ストロングスタイルとは何か

初心者のプロレス談義です。
アントニオ猪木及びその周辺の人たちがよく「ストロングスタイル」を提唱している。「いまどきの、跳んだり跳ねたりのプロレスというのは好みじゃない。ルー・テーズカール・ゴッチ時代のクラシカルなレスリングに戻るべきだ」みたいな事を猪木周辺の人達はよく口にする。


それに対して、2ちゃんねるプロレス板なんかだと「総合格闘技の時代に強さを売りにしたプロレスなんて流行るわけないだろ」的な話が出てくる。私が子供のころ、アニメの「タイガーマスク2世」が放映され、初代タイガーマスクが空中を跳んで金曜八時視聴率30%という時代だった。日本に跳んだり跳ねたりのプロレスを輸入して一番儲けたアントニオ猪木が自社の選手であるタイガーマスク選手や藤波辰巳選手を何故けなすのか?みたいな疑問は子供心にあった。


第二次大戦後、日本にプロレスを輸入して成功したのがアメリカのNWAと提携した力道山日本プロレスだった。NWAがアメリカで独占禁止法で訴えられたのが1956年。翌1957年に試合の判定をめぐってNWAチャンピオンがルー・テーズとエドワード・カーペンティアの2者に分裂。その後、主として西海岸(WWA:ロサンゼルス)で活躍するカーペンティア選手と、南部(セントルイス)で活躍するルー・テーズ選手に分かれて、NWAその物が一時分裂状態になる。


ストロングスタイルが提唱されるときに、併記される「いまどきの、跳んだり跳ねたりのプロレスというのは好みじゃない。ルー・テーズカール・ゴッチ時代のクラシカルなレスリングに戻るべきだ」という言い回しは、遠回しにカーペンティアを仮想敵にしている。カーペンティア選手はアメリカ西海岸で力を持った選手で、アンドレ・ザ・ジャイアント選手の師匠にあたる。1970年代に日本に呼ぶ外国人プロレスラーのボスであり、招聘窓口でもあったアンドレ選手の師匠ともなれば、批判すれば、外国人レスラーを招聘出来なくなる可能性もあるため、名指しでは批判できない。


いまは削除されてしまったが、少し前にGyao!の昭和TVでカーペンティアの試合動画を見たが、カーペンティア選手のダメな部分がはっきりを判る試合で、逆説的にストロングスタイルとは何かがよく判る映像だった。
カーペンティア選手がブレーンバスターで高々と持ち上げられて、投げられた。プロレスの場合、相手選手を怪我させてはいけないので、投げる側の選手が自分の肩や背中を強打して、投げられた選手の体を守る投げ方をする。投げる側選手の着地面に二人分の体重が乗って、投げられた選手は投げた選手の体の上に落ちるか、もしくは投げた選手によってゆっくりとマットに着地させられる。


その映像ではカーペンティア選手を投げる選手が、背中・肩から着地するつもりが失敗して、後頭部を強打してしまい立てなくなってしまった。試合は始まったばかりで、止めるわけにはいかない。投げた選手が仰向けに倒れて体力の回復を待っている間、カーペンティア選手は離れた位置で、ロープワークや前方宙返り・後方宙返りを繰り返し、時間を稼いでいる映像だった。オリンピックレスリングでは、一秒でも選手の両肩がマットに着いたらフォールされていなくても負けなのに、その映像では、倒れて5分ぐらい動かない選手に対し、フォールも行かず、攻撃もせず、離れた位置で、カーペンティア選手が跳んだり跳ねたりしている。レフリーも倒れている選手のカウントも取らず、ドクターチェック的なことはしていたようだが、負けを宣告することもしない。どう好意的に解釈しても二人の選手が闘っていると解釈することが不可能な映像になっていた。


プロレス雑誌「Gスピリッツ」の16〜18巻「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」を読むと、アメリカの東部(AWA)・西部(WWA)・南部(NWA)で行われているプロレスの種類が微妙に異なっている。アマレスはアメリカでは冬に暖房の効いた室内で行う競技だとされていて、暖かい南部では高校の授業でアマレスを行っておらず、アマレス部のない学校も多いため、プロレスファンでもアマレスルールを知らない客が多く、デスマッチや殴る蹴るも含めた、非アマレス的な要素が強い。アマレスでロンドンオリンピックに出たバーンガニア選手がエース兼プロモーターを務める東部では、レスリング色の強い選手が多い。映画の都ハリウッドのある西部のロサンゼルスでは、アクションスター志望の役者の卵が、知名度を上げるためのステップとしてプロレスに参戦する。1950〜60年代、プロレスは全米中継でなく、テリトリー制で5〜10州程度の範囲で放送されるものだった。全米だけでなく、全世界の英語圏で上映されるハリウッド映画は、西部のプロレスラーにとってギャラ的にも名誉面でも憧れで、育てたレスラーがハリウッドに取られることがしばしばあったようだ。


東部のアマレス、西部のアクション映画、南部のプロレス。同じプロレスといってもかなりカラーが違って、日本のプロレスは南部からの影響が強い。WWEの本部はアメリカ東部のニューヨークにあるが、ビンス・マクマホン・ジュニアが株主になってからのWWEのビジネスモデルは、全米及び全世界の英語圏に向けてプロレスを放送するハリウッド型のビジネスで興行会社というより映画産業に近い。ボクシングやUFCがライバル・同業他社なのではなく、スピルバーグ監督やディズニー映画がライバル・同業他社になる。世界百何十カ国の英語圏が市場なので規模も大きく、動く金額もデカい。


