ポストスーパーフラットアートスクール展の作品紹介

アーチストトークや作品についた紹介文(ステートメント)を参照に、あくまで主観的にざっくり大雑把に行きます
「ゲンロンこども教室」から七作品。「限りなく海に近い国」「ニコニコ世界」「山と海の散歩」「KAWAIIパンダさんWORLD」「異次元と海」「月・海・鉄道」「世界の終りのためのバースデーケーキ」。これらは子供たちが一人一個、箱庭のボックスアートを作り、それとは別に三〜四人一組で壁画を描いて、壁画にボックスアートを貼り付けた物です。参加している子供たちは小学校低学年前後。夏ということもあって海を描いた壁画が多かったのですが、雑誌の文字をコラージュした「世界の終りのためのバースデーケーキ」や「異次元と海」はすごくて、特に「異次元と海」の言語感覚は小学校低学年の言語レベルとは思えないほどシュールで、雑誌の読者投稿欄に載っている面白一行ネタの域に達している。前後の脈略なく「着回し術」と貼られても、意味を分かって貼っているとは思えない。「KAWAIIパンダさんWORLD」も、同じような外見のパンダさんを大量に描いて、それを壁面全体に貼りまくるという自作シールアートで、直接壁画を描くのとは異なって、同じ人間が同じタッチで描いた同じ絵が画面のあちこちに発生するという不思議な構成です。逆に大人から見たいかにも子供らしい絵は「山と海の散歩」でクレヨンで山と海と野原と道を描いた健康的な作品です。

梅田裕さんの「羊の東西」は床に砂利を敷き詰めて作った浄土庭園です。
H.Kさんの「石巻専業主婦」は東日本大震災にあった石巻の専業主婦を取材して作ったアートで、東京と被災地の給与格差を棒グラフで表示しています。
中山いくみさんの「Re:ターニング・ピクチャー S.D.」「Re:ターニング・ピクチャー T.A.」は以下を参照http://d.hatena.ne.jp/kidana/20140622「ポストスーパーフラット祭壇画」は信仰の対象となるものを描いた三連祭壇画で観音開きで開け閉めが出来て、サイズも小さいため机の引き出しなどに入れたり、持ち歩いたり出来るようになっている。展示の際にはカーテンで覆われ、鑑賞者は中の祭壇画の写真を撮ることが禁じられていた。マリア観音的な、公には禁じられている信仰の対象を、個人として密かに信仰する趣きがそこにある。
竹下美汐さんの「マジック☆鏡☆アトピー☆ガール」はカオスラウンジSIXに出された絵のキャンバス版です。カオスラウンジSIXには鏡にケルト文様と自分の顔を描くのをやっていて、鏡の中の顔と鏡に描かれた顔と実際の自分の顔が三つ並びます。それを今度はキャンバスに描くとき、プリクラ写真をイメージした絵に仕上がっています。被写体はマジックミラーに写った自分の顔を見てボタンを押すのですが、カメラはマジックミラーの奥にあって、被写体の目はカメラにピントが合っていない。写真を見る他者に笑顔を振りまいているように見えて、実は自分に対してしか笑顔を振りまいていないという皮肉が絵に込められています。
巣窟明さんの「路上生活者〜ON THE DOURO」路上生活者が破れたズボンを上半身に着て、帽子として頭にズボンをかぶっている。社会の底辺にいる彼にとって、体の下半身にあるズボンは自分自身の姿である。社会の上層部に行きたい彼は下半身のズボンを上半身に着て、路上から抜け出すためにバイトの面接に行く。
古村雪さんの「会いに行け アイドル(2035年)」2011年の東日本大震災が無ければ、生きていた女性たちがいて、彼女たちが生んだであろう未来の子供たちも、受精すらされずに消えている。その子達が生きていてアイドルに成っている世界を2035年に設定し、生まれていない子供たちの墓を作り、その墓と握手会やチェキ撮影会をするという観客参加型の作品です。同じ作者の「踊り子(2011年3月21日・東京・雨)」はエドガー・ドガの「踊り子」http://image.rakuten.co.jp/charminglabo/cabinet/zakka/70021.jpgの模写というか再解釈作品で、ドガの絵のバレーリーナの位置に、白鳥や動物たちがいて、人間は岩陰の雨が当たらない場所にいます。タイトルに成っている日付は震災で原発事故が起きた日から最初の雨が降った日です。雨は放射線物質を含むので、なるべく避けるようにして、家に帰ったらシャワーで洗い流すようにアナウンスが成された日です。人は放射線物質を含む雨から逃げるのに、動物たちは無知ゆえにそれが出来ないことを絵にしています。
樋田亜弓さんの「妊み男」「どっかーん男の娘」二作とも妊娠した男性を描いた絵です。妊娠=女性という常識に対するアンチテーゼと言えるでしょう。
霜山朋久さんの「ゆがむ3点」はキャラクターの感情があふれ出す瞬間を描いたアニメーションです。
佐藤奈々子さんの「桜の花びらのような女の子たち、永遠に死なない女の子たち、小さな人たち、きっとなにものにもなれないお前たちに」脱法シェアハウスに住んでいた時に、壁に貼った画用紙に描いた部屋の絵と、メイド喫茶で働いているときのコスチュームと、メイド服を着飾るアクセサリーをハンガーに掛けたインスタレーションです。貧しさと華やかさのコントラストを描いています。
