ウーマンラッシュアワーが越えるべき壁

ザ・マンザイで優勝したウーマンラッシュアワーですが、TVで安定した人気を得るには、越えるべき壁はあるだろうなと思う。ネタを書いて、セリフも9割方自分でしゃべる早口の村本さんが相方に「ゲスいキャラは自分がやるから、お前は良い人でいろ」と言ったそうですが、そもそもそれが合っているのか?要は、台本書いている村本さん的に、自分がボケで、相方がツッコミなんだろうけど、よく見ると、ボケ(非日常)とツッコミ(日常)が逆転している。


お笑いは「緊張の弛緩」と言われるが、漫才はボケ(弛緩)とツッコミ(緊張)の繰り返しが基本で、権威・常識・正解側と、ダメな奴・非常識・不正解側で出来ている。ウーマンラッシュアワーの服装一つ見ても、ネクタイとスーツで正装しているのは村本側で、ピエロみたいな格好のパラダイス中川側が、ボケ役に見えてしまう。漫才の役柄も、ナルシストな二枚目役が村本で、女性役が中川側。より非日常で奇抜なのはパラダイス中川さんの役になる。


ネット動画で芸人さんがウーマンラッシュアワーの漫才を「よく見ると誰も笑ってなくて、みんな拍手している。あの速度で噛まずにしゃべるれるなら、山手線の駅名を全部言っても同じぐらいの拍手もらえる」と言っていた。高いスキルを持って必死に漫才をやろうとする村本が、相方に細かく指示出すが、相方の中川が上手く出来なくて、笑いが起きる。切れた村本がさらに長々と説教&指示を出す。中川がやる気をなくして「パ〜〜〜ラダイス」と言うと会場に笑いが起きる。フォーマット的にはコント55号と同じ。ツッコミの欽ちゃん、ボケの二郎さん。村本がツッコミ、中川がボケ。80年代の漫才ブームで言えば、西川のりお・上方よしおザ・ぼんちのフォーマットで、台本を書いてツッコミをする側が、真面目に一所懸命漫才を教えるが、相方が「ホーホケキョ」とか「おさむちゃんで〜〜す」とか、関係ないことを叫んで、真面目な奴をおちょくるフォーマット。


お笑いは基本、視聴者よりも一段低い、ダメな奴が出てきてお客さんに笑われなきゃいけないんだけど、ダウンタウン松本人志著「遺書」以降、お笑いは偉くてカッコイイ、みたいな風潮が生まれて、米朝師匠の古典落語みたいに、偉くなってしまった。それだと拍手は生まれても笑いが起きない。スポ根的な血と汗と涙と努力と根性の必死な漫才をする村本を「パ〜〜〜ラダイス」と相方がおちょくって笑いが起きる。台本書いている側が想定している笑いとは違う笑いが起きている。自分ではB&B島田洋七、ツービートのビートたけしのつもりだけど、ザ・ぼんち里見まさとみたいになっている。台本書いている側が思っているツッコミ=常識と、お客さんが思っているツッコミ=常識が逆転している。


漫才が偉くなってしまったことの反作用は、キングオブコントにも出ている。2012年の優勝者「バイきんぐ」と2013年ファイナル出場者中最下位だった「うしろシティ」の芸風の違いをみても分かりやすい。キングオブコントは、ファイナルに残れなかった出場者が採点する方式だが、採点する側は同じお笑い芸人として、この人を上司にしたいかどうかで判断する。第一回キングオブコントの決勝なんて、お互いプロモーターとして実績があるコンビ同士の対決で、コントのネタとは別にプロモーターとしての実績・実力で、勝敗が決まった。このイベントの主催者が考えているコントは、「めちゃイケ」や「はねるのとびら」みたいに、無名の若手10人ぐらいでコント番組を作る想定で、決勝に残ったコンビを同期や後輩が採点するという事は、同期や後輩から人望があるのか?このコンビを軸に仲の良い芸人10人集められるのか?みたいな話だ。バイきんぐのコントは、歌なり、お笑いなりに夢を持って、頑張っている奴がいて、それを応援するフォーマットになっている。うしろシティは、歌なり、お笑いなりを必死にやってる奴ってダサいよね、と馬鹿にする笑いだ。視聴者の感想BLOGを見るとバイきんぐと、うしろシティは、同じぐらい面白い、どちらも上から3番以内に入る出来で甲乙付けがたい、というのが多い。うしろシティのラジオを聞くと、ツッコミの阿諏訪さんが「あこがれのオールナイトニッポンに出れて嬉しいです」と言えば、ボケ担当の金子さんは「素人時代、ラジオをまったく聞いていなかったので、そういうのはよく分かりません(笑)、元々お笑いにも興味が無くて、いまでも興味ありません(笑)」確かに、うしろシティウケている。爆笑になっている。でも、自分が後輩で、お笑いにあこがれて、必死になってお笑いの練習して、やっとプロになれて、さぁ頑張るぞというときに、うしろシティの冠番組で金子さんに敬語で話したいかといえば、嫌じゃん。自分がいる業界に興味ないと言ってる人に、頭下げて敬語で話すの嫌じゃん。笑いの量がバイきんぐと同じだったら、どっちを上司にしたいかで判断すると、お笑いに命掛けてますと、言ってる側に票入れたいよな。


うしろシティは、スター誕生における小泉今日子だ。アイドル産業のフォーマットや仕掛けがオープンになって、アイドルってダサいよね、ロックバンドの方がカッコいいじゃんになりつつあった時代に「芸能界に興味ないけど、友達の付き添いでオーディション会場に来たら、スカウトされちゃいました」アイドルをパロディにした「なんてったってアイドル」を歌ってアイドルになりました。それがうしろシティだ。


元々、お笑いは世間で立派だとされている価値観に石を投げる行為なわけで、漫才が立派な物になってしまったら、そこに石を投げるうしろシティが世間の注目を浴びるのも分かる気はする。