ゼロアカ飲み会

色んな方面に迷惑をかけつつ、8月20日全くの部外者にも関わらずゼロアカ飲み会に参加させていただきました。http://d.hatena.ne.jp/fujita_xamoschi/20080730/1217421785
http://d.hatena.ne.jp/fujita_xamoschi/20080815/1218822029
画像はそのとき井上ざもすきさんから頂いた練馬野菜カレーhttp://www.city.nerima.tokyo.jp/kanko/shohin/081-100/083.htmlです。


飲み会では、藤田−井上ペア、峰尾−村上ペア、筑波批評社さん、フランス乞食さん、しろうとさん、白石昇さんなどがいて、コミケゼロアカ飲み会の動画で東さんが批評について語られていることが話題の中心になるわけです。


東さんは批評に絶望している。自殺した人が自殺直前に残したビデオレターのようだった。などという感想が出る中、私はその動画を見ていないわけです。現状、動画・音声が見聞きできないネット環境にあって、動画を見るにはネットカフェに行くしかない中、話題の中心になっている動画を見ずに、その環境に居たわけです。話の内容が活字化されていれば、劣悪なパソ環境でも見れるし、ブログでレスもつけやすいのに、何故動画なんだという思いもありつつ、飲み会が進みます。


藤田さんが「東さんのいう批評や文学とはどのようなものなのだろうか?」とつぶやいて黙る中、藤田さんと対面の白石さんが「すべての言語表現が文学だし批評だろ」と言い、東さんはそう言っていないという藤田さんと、自分にはそう言っているとしか聞こえなかったという白石さんで、話は平行線に到ります。動画とは別の機会にすべての言語表現は文学だし批評だということですかと聞いたら、違うと言われたと藤田さんは言います。自分はその場にいなかったので前後の文脈が分からないし、動画を見る限りすべての言語表現を文学だと考えているとしか思えないと白石さんは言います。私は動画を見てないなりに、思ったのは、すべての言語表現が優劣なく平等に文学(もしくは批評として)評価されるべきだ、とは思えなかったので、藤田さん側の言葉をもう少し引き出したいと思い、黙って考え込む藤田さんから言葉が出てくるのを待ったり、言葉が出てくるよう別の言葉を投げかけたりしたつもりですが、いかんせん動画を見ていない状態で言葉を投げていたので、かなり的外れな発言を繰り返します。そのうち、大声で同じ言葉を繰り返す白石さんに私が「白石さんとはしゃべりたくない」と言うと場が凍りつき、常日頃と同じく物凄く態度の悪い奴として私はその場にい続けたわけですが。


動画だと酒の上での冗談である物が、活字になるとシリアスで中立性のあるニュアンスになってしまうという部分ですが。私自身ネット上での言説に関してあまり責任を持ちたくないですし、信憑性の低い主観的な事を書いているという態度を示しているつもりで、それはBLOGの色彩感覚やアンテナに「オナニーをやめてみよう!」「サタニズムと記憶再生療法」を入れたり、といった部分で示しているつもりだったのですが、信用できないサイトですというつもりで示したニュアンスが、学校裏サイトや闇の職業安定所陰謀論総合サイト阿修羅なんかに近いニュアンスで伝わって、著名人の悪口総合サイトとして信頼度が高いみたいな伝わり方をしていたら申し訳ないなと思います。BLOGの色彩も白とピンクにして、「ぁたしわぁ」とか書いちゃった方が良いのかなぁと。


自分なりに動画の感想を書くと
・ここからここまでが文学だ、ここからここまでが批評だと事前に設定できる枠がなくなった。
・見る人が批評だ文学だと感じれば、それは文学にも批評にもなる。
・(文学の)全体性を回復したい。
というのが東さんの主張で、個人的に割と普通のことを言っているように思えた。それに対して23歳24歳ぐらいの学生さんが「東さんは批評に絶望している」とか「東さんは自殺するのではないか」とか言っているのは、ヌルイと思う。既存の枠組みがあって、その枠組みに従っていれば、周りの人間が上手く回してくれるんだという会社員的な発想で、批評や文学を見ているのであればヌルイなと思う。
アカデミニズムがゼロになると言わないと、23歳24歳の人間が世に出ること、その年齢の人間を世に出すことが出来ないのだと思う。既存のアカデミニズムがあって、そこにいる40代50代の大学教授はそのジャンルを20代の学生さんよりも20年30年長くやっていて、そのアドバンテージは簡単には埋まらない。読書量一つとっても、50代の教授が30年間で読んだその分野の専門書を、20代の学生が1年やそこらで全部読むことは不可能で、だったら、まだ誰も手をつけていない分野を探すしかなくて、それには、既に誰かが手をつけてしまっている分野の範囲を知らなくてはいけなくて、そのために既存の学問を知らなくてはいけない。
ゼロになったという言い方は、新規参入してくる人たちに対してポジティブなメッセージだと思う。