ロック史

○○史や○○学概論が好きで、○○に手を出すときには取り合えず一冊読む訳ですが、ロックは渋谷陽一のロックミュージック進化論から入っているので、私はロック史=哲学史になっちゃってます。


ロックスターの存在は、こうありたいと願う民衆の苦悩の裏返しで、実際には上手く行かない現実があるから成立している。私はステージで殺されたい。と語るデビッドボーイを渋谷陽一が紹介するわけですが、よくよく考えるとデビッドボーイの言っている事はまんま、フォイエルバッハの「キリスト教の本質」だ。神は存在しないが、苦しい生活をしている民衆の苦悩が、苦悩のない理想的な状態=神を生み出している、本当にすべての人が幸せに暮らせる世界が作られれば、宗教は自然消滅するつう話で。ロックスターがステージで殺される=理想的な社会が生まれてロックが必要なくなる。


そのデビッドボーイにあこがれて、セックスピストルズを作ったジョン・ライドンが「ロックは死んだ」と発言するとき、それはニーチェの「神は死んだ」を下敷きにしているわけで、ジョン・ライドンが「デビッドボーイは俺たちの最後のアイドルだった」と言うときのアイドルは、アイドル歌手の意味と、宗教的な意味でのアイドル(偶像)を掛けているわけで、キル・ユア・アイドルというパンクの標語が何を意味して、アナーキー・イン・ザ・U.K.の歌い出しで「アイ・アム・アンチ・キリスト。アイ・アム・アナーキスト」と韻を踏む時のアンチ・キリストがニーチェの著作で、フォイエルバッハニーチェという哲学史に、デビッド・ボーイ−ジョン・ライドンというロック史を重ね合わせているとか、そういうところからロックに入っているから、ロックミュージシャンと哲学者の区別がついていない自分がいる。


ジョン・ライドンは自らを労働者階級に位置づけるが、AC/DCが、彼らは中産階級だろ、俺たちみたいな労働者階級はアナーキーなんて難しい単語を知らないと言っていたのは正しいと思う。