一帯一路VSシルクロード鉄道

米中経済戦争が、経済戦争から軍事的な戦争へ移行しつつある中、思うことを書いてみます。

アメリカが提案した米露中の三か国軍縮会議への出席を中国が拒否した次の日に、トランプがツイッターで中国を批判し、米中経済戦争が軍事モードへシフトしたわけですが。

中国には長江と黄河という二つの大河が西から東に流れていて、北部・中部(中国表記だと中原)・南部と国を三等分しています。長江や黄河は、河岸から対岸が見えず水平線が見えるため、古代中世の科学力では、大河を渡ることは海を航海するのと同じぐらい命がけの困難がともなったと思われます。古代~中世の感覚では、中原は南北を大河に、はさまれ、東は太平洋で西は山脈があり、島国と同じぐらい異民族の流入が無い、閉じた社会であったわけです。

漢民族は閉じた社会の中で、科挙などの制度を発達させます。学術書を読み、知識を得ることが高い収入につながる。彼らにとって知識こそが収入の源泉であって、官吏登用試験に合格し、高級官僚になることが理想の職業でした。

中国南部に住む広東人は、中原の北京語とは異なる広東語を話したので、北京語の科挙で良い成績を取るには不利でした。彼らは船に乗り、フィリピンやベトナムや日本や韓国と貿易をすることで大きな利益を生み出しました。彼らにとって外国に外国人の友人がいることが収入の源泉であって、貿易商に成ることが理想の職業でした。

漢民族ガリ勉であり、部屋にこもって学術書を読みあさるのが学生の本分とされました。広東人はパーティー・ピープルであり、部屋に多くの外国人を招いてパーティーを主催したり、外国人が主催するパーティに出向いて、外国人と毎晩パーティをすることが学生の本分とされました。

漢民族の世界では、人が集まる場所、満員電車の中や行列の待ち時間などでは、静かに大人しくしていることがマナーとされ、友人と話す必要がある場面でも小声で周りの迷惑にならないよう、ささやくことが礼儀とされました。

広東人の世界では、満員電車の中や行列の待ち時間などで、皆が退屈を持て余しているだろう時には、大きな声でジョークを言って場を和ませるのがマナーとされ、重苦しい沈黙を提供することはマナー違反とされました。

トランプ政権と習近平政権の交流を見ると、トランプ側から見た正しいマナーが、習近平から見ればマナー違反で、習近平から見たマナーが、トランプ側から見ればマナー違反であった場面が多々あったように思う。それは米中の文化の違いというより、トランプ・江沢民的なパーティ・ピープルと、習近平・ヒラリークリントン的なガリ勉の文化格差に見えた。

トランプが習近平を抱きしめようとして、習近平が拒否をする場面。握手という肌の接触で仲良くなる西洋文化と、お辞儀という肌の接触無しで仲良くなる東洋文化の違いもあったかもしれない。

広東人が中国のソフトパワーを強調することで、ハードパワー(軍事力・抑止力)に頼らない、民間外交による世界平和の実現を提唱していたのに対し、ハードパワーを強調する習近平のズレた世界観がどこから来るのか。

習近平は高等教育を受けたエリートであり、膨大な量の学術書を読む学者肌のガリ勉です。大学などの研究機関に所属する学者が書く学術書は、「百年以上昔の歴史について書かなければいけない」という暗黙のルールがあります。存命中の権力者(政治家や経営者)を称賛して、広告費をもらうのは学術の世界ではやってはいけません。かといって存命中の権力者や有名人を批判して失脚させるのも学者の仕事ではありません。死後百年以上経って、関係者や家族や弟子がいなくなってから、初めて利害関係の無い中立の立場で研究論文を書けることに成ります。

2019年の今から約百年前、1919年辺りが正統派の学者が学術書・歴史書の中で書ける一番新しい時代設定に成ります。学術書を読みあさる習近平の頭の中では、いまは1919年、第一次世界大戦第二次世界大戦の間の戦間期で、大国があちこちで侵略戦争を仕掛けて、植民地の分捕り合戦をしている1919年が、いまのこの時代だと彼は認識しています。仮に今が1919年なのであれば、近い将来、第二次世界大戦は必ず起きます。第三次ではなく第二次です。それまでに軍備を増強しなければいけません。

広東人は、漢民族とは違うやり方で世界を認識します。上海閥アメリカ在住の江沢民はもとより、広東人は学術書を読まず、海外を旅したり、外人の友達と話したりして、今の時代を知ろうとします。軍事力で国境線を書き換えるような乱暴なことを、国際世論が許さない時代だと広東人は知っています。理由なく侵略戦争を仕掛けたり仕掛けられたりの時代で無いことを知っています。

 

 

 

中原に住む漢民族が中国の人口の三分の一を占め、中国の歴史を見ると、漢民族が政権を担った時代と、非漢民族少数民族連合政権を担った時代に分かれます。

毛沢東は「大漢族主義」を批判し「反大漢族主義」を提唱しました。以後、中国共産党内で漢族が要職を独占することはなく、非漢民族による少数民族連合政権が中心を担ってきました。習近平政権は大漢族主義を復興させたとして、早い段階から中国内部で、北部と南部において批判をされてきました。

