世代間闘争

ホール・アース・カタログ特集号でhttp://www.amazon.co.jp/dp/4344951883 ロッキンオン創刊メンバー四人のうちの一人で、ポンプの編集長橘川幸夫さんが、自身が団塊世代であることを前提に、団塊世代批判をしていて、面白かった。橘川さんが言うには、高度成長期を生み出したのは戦中世代であって、団塊世代ではない。団塊世代が生み出したのは80年代のバブルであって、それは高度成長の劣化コピーだと言う。


俺は橘川さんよりさらに下の、第二次ベビーブーマー世代で、団塊世代が親、戦中世代が祖父母になる。ベタにバタイユ的な認識だけど、第二次大戦前には、「大学は出たけれど」という映画があって、高学歴失業者なんてのが普通にいたわけで、当時の高学歴エリート学生、軍事系の学校出た青年将校達が、5.16事件2.26事件を起こして、当時の政府、当時の首相をクーデターで殺すわけで、若者VS高齢者、ニューリーダーVSナウリーダーという世代間闘争でもあるわけで。時の権力者としては、若者達の暴力を現政権=自分達旧世代で受け止めるのか、外国批判に向けさせて、外と戦争をするのか決断を迫られるわけで、西郷隆盛征韓論と似た状況に成る。外と戦争をせずに、旧世代VS新世代の内戦をすれば、新旧ともに人が何人か死んで、エリートのポストが空く。外と戦争しても、外に攻め込む若者=エリート将校も死ぬし、外から攻められれば、国内の弱者(老人・女・子供)も死ぬし、何らかの意味でポストが空く。戦争に負けたら、旧世代の権力者は全員、戦犯として権力の座から追われるし、空いたポジションに若者がつくこともできる。


戦争という人口調節機能が、第二次大戦で戦中世代に対して、一度働いて、二度目は68年にもう一度、学園紛争という内戦状態で働いて、その後、戦争を回避してきたということは、ポストが空かないということでもあるわけで。大学(大学院)進学率の上昇も、ポストが無いから学内に残る人が増えたわけで。戦争なしの新世代としては、旧世代と競争してポジション奪うのが、厳しいなら、底辺の生活で楽しく生きる方法を探すか、まだ誰も見つけていないニッチなポストを探すなり作るなりするしかないわけで。旧世代側の対応として、ヨーロッパ的なワークシェアリングとか何とかもあるのだろうけど。