プロレスにとってガチンコとは何か

K−1MAXで小比類巻選手が優勝した事に関して、大手匿名掲示板2ちゃんねるをみてると、批判が多くあるわけだ。
K−1MAX日本大会で、前回優勝者の小比類巻選手が、1回戦で安廣選手と戦って、ダウン気味のスリップをもらって、延長でも手数もらっていたのに、判定勝をしてしまって、2ちゃんねるの人達が言うには、「K−1MAXは八百長だ」と。
正直、一回戦で小比類巻選手が勝ったとき、客席からすごいブーイングが起きた。小比類巻選手も苦笑いしていた。でも、準決勝と決勝でKO勝ちしたから、最終的には小比類巻選手で良かったと思うが、「八百長/ガチンコ」の境界の曖昧さは気になった。


八百長←プロレス−格闘プロレス−プロ格闘技−アマ格闘技→ガチンコ


と四つを同一線上に並べたときに、四つの境界線が曖昧に存在しつつも地続きになっている。
アマチュアボクシングとプロボクシングの違いをみると、

  • アマチュアは3ラウンド制で試合時間が短い
  • アマチュアはポイント制でKOよりもクリーンヒットの数で勝敗が決まる
  • 競技人口がプロより多い

参照HP
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/6865/rules.html
プロボクシングは、チャンピオン対挑戦者だと、判定では挑戦者が不利、特に人気・集客力があるチャンピオンの場合、KO以外では負けない。
プロボクシングでチャンピオンと戦うには、強さ以外に、集客力や話題性やチケットノルマやスポンサーが必要になる。お客さんか企業がその選手・試合にお金を出さないと、チャンピオンと戦う試合は組まれない。
さて、プロ格闘技はガチンコなのか?2ちゃんねるで、小比類巻選手を叩いていた人達の論理でいくと、プロボクシングもガチンコ(=強さだけの世界)ではないとなる。アマ格闘技の方がより純粋に強さだけの世界でできている。なら、アマ格闘技の方が良いのかとなるとそうとも言えない。
アマレスやアマ柔道の大会では、競技者=観客なわけで、一つの会場で4つも5つも競技スペースがあり、同時に4つ5つの試合が進むため、観客はどの試合を見て良いか分からないし、基本的に誰も試合を見ていない。試合を見せることよりも、何百人・何千人いる競技者の試合を一日で全部こなすことに重点が置かれる。
その点、プロ格闘技は、

  • 少数のスター選手のみで試合を組まれる
  • 客席に何を見せるのかがはっきりしている
  • 一試合が長い
  • ポイントによる判定勝負でなく、KOや一本といったわかりやすい勝ち方が好まれる

人気のある少数の選手のみで試合を組む地点で、プロ格闘技はインチキだという言い方もやろうとすれば出来る。判定勝負でなく、派手な勝ち負けを要求させるのだって、インチキだといえば、そうも言えるだろう。
ただまあ、このプロ格闘技というのは、一応、プロレスと違って、どちらが勝つというのが試合前に決まっていないわけだから、ガチンコだといえばガチンコとも言える。
格闘プロレスというのは、選手には事前にどちらが勝つというのが伝えられていて、かつ客席にはガチンコっぽい演出をしているものをいう。アマ格闘技・プロ格闘技出身の選手が格闘技の技術を見せる組み手やスパーリングに近いプロレスだ。
格闘プロレスじゃないプロレスというのは、空中を舞うメキシカンプロレス=ルチャや、WWEのようなアメリカンプロレス、場合によっては、試合前にメディアにどの選手が勝つかプレスリリースを流すようなプロレス、公の場で、ガチンコでない事を公言するようなプロレスをいう。
ガチンコを純粋に追求すると、アマ格闘技になる。何千人・何万人のアマチュアが一同に集まって試合をする。試合を見せることよりも、全競技者の試合を予定時間内に終えることが最重要になる。PRIDE−リングス−修斗と並べると、PRIDEがより競技人口を絞り、修斗がより競技人口を広げたと。PRIDEのようにメディア露出に予算を使うのか、リングスのように海外の無名で強くてデカイ選手を集めるのにお金を使うのか、修斗のように、太極拳少林寺拳法のようなアマチュア競技化への予算を組んでいくのか、何が正しいのかはよく分からないが、プロレスと格闘技の間に線引きがあるなら、プロ格闘技とアマ格闘技の間にも線引きはあると思う。