足柄翔太さんの「toposcape」はアナログ映写式の8ミリビデオ作品です。
遠野よあけさんの「悪くない場所RPG」は美術批評家椹木野衣さんの悪い場所論をテーブルトークRPGの形で展開、再解釈しなおした作品です。明治以降の日本の美術は西洋美術の概念を輸入するだけで、日本発信の土着の美術を育ててこなかった悪い場所だという美術史観に対し、タイムマシンに乗って明治以前に戻り、日本の美術を美術と名指すことで、歴史を改変して、悪い場所を悪くない場所にするというゲームです。良い場所ではなく、悪くない場所というマイルドなネガティブさが日本人的で面白いです。
村田和歌子さんの「Le voyage au moment」は、福島第一原発事故があったときに、ミシンで縫うにしろ、布を織るにしろ、電気が無ければ服が作れないことに気づいた村田さんが、ベトナムラオスなどの途上国では電気なしでも人間が手で糸を紡ぎ、布を織り、布を縫って、電気を使わない手作業のみで服を作っている現場に行く。それらの国では電気は貴重なものだから、神に捧げるものとして寺院を電飾で飾り、光を点滅させる。電気を使わずに作った服と、その服を作るのに必要な量の電気を電飾で点滅させるのを同時に展示することで、先進国‐途上国の南北問題や原子力発電の問題などを別の角度から考え直す作品です。
今井由紀さんの「東京で死ね」。グランド・セフト・オートというアメリカの暴力ゲームは街中で一般市民を片っ端から銃で撃ち殺すことが可能なゲームなのだが、やっているうちに何かがオカシイことに気づく。色んな人物が出てくるのに、殺された人の倒れているポーズが全員同じなのだ。アメリカ版では様々な死体の形があったのだが、日本版では暴力規制の問題で一種類に限定された結果、奇妙な感覚に成っている。そこで、自分や友人を駆使し、何人もの人が同じポーズで死んでいる映像を撮って、TV画面に映してみたという作品です。
來れくるみさんの「ご奉仕されちゃうぞ❤」は肢体がバラバラになった人形を配置したドールハウスと、その人形の喘ぎ声が流れる黒画面のモニターに、イった瞬間ドールハウスの映像が流れるという作品です。
初鹿野雄起さんの「RISING SUN」は1986年のバブル期に作られた日本製の赤い車が粉々になっている油絵です。遠くから見た時の構図は日の丸を模していて、技術立国であった日本の崩壊を象徴的に描いています。
ナトリカナコさんの「Who are you?」は青空に浮かんだ雲に目が付いていて雲がぬいぐるみのように見える絵で、人気投票では子供票が多く入っていました。「drink」は足が五本あるブラキオザウルスのような生き物が水を飲んでいる絵です。「tabula rasa#1〜4」は縄で縛られた美少年を描いたドローイングです。
蕗野幸樹さんの「混沌之書(仲魔)」は唐紙に墨で書かれた書道芸術です。エシュロンに代表されるように、ネットにつながれたデジタルデータは、パスワードを掛けたところで、より高度な技術を持ったクラッカーによって破られる可能性があるため、本当に大事な情報はデジタル化が進めば進むほどネットとつながらない紙に手書きで書かれるのではないかという方向性で未来の暗号を書いていま可能性、暗号の可能性を描いた作品です。
宏美さんの一連の四作品「SUGAR❤ME」「ガールズ☆ステートメント」「あなたの天使になりたぁい!」「Be Mine!!」は、宏美さんの勤める職場の写真にお菓子や女の子やリボンやアクセサリーを書き込むことで、しんどい職場を無理矢理カワイイで埋め尽くす作品です。
あたまがぐわんぐわんさんの「アイハラ! idle Harassment!」は、壁に貼られたHな風俗系ポスターの一部を布で隠して、布をめくって中を覗き込むと、そこに小型カメラが仕込まれていて、覗き込んだ人の顔が会場に張られた半透明ビニールのスクリーンに一分間写し込まれるという作品です。アイドルと視聴者の見る/見られる関係を逆転させることで、視姦する/されるの共犯関係の逆転を狙っています。
柴田勝紀さんの「キャラクタータイムライン自分リプライ」は自分の中からアニメキャラクターのアイデアが出てくるところを視覚化した油彩画です。全員に分かるようにオリジナルキャラクターを説明すると、どうしても既存のキャラのAの外見で、Bのフェチ要素を入れて、Cの性格で、と既存要素の寄せ集めに成るのですが、本来はむしろ、オリジナルキャラの素となる万能細胞的な液体が自分の中から溶け出して、液体が形に成っていくイメージなのではないかと、説明されてました。
荒木佑介さんの「神探し」はhttp://d.hatena.ne.jp/kidana/20140825参照です。
小早川太子さんの「國之楯」は焼身自殺を描いた絵です。入り口ドアの上に貼ってありました。
公式 http://postsuperflatartschool.tumblr.com/