第二次大戦は市民革命のイメージを再利用して行われている

マルクスのいう共産革命は、労働者階級が資本家階級を打ち倒すイメージで語られる。これは市民革命、市民が貴族を打ち倒すフランス革命のイメージをそのまま再利用している。貴族と資本家は、自ら働かず不労所得を得る面で似ている。


人間の生産力は常に消費を上回り、余剰な生産力は何らかの形で消費されなければならない。最も無意識的で最も安易な消費の形が戦争で、戦争をすれば、都市や工場が破壊され、生産力は落ち、住居・道路・上下水道などの復旧に多くの建設業者が必要になり、生産力の余剰は解消される。失業はなくなり、景気は上向く。戦争によって軍需産業で働く武器商人は儲かる。アダムスミスの神の見えざる手のごとく、個人の意志とは無関係の集団的な無意識によって、戦争が起きる状態を、バタイユの「呪われた部分」なんかは書いていて、非常に面白い。バタイユ以前にマルクスも、似た話は書いているが、マルクスの場合、無意識というより、悪意を持った軍需産業死の商人が、意図的に戦争を起こすイメージで語られている。A国とB国の間で戦争を起こす武器商人Cが安全なC国にいて、AとBの両方の国に武器を輸出して、金を儲ける。資本家=武器商人=戦争犯罪者のイメージがマルクス主義にはある。


ヒットラーの思想は一見マルクス主義とは離れているように見えるが、資本家をユダヤ人に置き換えれば、大体似通ってくる。ユダヤ人は祖国を持たないので、どの国でも外国人扱いであり、公務員や高級官僚に成れない。下手すると、大企業でも外国人お断り的な社風だと入社できない。自分で会社を立ち上げるしか就職方法がないのがユダヤ人で、だからこそ、起業資金を貸し借りするユダヤ人ネットワークがあり、ユダヤ人に金融業者=資本家が多くなる。証券マンが株取引をしていて、戦争不安が高まると、軍需産業関連株が値上がりして景気が良くなるとして、景気を良くするために、政治家もリップサービスで戦争不安をどんどん煽って、隣国との関係を悪化させていけば、どこかの地点で本当の戦争が起きる。それを政治家のせいにするのか、証券マン=金融業界=ユダヤ人のせいにするのか、神の見えざる手という名の集団的無意識のせいにするのか、色々あると思う。


自国から遠く離れた場所で戦争を起こして金を儲ける死の商人=資本家を殺せと言うのがマルクスで、自国から遠く離れた場所で戦争を起こして金を儲ける死の商人ユダヤ人を殺せと言うのがヒットラーだ。バタイユの面白さは、意識的に戦争を回避しないと、余剰生産力がある以上、無自覚的に振舞い続ければ、余剰生産力は戦争を引き起こすと言ってるところだ。


日本のファシズムで言えば、「近代の超克」を見ても、日本を戦争に導いたとされる日本浪漫派が、国粋主義的な馬鹿の集団とは思えない。音楽史でいう国民楽派、西洋文学史西洋美術史でいえば、後期ロマン主義や新ロマン主義にあたる思想を輸入している地点で、日本浪漫派も西洋思想の輸入者で、大国の植民地になっている小国の独立や、大民族の支配下にある少数民族の独立などを唱えているわけで、欧米によって植民地化されたアジアを、欧米から取り戻し独立するんだっつう大東亜共栄圏になって行くわけで、バックボーンは西洋思想なわけですよ。大国が自ら大国は小国をいじめてはいけないと言うのと、小国が大国に向かって、大国は小国をいじめてはいけないと言うのでは意味合いがまったく違うが、まあ国粋主義者扱いされている日本浪漫派も洋書読んでる国外派のインテリなわけで、まったくの馬鹿って訳でもない。貴族に弾圧された市民が市民革命を起こすのだ、てのと、大国に支配された小国が独立戦争仕掛けるんだってのは、似てるといえば似てる。