映画史

博士の異常な鼎談http://d.hatena.ne.jp/kidana/20121210見ると、
町山さんは映画評論家だし、宮台さんは映画監督になるのが夢だったらしいし、映画をまったく面白いと思わない私も、映画史関連の本1冊ぐらいは読まないといけないのかなぁと思う。
宇多丸さんとか町山さんは、ハリウッド映画好きで邦画嫌いだけど、自分はハリウッドやヨーロッパ映画含めて、映画全体を退屈に感じる。むしろ雑誌やラジオなどの非映像メディア、活字や言葉の方が面白いと感じるが、自称オタク見習いとしては、映画知らなきゃいけないのかなぁ。


邦画に関して言えば、1970年代と80年代の間に決定的な断絶があるような気がする。70年代までは映画監督は映画会社の社員で、入社試験を受けて入ってきた会社員だった。70年代後半に一般向けに8ミリフィルムが発売されて素人向けの映画コンクールが大々的に行われ、自主制作映画から映画監督になるのが、映画監督になる正規のルートになっていった。音楽業界だと、1960年代以前の作曲家は音楽大学卒のレコード会社の社員だったが、グループサウンズブーム以降、バンドマンからミュージシャンになるのが正規のルートになって行ったのに近い。


1970年代前半の邦画は、貧困問題や公害社会問題を取り上げた社会派・文芸作品が多く、70年代後半に入ると、映画会社所属の映画監督が次々にクビになって行き、自主制作映画出身監督がストーリーよりも特撮・映像効果を重視した実験的な映画を作って、80年代に入るとTV局発信の映画が増えて、映画監督もTV局出身になる。当時の地上波TVはCMの広告料で持っているから、社会問題を扱ったり、社会批判をしたりはしない。企業の出す工場廃液の公害を扱えば、企業のCMが打ち切られる。自動車の交通事故を扱えば自動車のCMが打ち切られるし、薬害を扱えば製薬会社のCMが打ち切られる。家電を買って、炭酸飲料水を飲んで、リゾート地に行けば、こんなに楽しくて幸せな生活が出来るという、全編CMのような映画が作られる。


映画に限らず、70年代の社会の暗部をより暗く、より絶望的に描いた時代と、80年代の明るく楽しくハッピーにバカ騒ぎがメディア上で強制されていた時代の落差が、陰謀論や3S政策や洗脳に興味を持つ自分を育て上げた気がする。オイルショックや不況があったから、メディアが暗かったのではなく、メディアが暗かったから不況マインドが形成されたと思う。メディアが暗い話ばかりして、ノストラダムスの大予言みたいに、終末論が流行る状況だと、将来を悲観して自殺する人や、メディアに触れることで暗くて嫌な気分を味わう人が生まれるだろう。


同じようにメディアが、明るいバカ騒ぎだけをし続けていると、暗くてシンドイ現実を生きているのは自分だけで、痛みや悩みを共有できる仲間がいないと悲観して自殺する人が増えるだろうし、自分では買えない商品の広告がバンバン流れて、この商品を買うとこんなに幸せでバラ色の生活になる的な映像に嫉妬や不快感を感じる人も増えるだろう。


明るく楽しい物質文明みたいな広告映像は、何故か1950年代のアメリカのイメージで作られて、部屋の壁紙や洋服の生地に、ドットが増える。ストライプ(縦縞)でもボーダー(横縞)でもチェック(格子柄)でもなくドット(水玉模様)になる。映画史関連本読むべきなのかなぁ。