美術手帖の芸術評論賞

公式 http://www.bijutsu.co.jp/bt/GH15_kekka.html
雑誌に載ってない佳作の原稿が読めたのは嬉しくて、俺主観だと一席二席より佳作の方が上質だろと思えたり、でも美術手帖の今後の方向性として、一席のパソコン画像、二席のアニメ批評、経営的判断からあの方向に行かざるを得ないという事情も分かる気もする。有料雑誌より多い情報量をネットに上げたのは、俺のようなど素人のネット民にいじられる前提だろうし、コメントして良い前提と受け取って勝手なことを書いてみる。


ある人としゃべっていて、会話の中で出た話だけど「一席二席とも良くも悪くも正しい事実を書こうとしている。この場合、正しいことを書くのは間違っているのではないか?」という話。新人の批評家のデビュー作なら、既存の価値観を覆すような非常識なことを書いて、人目を惹かなければいけないはずなのに、画像処理ソフトの仕様がどうなっているのか?みたいな話を書いている。真・善・美で言えば、美術は美的判断・趣味的判断の領域で、個人の価値観の領域であるにも関わらず、他人と共有したいがために論理化して、共感できないまでも理解できるところまで持って行く領域だ。入選した評論は二つとも真の領域である事実関係について書いている。それは美の領域、美術という価値判断の領域とは無関係な評論ではないだろうか?


ボードリヤール湾岸戦争を批判する評論で「湾岸戦争は起こらなかった」というタイトルの本を出している。あきらかに湾岸戦争は起きていて、それを批判しているボードリヤール自身が、起こらなかったと書く。そういう非常識な態度が批評的だと思っていた人間にとって、常識的で正しいことを書こうとしている姿勢が非常識に見える。バラエティ番組で司会者のお笑い芸人が「2+3は?」と聞いて、ひな壇の若手お笑い芸人が「5」と答えた時の、客席がざわつく感じ。いまのは、間違った回答が正しくて、正しい回答が間違っているんじゃないの?という感じ。