プロレスの試合で、これはガチンコだなと思った試合があって、確か去年2004年のG1だったと思うが、蝶野選手対中邑選手の試合だ。
試合前の予備知識として知っておきたいのは、蝶野選手は40歳を過ぎていて、首を怪我しており、本人もマスコミの前で自らの体のことを「一般人以下」と言っている。首の骨を怪我している以上、怪我を悪化させると首から下が動かない植物人間になる可能性がある。だから、リングで背中から落ちるなんてもっての他で、出来るわけがない。長年プロレスラーをやっているとみんなどこかしら怪我をして、ヒザを悪くして普通の歩き方が出来なかったりヒジが180度開かなかったりするという。メディアの前で本人がそう公言する以上、観客の誰も蝶野選手を強いとは思っていない。でも新日本プロレスという大手プロレス団体の中で、演出能力の高さを買われ、次期社長という声も高い。社内の権力はあるわけだ。
対する中邑選手は、青山大学のアマレス部主将を務め、K−1アレクセイ・イグナショフ選手にも総合格闘技ルールで勝ち、プロレス以外に総合格闘技でも通用する20代の若手有力選手だ。ずっとアマレスをやっていて、格闘技で認められたけれども、プロレスラーとしてのキャリアは短くて、プロレスラーとしては未熟だという見方も当時あった。
この組み合わせで試合になった時に、試合前に、中邑選手が蝶野選手に露骨に敬意を表して、頭を下げて握手を求めたわけだ。ゴングが鳴る直前に、若くて強い側が、権力があって弱いレスラーに、「プロレスを学ばせて頂きます」という姿勢を見せてしまったわけだ。「あっ、馴れ合いだ、この試合つまんねぇ−」と客席は思うわけだ。
試合が始まってまず、蝶野選手が中邑選手をロープに振ろうとしたわけだ。蝶野選手が中邑選手の左側に立って、右手を背中から回して中邑選手の右肩に手を回す。左手は左肩。格闘技と違って、プロレスはロープに振られたら、ロープに向かって飛ばなくてはならない。これがプロレスだと、プロレスの基本を教える蝶野選手。そのまま中邑選手の背中をぽんと叩く。これは、プロレスで「ロープに振るぞ」とか「次、フィニッシュホールドな」という合図に使われる符丁だ。カウント2で立ちあがる、カウント2で立ちあがる、で、客席に分からないようポンと背中を叩いて、投げるとカウント3入って試合終了。背中をポンは「分かっているよね?」という合図だ。背中から回した右手で中邑選手の右肩をつかみ、背中をポンと叩き、格闘技は強いけどプロレスを知らない若手に、プロレスの基本を教えるよという蝶野選手、さぁロープに振るかと思ったら、物凄いスピードで右手で中邑選手の左肩をつかみ、中邑選手の胸元に回した左手で右肩をつかんで、中邑選手を後ろのロープに振った。
その瞬間の中邑選手の顔はまさにパニックで、訳判らなくて混乱し真っ白になっているのが客席からも分かる状態だった。前のロープに振るよという伏線をゆっくりと丁寧に何重にも張っておいて、いきなり後ろのロープに振った訳だ。パニくる中邑選手に蝶野選手は中邑選手の前斜め下に今度は振ろうとした。前斜め下には当然、ロープはなく、マットしかない。パニくる中邑選手だが、さっきの失敗を取り戻そうとするかのように、斜め下に飛び込む。その飛び込む中邑選手の顔面を蝶野選手が蹴り上げ、蹴り上げられた顔面が宙を舞って後ろへ崩れ落ちるときの中邑選手の顔は、「これが蝶野選手のやりたかったプロレスか」と意図を理解し、安堵の表情を浮かべて気持ちよく倒れていった。そこから先の試合はすごかった。わざと間違ったデータを渡して、自分についてこれないよう仕掛ける蝶野選手と、噛み合わないプロレスを指向する蝶野選手に、アドリブでギリギリついて行こうとする中邑選手。次から次に訳の分からない要求が出される訳だが、それらをぎこちないなりに流れるような動きで何とかクリアして、最後に倒れる寸前に返し技で蝶野選手の後頭部を軽く蹴った中邑選手。ついて来れないだろうと思った動きにアドリブで対応するだけじゃなくて、最後に返し技で返して来る中邑選手にマジで驚いていた蝶野選手の顔。あの試合はプロレスにおけるガチンコとは何か?ドキュメンタリー性とは何か?を感じさせる試合でした。