扱いで、新人のベビーフェイスから、中堅のヒールに転向されても、その団体のファンは、新人時代からその選手を知っているため「いまはあんな格好をして、あんなことを言っているけど、本当は良い人なんだよ」と古参のファンに語られてしまう。新人枠から抜け出そうとした時に、自団体の外で武者修行は必要だ。自団体の中だけで試合をしていると、先輩には気を使うし、試合の組み立ては先輩が決めるし、ストーリーライン、選手としてのキャラクター、すべて先輩に言われたままやるだけで、自分で物を決めることが出来ない。ノア-新日の対抗戦で分かったのは、他団体の試合に参戦すると、良い試合ができるのに、自団体ではそれが出来ない若手選手が一定数いるということだ。


妄想の域で色々語るが、いまの日本にはNWA時代のアメリカに負けないぐらい地域密着型のインディプロレス団体があって、毎週もしくは毎日、数百人規模の小さな会場ではあっても、コアな固定ファンを持っている。メジャー団体が選手育成のために国外武者修行に選手を出すのも良いが、国内武者修行としてインディ回りをさせるという育成方法もあって良いと思う。一つは国外武者修行に出すとき、就労ビザを取るにはお金が掛かるし、学生や観光目的のビザでは、試合が出来なかったり、出来る試合に制限があったりする。ある程度試合の出来る選手が、武者修行先で身に付けるべきことの一つは、話題を提供し、集客するスキルだ。国外の場合、選手は外国人であるため、それだけでヒールとしての話題を提供できるし、メキシコの場合、相対的に体の小さな選手が多いため、日本人選手でも背の高い大型レスラーに見えることが多い。メキシコに遠征した選手は、トップヒールとしての自信やオーラを持って帰ってくる事も多い(例:後藤洋央紀選手・内藤哲也選手)。それと同時に、メキシコで覚えた客席の煽り方、ヒールとしてブーイングを引き出すパフォーマンスが日本では通用しないことも多い。メキシコでは生意気な外国人のパフォーマンスに見えたものが、日本では若手新人選手の精一杯のいきがりとしてお客さんに拍手されたりする。本人がいくらヒールを名乗っても、客席がヒールとして認めてくれない。メキシコ帰りの壁みたいな物が存在している。逆に北米の遠征から帰ってきた選手は、相対的に体の大きなアメリカ人選手に混じって試合をしてきたため、小柄な選手が大型レスラーに対して使う技を身につけて帰ってくることが多く、遠征前は大型パワーファイターのファイトスタイルだった選手が、凱旋すると、小型のテクニシャンファイターのファイトスタイルで、自分よりも小さな日本人選手相手に闘っていることもある。北米帰りで大型レスラーのオーラをまとって凱旋できる選手は中西学選手や森嶋選手など意外に少ない。一般にメキシコよりも北米に行った方が選手の体は物理的に大きくなるが、選手としてのオーラやファイトスタイルを見ると、メキシコ帰りの選手の方が大きく見せる技術を身につけて帰ってくる。メジャー団体の選手が国内のインディ団体・メジャー他団体に参戦して戻ってきた場合、メキシコやアメリカと違うのは、日本語でのしゃべりが上手くなって帰ってくる。メディアに話題を提供するのが仕事のヒール=道場破りを経験すると、シリーズを通してのストーリーラインの作り方やマイクパフォーマンス、スポーツ新聞の見出しになるような言動など、言葉のスキルが上がる。これが今の日本のプロレスにおいて重要な部分だと思う。


征矢学選手http://soya-manabu.net/が、カナダのTNAプロレス学校(Can-Am Wrestling School)へ無期限国外修行に出たらしい。自分よりも後輩の真田聖也選手http://sanada-seiya.net/が師匠の西村修選手に勝利する中、真田聖也に負けた西村修に完敗という結果が厳しかったのだと思う。週刊プロレスに載ったその試合直後の征矢学選手の顔は、悔し涙と怒りの混じったイイ表情だった。
征矢学選手に同情すべき点は多い。無我でプロレスデビューして、デビュー後、師匠の西村選手と無我が分裂し、西村選手は武藤全日入りし、無我はドラディションになる。師匠についていき、武藤全日入りしたは良いが、諏訪魔選手のような武藤全日の生え抜きでもなく、武藤全日内無我派閥みたいな中途半端な枠で、肩身の狭い中、その狭い無我の中の後輩に抜かれる。武藤全日を見渡すと、相撲から入ってきた浜亮太選手やパンクラスから入ってきた船木誠勝選手など、他競技での実績を引っさげた中途採用者が出世コースに乗っている。はっきり言って生え抜きの新人エース諏訪魔選手ですら中々上に行けないなか、無我出身枠でどう上に行くのか、想像するだに厳しい。練習と共に体が大きくなり、ファイトスタイルも師匠の西村選手のようなスタイルから最も遠いパワーファイターが向いていると思い、長州力選手に弟子入りを志願するが断られる。武藤全日で長州スタイルを目指すなら、浜選手と闘って押し負けない体を作らなくてはいけない。どちらにしろ厳しい道だと思う。パワーファイターの長州選手が、テクニシャンファイターの西村選手を育てられなかったように、西村選手もパワーファイターを目指す征矢学選手を育てられず、結果、TNAのプロレス学校へ入学。ビザの関係があるとはいえ、一応プロの選手である征矢学選手が、いまさらプロレス学校の生徒からやり直し。レスラーとして最底辺だと思うが、プロレスは底辺からの成り上がり、というギャップを見せる競技でのあると思うので、がんばって欲しい。でも、自信の無さが欠点でもある征矢選手が北米行って自分よりもデカイ選手を見て、今以上に萎縮した試合してもしょうがないだろうとも思う。やっぱ国内武者修行で沖縄プロレス大阪プロレスみちのくプロレスなど地域密着型の団体に道場破り=ヒールとして参戦して、成功も失敗も自己責任でやった方が、プロレス学校で先生に言われたことをやっているより早く成長すると思う。