M-1グランプリ2018の感想

*とろサーモン久保田とスーマラ武智の審査員批判
一つは、批判した側・された側含め、全員が毒舌芸なんです。概要リンク
二人一組でやる漫才の過激な毒舌で笑いを取る側=漫才台本を書く側と、
「およしなさい」byビートきよし
「そんなこと言ってはダメですよ」byナインティナイン矢部
「(批判された相方に向かって)ごめんなさい、後で、コイツ、ぶん殴っておきますんで。」by爆笑問題の田中
とフォロー=ツッコミを入れる側で言えば、今回のM-1の審査員席にも、あの飲み会の席にも毒舌芸=イジリ芸の人しかいなくて、イジられたゲストにフォローを入れる、謝罪芸・ヨイショ芸の相方がいなかった。じゃない方芸人と言われる相方の存在がいかに大事であるかが分かる騒動でした。

審査員批判をした側のフォローをすると、若さやルックスで勝負したいなら、アイドルやモデルや俳優で、芸能界を目指しているわけです。ルックスがイマイチでも、実力があれば勝てる世界だからお笑いをやっている。なのに、芸歴8年以下の若手芸人養成用の劇場(無限大ホールなど)では、若い女性の人気投票でランキングが動きます。

私も無限大ホールの一番下のランクの、無名の若手育成枠のショーを観に行って、客席の様子も見るのですが、人気投票というシステムに女性心理が加わると、ややこしいことになるのを知っています。ブサイクだけれども面白い芸人AさんのファンがAさんを観に行って、Aさんの登場でキャーキャー盛り上がって、でも投票になると、劇場に通う女性ファン同士のコミュニティがあって、他の女性ファンからブサイク好きと思われたくないから、ルックスの良い=笑いを一切取れないBさんに投票するという場面が多々あります。

「今回登場した中で、あなたの好きな芸人は誰ですか?」という質問の「好き」を、「恋愛対象」の意味でとらえて投票してしまうのです。少年ジャンプのアンケートで「一番面白かった漫画はどれですか?」という質問の「面白い」を「ギャグ漫画」の意味でとらえてしまう小学生と似たミスが、そこで発生します。

M-1で優勝したトレンディエンジェルも言ってますが、吉本の若手育成用の劇場だと、ブサイクはアンケートで勝てない。アンケートが「一番、笑ったのは誰ですか?」でなく、「あなたの恋愛対象となる芸人は誰ですか?」に成ってしまっているので、勝負のフィールドがお笑いでなくなっている。

ブサイクを自覚する芸人は、劇場では勝てないから、M-1などの賞レースに賭けるしかない。その賞レースで、女性審査員が「(若くてルックスの良い)ミキが好き」と言ったら「劇場と同じかい(怒!」となる。

ただ、今のご時世、権力の場を男性だけで独占すると、それ自体が批判の対象となるので、審査員に女性を入れておくことも重要です。毒舌芸で、女性や高齢者に対する侮蔑的な表現を使ったのは、今の時代のコンプライアンス的に良くなかったです。

*1544088048*二度売れなきゃいけない過酷さ
松本人志はかつて「関西芸人は、関西で売れて、そのあと東京でも売れなきゃいけない」と愚痴をこぼしました。関西で下っ端からスタートして、「4時ですよ~だ」で冠番組を持って、関西のお笑いで天下取ったのに、東京に進出したらまた下っ端からで、関西では考えられないような扱いを、東京のテレビではされた。

これは、東京で賞レースに出る若手芸人も同じなんですよ。お笑いに限らず、コンテストの本質は、主催団体の下働き募集です。賞金だ栄誉だと言いますが、受賞したら主催団体に入って、一番下っ端の新人として下働きをしなきゃいけない。

お笑いの賞レースで、決勝まで残るような人達は、若手育成用の劇場だと、ベテランの域に入る芸歴5年以上の人たちがほとんどで、劇場だと後輩からペコペコ頭を下げられて、偉くなっているし、舞台でも一番笑いを取っているし、後輩の悩み相談にも乗って解決をしてやっている劇場番長です。劇場で売れて、天下取って偉くなった芸人が、TVに出るための賞レースに出ると、優勝してTVに出られるようになったところで、TVの世界の一番下っ端からスタートで、どっきりでバケツの水かぶってリアクション要求されたり、司会者からイジられて、お笑いの対応力がない奴扱いされたりします。

