思想地図‐ゼロアカは医者-患者

NHK出版時代の思想地図http://www.amazon.co.jp/dp/4990524306/の原稿募集と、ゼロアカ道場http://www.amazon.co.jp/dp/4062837056/の原稿募集の違いについて、「ゼロ年代とはなんだったのか」で質問が出ていて、私個人が感じたのは、形而上学で人を救う側の人と、形而上学で救われた側の人の違いがあるのじゃないかと。医者と患者の関係でも良いけど、風邪を治す名医がいたとして、その名医が風邪をひいた経験がなく、医者や風邪薬の必要性に疑問を感じているとして、虚弱体質で年中風邪をひいている患者が、こういう症状でこういう風に困っているときに、このお医者さんにかかって、この風邪薬を処方してもらったら、こんなに楽になったと語る事はそれなりに意味があると思う。


実際のトークショーでは、両者の学歴の違いが語られていて「ゼロアカは最高学歴でも早稲田だ」と言われていた。大学の准教授クラスが投稿して来る思想地図と、学生が投稿してくるゼロアカゼロアカの早稲田も、東大卒で早稲田の大学院卒だから、偏差値40台の三流大卒の自分と比べれば充分高い偏差値なのだが、学生と学内で研究職に就いている人だと色々違うのは分かる。別の言い方だと「官僚と運動家」の違いなんかも語られていた。いまあるシステムの中で最も効率の良い最適解を出すのが官僚の仕事で、運動家や革命家はいまあるシステムを疑うところから始める。


私の主観で言えば、批評空間http://www.amazon.co.jp/dp/4872332032/とオルガンhttp://www.amazon.co.jp/dp/4768466907/の関係がNHK思想地図とゼロアカになっている気がする。竹田青嗣小阪修平は、哲学によって救われた経験を語る。在日二世で、親は在日一世。竹田青嗣の著書によると、
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在日は大企業に就職できないから、自営業が多く、夫婦がいつも家にいるので夫婦喧嘩が絶えなかった。そういう家に育ったので、自分はサラリーマンになりたかった。大学に行くと、マルクス主義思想が吹き荒れていて、サラリーマンになるという小市民的な夢から、革命という夢に目標が変わった。周りの学生運動家達は、就職活動をしない振りをして、内定を取っていたが、私は在日だからどうせ就職できないないだろうと最初から就職活動をしていなかった。左翼運動が挫折して、社会に出て肉体労働をしていたとき、サラリーマンになるという元々描いていた夢がかなっていないことにきづいた。


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そういう傷口があった上で、小阪修平の「ヘーゲル平らげ研究会」に入り、哲学に救われる経験をする。小阪修平自体が在日二世で東大中退。心の闇なり、欠落欠損を抱えていた人が哲学によって、その欠落を埋められるというのが、オルガンのベースにある。


ヘーゲル平らげ研究会のあった時期、70年代後半〜80年代初頭において、ヘーゲルは一番ダサい思想だったと思う。精神現象学の第三章がまんまヒトラー我が闘争第三章に影響を与えていて、黒人の原始共産体が古代で、黄色人種の封建制度が中世で、白人の市民社会が近代だという歴史観で、ナチス優生学につながるし、弁証法は選挙における数の論理で、少数民族の弾圧につながる。在日であった小阪修平竹田青嗣にとってヘーゲルは敵側の思想で、そこに癒される要素は無いと私は思うのだが、実際問題としてヘーゲル平らげ研究会の人たちは、ヘーゲルの思想に癒されたわけだ。


