プロレスの輸入

プロレスの歴史をどこから書き始めるのかは難しくて、ジャンボ鶴田選手の卒論は、ピラミッドの壁画に、プロレス技を描いた絵があって、その技がお互いの協力がないと成立しない技であると書いている。紀元前三千年までさかのぼった話だ。アメリカのプロレス史について書かれたサイトを見ると、アメリカ大統領のリンカーンが若い頃プロレスラーとして試合をした公式記録について書かれていたりもする。


日本にプロレスが輸入された最初の時期、日本に選手を派遣していたのはアメリカのNWAだった。力道山日本プロレス時代の話だ。ここから1990年代ぐらいまでに書かれたアメリカのプロレス史はNWAの社史で、いま書き直されているアメリカのプロレス史はWWEの社史で、NWAとWWEだとプロレスの定義自体結構食い違っていたりする。


GHQが日本から撤退したのが1952年4月28日、日本プロレスが設立されたのが翌年1953年7月30日。初期の放送は、日本テレビではなく、国営放送のNHKで、民放の日本テレビに番組が移ってからも、二週間に一回のペースでプロレス中継が放送され、アメリカ発信のテレビ映画「ディズニーランド」と交互に放送されていた。


アメリカのプロレスと言っても、北部と南部、北部の中でも、西海岸・東海岸があって、演劇の都、ブロードウェイのある東海岸は、入場料収入がメインのプロレスだが、映画の都ハリウッドのある西海岸だと、録画して放送する放送権料PPV収入メインになる。アマレスのガチ試合を見せるのが売りの東海岸と、ハリウッドスターのアクションシーンを見せるのが売りの西海岸みたいな差がある。日本に輸入されたプロレスは南部のNWAのプロレスだ。