R-1で優勝した三浦マイルドの天狗問題は、劇場番長が番長のままTV局に入ったら、TV局スタッフはじめ、出演者や裏方さん全員から、ほされたという話です。劇場で下っ端からスタートして、頑張って売れて、寄席やライブシーンではカリスマに成って、ちやほやされたのに、TVの世界に入ったら、また下っ端からスタートしなきゃいけない。偉くなった自分の意識を下方修正するのが追い付かない。

賞レースの審査員のコメントが素晴らしいなと思うのは最近のキングオブコントです。
松本人志・さま~ずの二人・バナナマンの2人の5名で、それぞれにコメントの役割分担が行き届いています。審査員の中で一番大御所の松本人志が、出演者に対して厳しいことを言います。TV局側の事情、TVの持つ制約やレギュレーション。耳の痛い嫌な話ですが、松本人志が言うなら仕方がない。

次にバナナマンの設楽が、つい先日まで一緒に舞台に出ていた優しい先輩役としてコメントを出します。君たちの気持ちは非常によく分かる。ワンマンライブでは2時間使ってネタをやって、伏線を何重にも張って、最後のオチに行くのに、TVだと持ち時間4分と言われ、伏線も張れないままオチを言わされて、変な感じになる。舞台での俺達の実力はこんなもんじゃないんだ。TVでは実力が100%発揮出来てないけど、ライブでの実力はこんなもんじゃないんだという気迫は伝わってくる。

さま~ずの二人は、プロの目線で、一緒に仕事をするとしたら、大会出場者のコンビと、さま~ずの二人、4人でどんなコントが出来るだろう?という話を始める。シュールで奇抜な設定が好きな松本人志と違って、日常の些細なあるあるネタを好むさま~ずが、どういう共演の仕方が良いのか、様々なアイデアを出してきます。

最後にバナナマンの日村が「いや~爆笑したよ、なにこれ?頭おかしいの?後ろの客席も、すげーウケてるし、見てて、すげー楽しかった」とプロ目線の分析一切なしで、素人丸出しの感想を言います。人をほめるのに「頭おかしい」とか放送禁止用語ギリギリを出す辺りは、TVのレギュレーションを知らない素人さんですか。始めはプロとしてちゃんと客観的に分析しろよと、怒っていた私も、TVの前の素直な視聴者として振舞う日村に、こういう審査員も必要かもなぁと、最後には好印象に変わりました。

5人それぞれ違う立場、違う観点で物を言っていて、トータルのバランスが取れています。

それと比べたときの「M-1 2018」の審査員コメントの偏り方。じゃない方芸人がいない。素人目線がいない。全審査員が演者で、若手漫才師をイジって笑いを取る大喜利になっています。他の審査員が、若手をけなして笑いを取ったら、自分はもっと上を行かなきゃいけなくなる。イジられている芸人、テレビでは無名の「見取り図」も劇場では、後輩から90度のお辞儀をされている大御所なんですよ。
*1544269633*復活後のM-1
M-1が一時期なくなって、THE MANZAIが後を継いだ時期がありましたが、その復活後のM-1の過酷さや、そもそも何目的の大会なのか?キャリア10年未満から15年未満に出場資格が変更されたことで、大会の目的が、あいまいに成ってしまったなど、以前と比べると出場者側の負担が大きい大会に成っています。


-新ネタを何本隠しておかなければいけないのか
M-1の一回戦は8月スタートで、本戦決勝が12月。約4カ月の戦いです。コント55号萩本欽一さんのコラムによると、TVに出てない寄席芸人は3カ月で1本のネタを完成させます。客前で新ネタを演じて、ウケた箇所、ウケなかった箇所をチェックし、台本を書き換えていくのに1カ月、台本が完成してネタを演じるのに慣れる、動きやテンポや間の微調整に1カ月、完成したネタが客前でウケにウケて、でも使いすぎることで、演者が徐々に飽きてきて、常連のお客さんにも飽きられるのが1カ月。

以前のM-1は番組上、決勝のネタと、ファイナルの2本目のネタ、2つネタを用意しなければいけなくて、8月9月ぐらいに完成したネタを、劇場やTVでは出さずに、別のネタをやって、3~4カ月隠した本ネタを、いきなりM-1にぶつけるのが、優勝するためのセオリーでした。ナイツが漫才で優勝できなかった理由の一つとして挙げられているのは、一番良いネタをM-1前にTVやCMスポットで流されまくったから、2番手3番手のネタをM-1でやらざるを得なかったからだとされています。

