カオスラウンジはロックバンドだ

こういうこと書くと、ボーカロイド世代のカオスラウンジさんから「ロックをほめ言葉だと思っているおっさん世代がさぁ〜」と言われるんだろうけど、他の美術家集団と比べると、カオスラウンジはバンド感がある。


他の美術家集団は、一人一人は画家としてすごく力があるけど、チームとしてのコンビネーションが感じられないパターン=シンガーソングライターの寄せ集めか、フロントマンとそれを支えるスタッフが明確に分かれているアイドルシステムのどちらかで、全員顔と名前を出してしゃべりも演奏も達者なドラム・ベース・ギター・ボーカルのバンドにはなってない。


美術作品を作る梅ラボさんがいて、美術批評家の黒瀬さんがいて、オーガナイザーの嘘さんがいる。ポジションが明確で役割が確立されている。トークのスタイルで言うと、黒瀬さんが毒を吐いて、嘘さんがそれを中和する。漫才で言えば、爆笑問題の太田さんが毒を吐いて、田中さんがツッコミで毒を中和する。2ちゃんねる芸術デザイン板を見ると、嘘さんは良い人、黒瀬さんは嫌な奴とキャラが明確に立っている。カオスラウンジの展覧会でも、嘘さん主催の展覧会だと、pixiv中心にネットで活動している絵師で、それほどクオリティが高くない人でも、嘘さんからスカウトされたり、自分でエントリーしたりで、気軽に参加させてもらえる。黒瀬さん主催だと、ある程度の質が要求され、作品が厳選されるから、簡単には出してもらえない。この辺もネット上の「嘘さん良い人、黒瀬さん嫌な奴」につながってくる。


この辺の役割分担大事で、ある展覧会や美術作品に関して、業界関係者は褒めることしかしない。美術業界で食っている人間が同業他社の仕事を公の場でけなしても、人間関係を切られて仕事しにくくなるだけだから、建前上だけでも褒める。業界内でお世辞を言い合ってても、業界の外から批判や陰口は聞こえてきたりもするわけじゃん。でも、面と向かって批判されたわけじゃないから、業界外からの陰口に対して公の場で制作者が反論できるわけでもない。それを黒瀬さんは面と向かって批判して、波風立てて話題提供して、口論をトークショーや雑誌記事にまで持っていく。業界外の人間からすると建前抜きの本音のバトルは面白い。普段は美術に興味を持たない層まで、美術の話題を届けることができる。


展覧会とか美術作品を批判するのは、だいたい美術業界内だと消費者の立場にいる人達で、彼らに対して、反論や批判をしたい生産者サイドの人間がいても、生産者として働いている以上、お客さんの悪口は言えないわけで、我慢して口つぐむしかない。黒瀬さんがネット上の意見集約して「こんな批判してますけど、どうですか?」と言ったときに「俺だって、その批判に対して言い返したいことは山ほどあるよ」という人もいるわけじゃん。お客さんが言ったことに対して言い返すのはまずくても、黒瀬さんが言ったことにすれば、言い返すこと可能ですよね。制作者サイドとしても、黒瀬さんの毒舌がありがたいこともあるわけですよ。もしその毒舌でもめそうになったら、嘘さんが出て行って「ごめんね。また、うちの黒瀬がひどいこと言ったみたいで。」何この完璧なコンビネーション。メッセージとマッサージの完全分業制度。


制作と批評の分業にしても、普通の美術集団は、画家が自分で絵を描いて、自分の描いた絵の説明を自分でする。日本人は自分で自分をほめるのが苦手だし、自分がいかに偉大な人間であるかについて人前で自信満々に語る奴を極端に嫌うじゃん。すると、画家は「この絵は、ここが失敗していて、ここが上手くいかなくて」という説明をする。絵を見に来た人は「失敗作なんだな」と思う。カオスラウンジは、制作と批評が分業制だから、ガンガン褒められるし、制作者とは別な人間が褒めているから、そこまで反感を買うこともない。「俺はこいつの絵が、すげー好きなんだよ」と大声で言える。自分の描いた絵だったら大声で言えないよね。仮に言ったとしても、アメリカならともかく、日本の文化の中だったら「痛い奴がいるな」と思われて終わりだから。


一人でフォークギターの弾き語りやってる奴が3人4人集まって、フォークグループ作っても、ソロとあまり変わらないんだけど、ドラムやベースに転向する奴がいて「俺ギターやめて、ドラムに専念するわ」いう奴いると、バンド感出るじゃん。一人でやるならドラムの叩き語りより、ギターの弾き語りの方が良いんだけど、ソロの可能性捨てて、バンドに専念するのは個人を捨てて仲間を取ったみたいなカッコよさがある。制作捨てて批評に専念とか、批評捨てて制作に専念とか、カッコいいなと思う。