オルガンの人達は、吉本隆明の転向論http://www.amazon.co.jp/dp/4061961012/を支持する。転向論はマルクス主義が挫折する中で、転向を肯定する思想として注目を浴びた、キリスト教を題材にした本だ。ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教の世界に育ったキリストが、ユダヤ教から転向してキリスト教を起こす。キリストの弟子であったユダがキリストの教えに背いてキリストを売る。同じ転向者だと言う意味で、キリストに最も近い弟子はユダだと転向論に書かれている。ユダヤ教はある種の古代法・律令で、殺人強姦窃盗を禁止している。ただ、その法律はユダヤ教徒の中でのみ通用する。敵対する部族や戦争状態にある外部の人間に対しては、それらの禁止は適用されない。キリストはユダヤ教徒以外にも、それらの禁止を適用すべきとした。ユダヤ教を外に適用することで、キリスト教は世界に広まった。


在日一世の子供として生まれ、親は韓国人で、日本人は敵だと親から教育を受けた在日二世が、反抗期を向かえて、群れで生活する動物が群れを離れて一人立ちをするように、親の教えに背いて群れから出ようとする。在日韓国人村の外には、多くの日本人がいることを知り、日本人の中で、サラリーマンとして日本人と仲良く生活したいと思う。そうは言っても現実には差別はあるだろうし、楽な道ではないことも予想される。在日二世の立ち位置と転向論のキリストの位置は似ているし、ヘーゲル弁証法とも似ている。


別冊宝島から出たオルガン関係者の著書で「別冊宝島 現代思想・入門 世界編」http://www.amazon.co.jp/dp/4796690441別冊宝島 現代思想・入門2 日本編」の二つは、私の中で結構大きくて、世界編の専門用語解説は竹田青嗣を中心に、辞書として使える作りになっている。日本編の小阪修平のパートは、学術的にはほぼ無意味な体裁で、失敗していると言っても良いのだが、問題意識というか、ある種の傷口が生々しく記載されている感じが、ゼロアカのそれとも似ていて、解決策は無くただ、症例と症状だけが載っている。


別冊宝島 現代思想・入門では、映画の「狂い咲きサンダーロード」と「爆裂都市 BURST CITY」が絶賛されている。どちらも暴走族を扱ったアクション映画だ。


日本で最初の組織化された暴走族は、エンペラー(ブラックエンペラー)と言われている。まだ、警察とヤクザが仲良かった時代に、ヤクザが警察から暴走族の取り締まり情報を得て、いつどこを走れば捕まらないかを指導して、警察的にも住民のいない場所を走らせることで、近隣住民の苦情を抑える狙いもあり、暴走族としても、ヤクザから暴走族のステッカーを買って貼って走れば、警察に捕まらないということで、人のいない波止場や工場跡地を暴走族が走っていた時代がある。


狂い咲きサンダーロードのテーマは、暴走族取締り条例が発令されて、走れなくなり解散する暴走族と、それでも走ろうとする個人の対立で、主人公の少年は、解散した暴走族とそのバックについている右翼団体、取締りを強化する警察、全員を敵に回して銃撃戦をする。


この映画に在日二世がどう共感するのか。エンペラーは日本語で言えば天皇でしょ、右翼団体は在日の敵でしょ。普通に考えて共感しようが無い。関西で生まれた最初の組織的暴走族が在日村で生まれた日韓連合だったという情報はありだとしても、インテリの大学教授が人前で語るにはふさわしくない映画だと思う。70〜80年代の宝島という雑誌http://item.rakuten.co.jp/miurashoten/20130316012ms/が描いていた世界は、自分が生まれ育った村から出ていく若者の物語で、在日韓国人村で「日本人は敵だ」と言って村の中に一生いれば、安定した生活送れたわけじゃん。村のおきてに背いて村を出て行く、外では在日韓国人差別がゼロではない、人間的なこと制度的なこと、色々ある。狂い咲きサンダーロードは、警察に守られた暴走族から、警察を敵に回した個人の暴走行為に移行して行く話で、そういう宝島的な切り口で思想を消費したのがニューアカデミニズムだった。ゼロアカもそういう系譜だと思う。


哲学史的に言えばレヴィナスなんかは哲学に救われた患者側であって、哲学で人を救った医者ではないと思う。