TVで散々披露した方の一番人気のネタをやったら優勝したかもという話もありますが、一般のお客さんは昨日見たネタと同じネタを見ても、笑いません。新ネタ、もしくはしばらく見ていなかったネタをぶつけた方が笑い声が大きい。

M-1が一度無くなって、復活後のM-1では、三回戦・準決勝に残った漫才師のネタが公式スポンサーのGYAO!で、ネット動画としてUPされます。数カ月に渡って、みんなが無料で見れる形で公開されます。これは三回戦・準決勝で落ちる無名の若手にとってはチャンスでありがたいことですが、決勝まで上がる出演者にとっては過酷です。和牛がM-1で毎回ネタを変えることで有名ですが、本戦の2本のネタと別に、三回戦・準決勝のネタを2本別に用意しないと、厳しいです。

TVで放送されるM-1決勝で、ネットに上がっている三回戦・準決勝のネタと同じネタをやると、お客さんが笑ってくれない。もっと言えば、準決勝で敗退して、敗者復活でネタをやると、敗者復活戦も放送されるので、合計5本の新ネタをM-1用に持っておかなくてはいけない。

M-1復帰一回目の第11回大会だと、皆さん4~5本のネタを用意して、三回戦・準決勝・本戦・ファイナル、全部ネタを変えていましたが、回を重ねて毎年出るコンビが固定してくると、ネタのストックが無くなって、苦しくなってきます。今回の14回大会だと初出場の3組が、三回戦・準決勝・本戦、3本とも同じネタだったり、ジャルジャルのファイナルでやったネタが昔のネタだったり、M-1常連組の新ネタも、M-1的には新ネタですが、TVで散々やったネタのマイナーチェンジだったりして、漫才開始10秒で客席にネタがバレて、笑いが生まれにくくなる現象が、発生していたと思います。

-誰のための大会なのか
M-1が第十回大会で終わって、THE MANZAIが5大会あった後に、復活しますが、そのとき出場資格がキャリア10年未満から15年未満に延長されます。M-1が無かった5年間に活躍した漫才師にもチャンスを与える配慮と、THE MANZAIに出場している人気漫才師をこちらへ呼び戻すための配慮ですが、これが大会の目的をぼやかしています。

関西ローカルのお笑いコンテストが、NHK+民放四局の関西支部在阪キー局)で合計5本あります。
NHK上方漫才コンテスト上方漫才大賞フジサンケイグループ系列関西テレビ)、ABCお笑いグランプリ(テレビ朝日系列)、ytv漫才新人賞(読売放送系列)、漫才アワード毎日放送系列)。
どれも多かれ少なかれ吉本興行と提携した大会ですが、キャリア1~5年目ぐらいの若手が、出場して優勝し、これをきっかけに関西ローカルのTV番組に出て、スターに成っていきます。吉本のお笑いスクールNSCに入って、劇場に出て、関西の賞レースで受賞して、関西のTVに出る。関西における芸人のルートが出来ています。

在阪キー局と吉本が主催する、関西ローカルの賞レースでは、賞の目的がはっきりしています。劇場で人気があって、かつテレビでは無名の新人を発掘してTVに出すのが目的です。かつてのM-1、芸歴10年未満に出場資格があった大会でも目的は明確でした。関西含む地方のTV局では有名でも、東京の全国ネットでは無名の芸人を発掘して、全国ネットのTVに出すのが目的です。ブラックマヨネーズが典型ですが、関西で冠番組を持つ芸人が東京進出する上での看板がM-1だったわけです。この地点で、地方で冠番組を持っていない、東京の劇場叩き上げ組では、経験不足で勝てない大会にM-1は成ってました。

復活後のM-1出場資格がキャリア15年未満に拡大されたことで、TVで既に有名な人たちが出るようになって、TVで無名の人達が勝てる大会で無くなり、発掘目的が薄れ、2017年とろサーモンの優勝によって、一度天下を取った芸人が、天狗に成り、干され、挫折し、謙虚に成って、復活する、消えた中堅芸人の再起を見せる大会に成っていった。GYAO!の煽りVTRもラストイヤー芸人の特集が組まれ、無名の若手の発掘から離れていった。これが良いのか悪いのか。M-1大反省会でトムブラウンが言った「バース・デイに出たい」「それ、ケガで戦力外通告されたスポーツ選手が出る番組や!」は、象徴的です。

キャリア15年未満の出場資格になることで、既にTVで有名でレギュラー番組を何本も持っている人が、毎日ネタ番組に出ながら、M-1用の新ネタも年に5本用意しなきゃいけないと成ったときの、動機や目的が分からなくなっています。