アイドルによる価値観の転倒

AKB48の2トップだった前田敦子大島優子。大島がAKBに入る前から子役として芸能界に出入りしていて、ある程度のレッスンを受け、技術を修得していたのに対し、前田は何をやってもダメで、初めてセンターに選ばれたとき「私をセンターにしないで下さい」と泣いて抗議し、それを見た秋元康がAKBのセンターは前田で行こうと決めたのは有名な話。

ASAYAN時代の初期モー娘や、いまのAKBもそうだけれども、アイドル番組はセミドキュメンタリー/モキュメンタリー番組で人気が出て、そこからコント番組や歌番組に派生していく。

セミドキュメンタリーの例として「はじめてのおつかい」を出すと、幼稚園児に買い物を頼む。一人で買い物をしたことがない園児にとって、それは大冒険で、自動車や自転車にひかれる恐怖、買う物を書いたメモが自分では読めなくて、あたふたする様子、お店の人に読んでもらって、買ったは良いけど、買い物袋が自分の肩より長くて、頭上に持ち上げないと地面に引きずってしまう。地面に引きずって歩くと、買い物袋が破れて、買ったリンゴが坂を転がって落ちてしまう。次から次に困難が押し寄せてくるのを、子供が必死になってお使いを成し遂げる。子供の成長を見守る感動の育児バラエティだ。

このお使いは、買い物が普通にできる中学生に行かせても面白くない。何の困難もなく達成できてしまうからだ。かといって、全く買い物に行けない二足歩行困難の乳児でもダメだ。ギリギリ達成できる/できないレベルの子供が、困難を乗り越えるのが視聴者の感動を呼ぶ。同じ課題でも大島優子では普通に達成できてしまうからダメで、「センターに成りたくない」と泣きじゃくる前田敦子だからアイドルがつとまる。

話にはボケとツッコミがあるように、振りと落ちがあるように、コントラストを見せるために、課題を達成できたパターンと出来なかったパターンの2パターンが必要で、だから2トップは出来る人と出来ない人の組み合わせになる。AKBチーム4の大場美奈が出来ない子で、島田晴香が出来る子で、出来ない方がチームリーダーになる。同世代のチームメンバーからすれば、何故出来ない子をリーダーにするのか不思議だろうが、親目線で「はじめてのおつかい」を見たときに、出来ない子ほどカワイイわけで、出来る子は、大人なら出来て当然のことを出来ているに過ぎないから、相対的に評価は低くなる。

松田聖子河合奈保子で言えば、コントやバラエティのスキルにおいて「課題を達成できるパターン/出来ないパターン両方演じわけますよ」という聖子に対して、達成できるパターンを必死に演じるんだけれども、全くできてない奈保子が、セミドキュメンタリー的に輝いていた。

ダメな子が、ダメであるという理由で、輝ける・ほめられるセミドキュメンタリーの世界は、学校の価値観を転倒していて、何をやってもダメな、ダメ人間にとって、ある種のあこがれの世界に見えているのだろうなと思う。