ストロングスタイルではないプロレスは、透明人間ミステロンやラブドールヨシヒコのような、手品の種明かし的なプロレスだと思う。


カーペンティアより以前から、メキシコでは跳んだり跳ねたりのプロレスが存在して、それを北米市場に持ち込んで、アメリカの各地で放送し、会場で試合を見ないライトユーザー層に「プロレスというのはTVで見たけど、殺陣のことでしょ?」という認識を浸透させたのがカーペンティアで、それによって北米のプロレスマーケットが一瞬注目され、市場が潤ったが、プロレスに対する信用が失われて、その後じわじわと長期的に冷え込んだというのが、ルー・テーズ派の見解になる。前田日明選手が若手時代「プロレスは作り物のファイトじゃないか?」とファンに聞かれたら、どう答えるべきかカール・ゴッチ選手に聞いたらしい。そのときの答えが「確かに、そういう選手もいるが、リアルファイトの選手もいる。私もそのうちの一人(リアル・ワン)だ」と答えたら良いと言われたという。プロレス業界内の人間でも、ガチですと断言できない、どう理論武装しても真剣勝負に見えないような試合が放送されてプロレスラーは肩身の狭い思いをしていた。跳んだり跳ねたりのルチャを新日本プロレスが輸入するときに、ジュニアヘビー級という枠を作って、華麗に跳ぶのはジュニア、強さを売りに闘うのはヘビー級と分けた。新日本プロレスの親会社になった株式会社ユークスの社長は元々ジュニアヘビー級藤波辰巳選手のファンで、跳んだり跳ねたりのプロレスが好きな人だった。日本中の団体からルチャ系のレスラーを集めて行われたベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアや本場メキシコのルチャ団体CMLLとのコラボなど、ユークス新日はルチャ系興行のクオリティーが非常に高かった。同時にヘビー級の試合に関して興味がないのも感じられた。


ユークス新日の3Dプロレス映画第三弾が、個人的に期待はずれだった。ストロングスタイルの英訳として「ナチュラル」というプロレス用語がしばしば用いられる。外から映像を見る限り、レスリングの試合だと解釈しても不自然ではないプロレスの試合。ぐらいの意味で使われる。WWEの試合をナチュラルに含めるのか含めないのかは諸説あるが、WWEとの差別化を図るときに、よく言われる違いは、試合の結末は決まっているとしても、その間にアドリブのスパーリングパートが入っているかいないかが、大きな分かれ目になる。TVの放映権料を主収入にするとき、試合は生放送で、番組の放映時間ちょうどで試合が終わらなければならない。TV放映されない前座試合が番組開始直前で終わって、放送と同時に試合が始まり、CMに行くタイミング、番組が終わるタイミング、秒単位で試合時間が決められていると、アドリブのスパーリングパートは入れられない。


ストロングスタイルを唱えるファンは、試合の勝ち負けが台本通りだとしても、スパーリングパートに関してはガチの真剣勝負だと感じている。試合内容だって台本で決めることも可能だし、演技で作ることも出来るでしょと、いう人達もいるが、アドリブか演技かは、見破られることも多い。M−1グランプリか何かで、漫才をやっていて、ボケ役がボケて、ツッコミ役がツッこみ、会場に笑いが起きる。でも、ボケ役がアドリブでボケたとき、ツッコミがツッコむ前に、思わず笑ってしまったり、そのボケが生きるツッコミを0コンマ何秒考える間、眉間にしわを寄せてすごい緊張感と集中力で厳しい表情になったり、相方のアドリブに負けないアドリブ(カブせ、ノリツッコミ)を入れてツッコまないと、相方に舐められるという緊張感が走ったりして、台本通りではない緊迫した空気が舞台に訪れる。


新日本プロレスの内藤選手がメキシコ遠征から帰ってきて、フライング・フォー・アームスという技を使い始めたとき、アドリブ特有の緊迫した空気がリング上に生まれていた。プロレスのロープワークは、ロープとロープの間を走るときの歩数が決まっていて、7歩で動く。4歩目がリング中央で、二人の選手が十字に動くとき、真ん中でぶつからないように、跳んだりしゃがんだりするのが4歩目だ。フライング・フォー・アームスはロープに振られて、ロープからリング中央の選手に向かって一歩で、一跳びで相手選手の首元へひじを当てる技だ。内藤選手をロープに振り、自分は90度ズレた方のロープへ走ろうとしたとき、いきなりロープからヒジ打ちがくる。ロープワークの基礎を崩した技で、基礎を体に染み込ませたベテランほど、この技を食らうと対応が出来ない。セルをするため倒れなければいけないという意識と、新人の癖に何勝手なアドリブ入れているんだという怒りと、相手に対し、機転の利いた返し技を出さなくては舐められるというプレッシャーで、思考が止まり、下手するとそのまま棒立ちになってしまう。


新日本プロレス3D映画第三弾はメインが、中邑選手対内藤選手で、無茶振りをする内藤選手と、どんな無茶振りにも機転の利いた返しをする頭の回転速度が売りの中邑選手で、えぐいアドリブ合戦を期待して見ると、台本通りでアドリブなしの試合に萎える。内藤選手をロープに振り、90度ズレたロープに走る中邑選手、内藤選手はロープぎわで、中邑選手をじっと待つ。中邑選手はロープに行ってリング中央に返ってくるとき、内藤選手に「来い」と目で合図を送り、合図に合わせて内藤選手が跳んでフライング・フォー・アームスを出す。ナチュラルではないなと。