前田敦子はキリストを超えたを読む

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「よいこの歌謡曲」と「現代思想」と「オルガン」という三つの雑誌を横断したかのような本。アイドルとは無関係に思想や哲学に興味ある人が読んだら面白い。「よいこの歌謡曲」は、1980年前後に、現役大学生による雑誌創刊ブームがあって、ロック雑誌のロッキンオン、アイドル雑誌のよいこの歌謡曲、投稿誌のポンプ、中森明夫の東京おとなクラブ、それらをまとめる親玉としての「宝島」があって、時期はズレるが中大パンチとか、学生起業家が雑誌を作るブームがあった。いま思うと、印刷が組版から写植に移る頃で、組版の機械を捨てて、新しく写植の機械を買わなきゃいけない時期で、その頃なら、写植の文字指定のスキルも機械の購入も、古参大手出版社と新興弱小企業でも同じ条件からスタートなので、割と誰でも参入できる条件が整っていたのだと思う。


初期の頃のそれらの雑誌は、投稿誌形式を取っていて、いまでいう2ちゃんねるのように、テレビに出ている有名人の批判や悪口を素人が投稿して載せる形が多かった。よいこの歌謡曲で言えば、当時権威のあったオリコンチャートが、東京都内にあるたった数店舗の大手レコード屋の売り上げを合計したものに過ぎないことや、大手芸能事務所がチャートを上げるために自社の歌手のレコードを自前で大量買いしていること、それらも時代を経て洗練され、オリコンチャートの調査対象になっている店舗間で、A店からB店に300枚売って、B店からA店に300枚売って、レコードは動かさず伝票だけ回して、レコード店の取り分だけ芸能事務所がレコード屋に払うシステムになっていると暴露したり、業界内ではタブーとされている内部情報を売りにした雑誌だった。当然、レコード会社や芸能事務所から広告が取れるはずもなく、貸しレコード屋(CD誕生前のレコード時代、貸しレコード屋は法のグレーゾーンだった)の広告を入れていた。これが、印刷代を稼ぐために徐々に広告を入れ、より多くの広告費を取るために、カラーグラビアページが増え、版が大判になり、記事は商品をひたすらほめるようになり、それでもバブルの崩壊とともに、広告費に依存した雑誌は休刊になった。ちょうど写植からDTPに移る時期でもあった。初期の頃のよいこの歌謡曲は、純粋アイドル批判序説(カントの純粋理性批判をもじっている)など、アイドルをネタに思想や哲学を語る記事も多く、軽チャー路線の思想誌という側面もあった。前田敦子はキリストを超えたも、アイドルをネタに思想を語っているが、この著者はアイドルに興味がないんじゃないかという気がしてくる。


1990年代の西部邁保守論壇誌で保守思想用語を使って左翼の思想内容を語り、左翼雑誌で左翼用語を使って保守の思想内容を語っていた。一見対立しているように見える二陣営の思想が、ある意味においては異なる専門用語を使って同じ内容を語っているだけだと、パフォーマンスをして見せることによって、両者の間にある垣根に風穴を空けていた。前田敦子はキリストを超えたの一章の6アンチとキリスト教吉本隆明「マチウ書試論」などは、一般に対立すると言われているニューアカデミズム(浅田‐柄谷)とオルガン(竹田青嗣)の類似性を、オルガン文体でニューアカを表現することで、示してみせるパフォーマンスに見える。というか、文体模写の遊びがきわどい。聖書や吉本隆明柄谷行人の文体・引用にネットスラング・アイドルヲタ用語を混ぜることで、聖書や吉本や柄谷がアイドルヲタであるかのような文章になっている。


現代思想という雑誌は、浅田彰が「構造と力」を発表した媒体でもあるわけだが、当時、マルクスを論じる院生の論文も多く「いい歳して働かずに学生やってる自分をマルクス用語で正当化するんじゃねぇーよ」というツッコミもあった。前田敦子はキリストを超えたも、「三章 人はなぜ人を『推す』のか」で書かれる推すは、子育ての疑似体験なわけで「いい歳して結婚も育児もしていない自分を正当化するんじゃねぇーよ」というツッコミ待ちのボケというか、現代思想パロディだと思う。


第一版のp92の9行目「小ききかよわき存在」は「小さき」だと思う。