プロレス

について書くことは、私にとってマイナスしかないのですが、しかし自分の内面にグダグダした感情が溜まって行くのはツライので、こういう形で吐き出す次第であります。


格闘技ブーム(PRIDE、K-1)→WWEブーム(エンタメ)→インディブーム(エンタメ)
ときて、既に下り坂の格闘技に、プロレスがどう便乗するのかなどと考えるのはマイナスで
インディープロレスブームの次を見た方が良い。
いまインディーで人気があるのは西口プロレスDDTますだまつりのようなお笑い系で、プロレスラー対透明人間とか、プロレスラー対イスとか、そういう試合になっている。つまり、プロレスがガチンコではなく、台本がある殺陣なのだというのを笑いにしているのだが、それはプロレスがガチであるという建前があって初めて笑いに成る。建前がなくなった後には、何が起きるのか?
新種のプロレスがブームになると「**スタイルの原点は猪木にあった」などとよくプロレス雑誌には載る。しかし、このインディプロレスの原点こそ猪木選手対ジャニーズの滝沢君の試合であり、「ホウキ相手でも名勝負を作り出す」という猪木選手のキャッチコピーそのものだ。
プロレスラー対イスという試合を見て、最初はプロレスを馬鹿にして笑う。折り畳みイス相手に試合をして、馬鹿じゃないのかという話だ。しかし長く見慣れてくると、折り畳みイスをまるで生き物のように動かし、飛んだり跳ねたりしながら最後はイスに投げられて負けるレスラーの動きを見ると、それが芸術に見えてくる。
どんなド素人相手でも名勝負を作り上げる殺陣こそ、プロレスラーの技術であり、その技術がある一定以上に達すると感動すら与えることに気が付く。
プロレスの下手な素人の典型として、イスやホウキや透明人間(一人でプロレス)を出し、自力で動いたり投げたり出来ない静物相手に投げられ受身を取る。それが上手い選手ほど良い選手だという視点でプロレスを見ているマニア層が結構多く、プロレスが下火の昨今、自分でチケットを買い会場にプロレスを観に行っているようなマニアの人としゃべると、派手な動きをする主役よりも、どんな下手な素人(時として芸能人や格闘家やボクサーや静物)相手でも名勝負を作り出す脇役・負け役に賞賛を送る人が多い。
ハッスルやW-1や異種格闘技戦で、プロレス経験のない素人相手に上手に投げられる選手こそ名レスラーであるという思想だ。十年前だとNWOの蝶野選手のコアなファンがそういう人たちであったし、いまインディプロレスを観ている人達がそういう人達だ。ちなみに、この層が一番嫌うレスラー像は強さを誇示するレスラーだ。プロレスで勝つ選手は受身を取らなくていいため、素人でもイスでも良い。技術がなくてもただ立っているだけでも良い。音楽業界でいうと、ルックスが良くて歌が下手なアイドル歌手で十分だとみなされる。負ける側の、受身を取る選手こそ、プロとしての技量や技術のある尊敬できる選手であり、音楽業界で言うところの、作詞作曲編曲をするプロデューサーやスタジオミュージシャンになり、マニア層の尊敬を一身に浴びる存在となる。

総合格闘技ブームでプロレスは弱いとなり、WWEでプロレスは台本があるとなり、インディに到ってプロレス界の種明かしが進む中「いかにして総合ルールで勝てるプロレスラーを生み出すか?」という問い自体が時代と逆行する問いになりつつある。「受け」の上手いレスラーが尊敬の対象となるのだが、ノアの受けと新日本プロレスの受けは根本的に違う。頭から場外に落とされても怪我をしないよう受身を取れるのがノアの受けなら、ランカシャースタイルの攻防を身に付けた殺陣こそ新日本の受けだ。


