スヌーザー終刊

スヌーザー終刊号の後に、3冊ぐらい、スヌーザーの版元リトルモアからディスクガイドを出す予定らしい。1冊目が売れなかったら、1冊で終わるかも知れないという。


そこで考えうる最悪のディスクガイドは、縦8段・横2列組ぐらいで、一ページで16枚のCD・レコードを紹介し、紹介の内容が、ジャケット写真とアーチストの写真、アルバムタイトル、バンド名、収録曲、収録時間、値段、レーベル名、バンドのメンバー名と担当楽器名、JANコード・商品番号しか書かれていない。100ページで1600枚ぐらいのレコードを紹介しました。みたいなのが、一番最悪だ。(ミュージック・ライフの最終号が、そんな感じだった)その程度の情報は、ネット上のCDショップ、アマゾンか、音楽ダウンロード販売サイト辺りで検索すれば、出てくる情報で、紙媒体でお金かけて印刷する意味がない。


ぴあの休刊も、その手の情報が全部ネット配信になったから、カタログ雑誌はネットに移行していらなくなった。スヌーザーも下手すると同じ文脈で語られてしまう。でも、スヌーザーには田中宗一郎という名物音楽評論家兼編集長がいて、そこに一定の固定ファンがついている。田中宗一郎の音楽評論は、アマゾンでは読めなくて、スヌーザーでしか読めないなら、スヌーザーに存在意義が生まれる。


ロッキンオンの渋谷陽一には、独自のロック史観がある。BURRN!伊藤政則にも独自のメタル史観はある。萩原健太にも独自のポップス史観はある。私は田中宗一郎独自の音楽史観を知りたいし、田中宗一郎が描く音楽の歴史を読みたい。どういう視点から、どういう意味で、どういう音楽に、どんな価値を見出すのかを知りたい。スヌーザーはそういうのが、見えそうで見えない雑誌だった。


終刊号で田中宗一郎が言っていることは、偉大なる父=ロッキンオンに対する反抗で、一定のパースペクティブ(視点)から、音楽史を語るときに、どの視点から語っても音楽の一要素・一面性しか語り得なくて、そのような視点や音楽史を否定するんだという話で、文字通り受け取ると共感できないのだけれども、でもその文章に、明確な視点・姿勢が込められていて、面白かった。


音楽評論家の主観を排した客観的なディスクガイドを目指すと、ネット上で検索すれば出てくる程度のカタログにしかならない可能性が高い。田中宗一郎氏の主観を前面に打ち出した音楽評論集を私は読みたい。