 日本における中華料理を見ると、大衆料理としての広東料理(中国南部)と、高級料理としての四川料理(中国北部)があって、北京料理(中原)は開店休業状態の店が多く、客数が少ない上、定着していません。逆に韓国では、北京ダックと似た鶏料理のサムゲタンがあって、韓国における中国文化を見ると、北京・漢民族の中原文化が強いように思われます。

 

毛沢東以降、日本目線で言えば日清戦争以降、中国政治の表舞台に出てこなかった漢民族習近平政権で中核を担うようになり、漢民族に触れてこなかった日本としても戸惑う場面が多かったわけです。

deal/交渉に至る前段階の、初対面の担当者同士が雑談を通じてお互い仲良くなり信頼関係を醸成する場面。それまでであれば、まずは相手をほめて、相手に対して敬意を示す。担当者の服装や身なりや経歴をほめるとか、相手が中国人であれば中国をほめる。それに対して、先方が謙遜し、「いやいや、私なんて大したことないですよ」と言い、逆に相手をほめ返す。それに対して、こちら側も謙遜する。お互いに褒めあって信頼関係ができたところで、本題であるディールに入る。

以上が一般的な通常の流れであったとすると、習近平政権に成って、担当者が漢民族に成ると、初対面でほめてくる、お世辞を言ってくる相手に対して、露骨に警戒心を持つようになった。孔子の一番有名な警句「巧言令色少なきかな仁」というわけだ。相手担当者や中国の事を本当に詳しく知った上で、本心からほめてくるなら嬉しいが、初対面で私のことをよく知らないのに、何故あなたは私をほめることが出来るのだ。事実に基づかないほめ言葉を使うのは詐欺師の手法である以上、信用できない詐欺師相手に私はこれから交渉をまとめなくては成らないのか。と相手は嘆く。

信頼関係を築くための前振り段階で、大きくつまづくことになる。

漢民族は、初対面の段階で、お互いにとって利害関係の無いテーマで論争/debateを要求してくる。良い天気とは、晴れた日か、雨の日か。ペットを飼うなら犬と猫のどちらが良いか。漢民族ディベートを通じて、相手がどのような人間で、どのような論理を好むのかを判断する。こういう論理を展開する相手なら、交渉はこの論理展開が有効なはずだ。ディベートを通じて相手の論理的な思考能力や専門分野、その分野における知識の量や権限などを分析する。

日本は先進国で唯一義務教育にディベートを取り入れていない国で、日本の学校教育の最大級の欠点なのだが、まともにディベートを出来る人間が日本側にほとんどいない。自分の意見を言わずに相手に合わせろと教育されている。良い天気は、晴れた日か、雨の日か、と問われ、晴れの日と日本人側が答えたとき、「では私は雨の日です」と相手に言われると、日本人は「だったら私も雨の日が良い」と言い出す。「分かった。あなたが雨の日なら、私は晴れの日にしよう」と相手が言うと、「では私も晴れの日にします」と日本人は言い出す。相手と同じ意見、同じ立場に立って、仲間意識を高めた上で交渉に入りたい日本側と、いつまで経ってもディベートに成らないことに、いら立つ漢民族側で交渉は決裂する。日本の政治家で中国相手にまともにディベートできるのが石破茂ぐらいしかいない。

江沢民アメリカ大統領と会談したとき、喜びのあまり泣きながら大統領に抱きついて行った。諸外国に対してお世辞も言ったし謙遜もした。それと比べたときの漢民族の交渉スタイルは、それまでの中国と異なっていて、戸惑いはあっただろう。

トランプ大統領が自身の孫娘に中国語で中国の歌を歌わせ、その動画を全世界に向けて発信した。中国の習近平に対するプレゼントだしお世辞とも言える。普通ならそこで、習近平も自身か身内の者に英語でアメリカの歌を歌わせて、アメリカをたたえる動画を全世界に向けて発信すべきだった。アメリカからの歌のプレゼントに対して、お返しをしていないのは、礼儀を知らない人間に見えてしまう。全世界のメディアが注目する中で、西洋式の礼儀を知らない東洋人の姿をさらしてしまったと言える。

漢民族は高級官僚・上級公務員になるよう教育を受けている。彼らの教育の中では感情を表に出してはいけないことに成っている。裁判官はプレゼントをもらっても喜んではいけない。喜ぶとそれは賄賂を要求したことに成るので、嬉しいという感情を表に出してはいけない。裁判中、被害者や加害者が同情を誘うために、様々な物語を語り、演技をするが、同情や共感の感情を表に出してはいけない。裁判官の表情を見ながら、彼が好む物語を原告や被告が語り出し、裁判を誘導するのを防ぐため、裁判官は無表情でいなければいけない。

習近平の無表情・無感情が、悪意のある見方をすれば、嘘をついている、隠し事をしているように見えなくもない。漢民族ディベートを通じて相手を知り、交渉に至るように、アメリカ側が表情やジェスチャーを通じて中国側を知り、交渉に至ろうとする。ディベートに乗らない=隠し事をしている。のと同じように、ある種の無表情が交渉を難しくしているように見える。