世界中でプロレス専業で食べて行けるレスラーのいる国は日本とアメリカとメキシコしかない。ヨーロッパは少し前まで専業レスラーが食っていけたが、いまは苦しいらしい。
すると世界中でプロレスのスタイルは大きく分けて、
・アメリカンプロレス
・メキシカンプロレス(ルチャ)
・日本式のプロレス
・ヨーロピアンレスリン
の四つほどで、ストーリー重視の演劇的なアメリカ、空中を跳ぶ新体操的なメキシコ、空手のハードタッチが入った日本、グラウンドでの投げ技・関節技・絞め技が入ったヨーロピアンレスリングがあり、ヨーロピアンレスリング≒ランカシャースタイルにこそ、新日本的な受けが存在する。
打撃無しのガチのキャッチレスリングではAという大技で相手の関節を極めたい時、A’という体勢に持っていかないと、極まらないとする。当然相手は、自分の思う通りに動いてはくれないので、A’という体勢に持っていくこと自体が難しい。
そこで、比較的簡単な小技であるBという技を相手に仕掛ける。Bという技を掛けられた人は、その技から逃げるためにA'という体勢に自分から動いてしまう。すると次にAという大技を仕掛けて相手をしとめることが出来る。
具体的な例だと、相手の右腕を取って、内側にねじると、ねじられると痛いので、ねじれを解消するため自分の体ごと内側に回ってねじれを解消しようとする。そのとき対戦相手に背を向けることになるため、背後からのチョークスリーパーなどに持っていかれる可能性がある。
ヨーロピアンレスリングはキャッチレスリングの流れの上にあるので、個々の技をつなぐ流れが非常に滑らかで理にかなっている。アントニオ猪木元オーナーは試合中に変な間があいて、客席から失笑が漏れるのを極度に嫌う。キャッチレスリングのベースがあれば、試合中に変な間があいて、客席から失笑が漏れることはないはずなのだ。


以前、四代目タイガーマスク選手VSヒート選手の試合をテレビで見た。四代目タイガーマスク選手はときどき猪木元オーナーから強く批判される選手だ。その日はタイガーマスク選手の体調が極度に悪かったのか、普通の入場シーンで花道から客席に足を滑らせて落ちた。台本にはないハプニングのようだ。先に入場していた対戦相手のヒート選手がすぐに駆け寄り、客席に落ちたタイガーマスク選手をストンピングし、解説者は「あれはストンピングしなきゃダメでしょう」と言っていた。実質、体調の悪いタイガーマスク選手を抱き起こしに行くと同時に、少し横になって休む時間を与えるためにストンピングもしておかなくてはならない…辺りが実情だろう。試合は、タイガーマスク選手が他の選手には出来ないような派手な空中殺法を単発で出すのだが、一つ技を出すと、次の技を出すまでじっと休んで呼吸を整えるまで十秒、十五秒休まなくてはならない、そんな状態だった。ヒート選手の仕事はタイガーマスク選手が呼吸を整え、次の技が出せるようになるまでの十五秒ほどをつなぐことにある。技を掛けられて倒れたヒート選手が、気を失った状態から、目を覚まし、辺りを見回す。うつぶせに倒れた状態から、突然、すばやく後ろを振り向く、後ろに敵からの気配を感じ即座に反応するが、当然背後に敵はいない。突然、右にすばやく振り向き敵に備えてすばやく構える。が、右にも敵はいない。ふっ、と左に反応するがそこにもいない。正面に立つタイガーマスク選手を見上げるようにまだ四つんばで倒れた状態のまま、ゆっくりと正面に構え、何故自分がここにいるのか失った記憶をたどるように、ぼんやりとした構えから、突然後ろに飛びのき、相手を警戒する。まだ中腰から立たない。左足を立てひざに構えたまま、右足でバンとマットに踏み込みフェイントを掛ける。こちらが攻める気配を見せても、まだ相手が反応をしない。しかし相手は絶対に攻めてくるはずだ。タイガー選手を警戒しながらゆっくりと立つ仕草をする。


これらの動きをヒート選手がしていなかったら、技と技の間に変な間が空いた失笑の漏れる試合になっていただろう。真剣に闘っているという設定の下、リングの真ん中で大の男二人が見詰め合ったまま動かないため、男同士のラブシーンみたいな変な空気が流れたりする。ガチンコに見える試合を作るにはヨーロピアンレスリングがどんなに地味であったとしても必要だ。単発の技と技の間をつなぐ流れを作るのがヨーロピアンレスリングであり、新日本プロレスの一番の基礎になっている部分だ。(上のヒート選手の例はすごくアメリカンプロレスな気もするが)


全てのプロレスの基礎はヨーロピアンレスリングだと言う人達がいて、まあ、そうだと思いもするのですが、ヨーロピアンレスリングが出来ないプロレスラーをこき下ろす人を見ると(2chに多い)それも違うと思う。ヨーロピアンレスリングは脇役のレスラーが出来れば良い話で、主役のレスラーは自分にしか出来ない派手な大技が単発で出来れば良いのであって、派手な大技しかないレスラー(Ex四代目タイガーマスク選手・中西学選手)をこき下ろす心境にはなれない。個人的には主役か脇役か分からない永田選手のスタイルの方が納得できなかったりする。


新日本プロレス内においてランカシャースタイルは強さの象徴として機能していたようだが、むしろイス相手に試合の流れを作るエンタメプロレスにおいてこそ、ランカシャースタイルのベースが必要になってくる。