文学フリマ打ち上げ

文学フリマの感想を書くノルマを背負っているような気分なので書こうと努力してみる。出店者ではなく純粋な読み手としての参加は2度目で、少しづつ読み手としての楽しみ方が分かってきた様な気もする。と言っても、ネット上の知り合いと、オフラインで初対面のあいさつをかわし、知り合いの同人誌を買い、ゼロアカ道場関連やアラザル早稲田文学といった限りなくプロに近い大手出店者の本で、面白そうな物を買うという、オフ会ノリなわけですが。


文学フリマの一般入場が11時〜16時までの5時間で、その後の打ち上げが17時から22時までの5時間だとすると、結局文学フリマは、打ち上げの飲み会でどこに混ぜてもらうかが大事で、前回は筑波批評社さんに混ぜて頂き、今回は詩誌「酒乱」の打ち上げに混ぜて頂いた。予約なしで混じった結果、誰かが打ち上げ会場からあぶれて、打ち上げに参加できなかったり、多めに予約したらしたで、予約人数を下回ったときの打ち上げ主催者に掛かる経済的心理的負担を考えると、自分で打ち上げの会場を予約せずに、どこかに混ぜて頂くことの後ろめたさはある。実際今回の筑波批評社さんは事前予約者のみの打ち上げであったわけですし、前回の打ち上げ時も筑波批評社さんは打ち上げに合流したいと申し出た著名人の申し出に対し、その著名人の周囲に10人20人のファンがいるのを見て、打ち上げ会場の予約人数を勘案した結果、その申し出を泣く泣く断らざるを得なかったわけで、本来文壇的な出世を考えるなら、私のような無名のファンを切って、著名人と打ち上げをやった方が筑波批評社さんの利益にもなるわけで、やっぱりお互い非常に難しい部分はあるのだろうなと思う。打ち上げの主催&会場予約をするのかしないのか、するとして、どの規模・どの人数・どの会場・どの予算でやるのか?文学フリマの出店時間と同じ時間打ち上げをやるとして、どういう面子で、どういうテーマで、どんなトークを繰り広げるのかは、ある意味において文学フリマ本番と同じぐらい重要な何かになっていると思う。


今回混ぜて頂いた打ち上げの面子は詩誌「酒乱」の編集部+
YSWS(ヨコハマ・スポークン・ワード・スラム)http://ysws.endless-world.net/home.html
スタッフ+αなメンバーで、約二十人ほど。酒乱編集長の
森川雅美さんhttp://plaza.rakuten.co.jp/morimasami/
文字通り酒乱である中、酒乱編集部の
小川三郎さんhttp://www.haizara.net/~kirita/ogawa/
司会で飲み会が進んでいく展開だった。森川さんの話では、
詩誌「ウルトラ」http://kidoshuri.seesaa.net/article/73735913.html
「TOLTA(トルタ)」http://tolta.blog81.fc2.com/
二つが「酒乱」http://shurandx.web.fc2.com/
ライバルという位置づけでした。ネットで調べた感じでは、ウルトラが活字の現代詩を扱う詩誌で、トルタが音楽や歌を扱っている。活字現代詩をやりながら詩の朗読イベントにも出ている森川さん的には、現代詩と朗読・歌をどうつなぐのかがテーマらしい。現代詩の媒体で、詩を扱う時に、既に出来上がっている現代詩の価値観にのっとって、ある特定の詩を良い悪いと判断することは可能だが、価値観が定まっていない朗読・スポークンワードという場で、良い悪いを選別する審査員を受け持った時、非常に苦しい、それは森川さんの個人的な趣味的判断ではないのかと言われると、反論が出来ない、現代詩を扱う媒体では自分の感性ではなく現代詩という場の価値観で判断するが、定まった価値観がない場所では、自分の感性が問われる。という話が出ていた。


私はいつものように、詩とは舞台芸術を指す言葉だとかなんとか、メールマガジンhttp://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/167gou.txtで書いているような持論を展開した。東京ポエトリーシーンがアメリカの'94年'96年のMTVポエトリーアワードをロールモデルにスタートし、ドラゴンアッシュの「グレイトフルデイズ」が売れて、DefJamが日本に進出した時期にSSWSとヒップホップ雑誌blastがスタートし、ヒップホップバブルの終わりとさいとういんこさん主催のSSWSの終わりとblastの休刊が同時期で、言ってしまえば産業側にとってドラゴンアッシュこそがポエトリーだったんだという話を数年とはいえ自分よりも年長である小川さんに語ったときに、好きな現代詩はドラゴンアッシュです!と語る頭の悪い若者か俺はと、一瞬思った。小川さんは雑誌「宝島」とインディーズブームの話を共有できる相手だったので、私は一方的に楽しかった。


打ち上げの場でローリーさんという方が、理系の学校を出て、理系の職場に入り、文学を読まない環境にいる中で、何故か文学フリマの会場に来てしまったという話をされていた。幼い頃から教科書以外で文学を読んだことがないと断言するローリーさんに、文学に興味を持ったきっかけを小川さんが尋ねた。ローリーさんの話によると、科学というのは整合性のある完成された体系があって、その体系の外側が教科書レベルではないことになっている。すべてを説明できる完全な体系が好きで、だから教科書レベルの科学が好きだったのが、ある程度まで進むと、誰も研究したことがない分野を自分で見つけて、その中で新しい発見をしなくてはいけなくなるのだけれども、自分の中の問題意識を要求されても、教科書に書かれた完成された体系を知るのが好きなだけで、そもそも自分の中に問題意識はなくて、でも何か問題意識がないと研究対象が見つけられなくて、そこから哲学や文学などの文系の知識を意識するようになった。という展開でした。


ローリーさんの話が、自分の中でまったく他人事ではなくて、私が文学や哲学や批評やニューアカに興味を持ったきっかけは教科書レベルで物を知りたいという欲求から来ていて、純文学とか実存とか哲学とか、自分には分からない単語が並んだ本が、何を伝えているのか、それを教科書レベルで知りたかっただけなんですね。この地点では言葉はコンスタティブな物として存在していて、真か偽か、正しいか間違っているかが問えるわけです。ところがある程度、フランス現代思想をかじると、構造主義(structuralism)と脱構築(deconstruction)の間にある、ある種のフーコー主義というか、構築主義(constructivism)というか、その手の思考はすべての言葉を、パフォーマティブ(行為遂行的)に読むわけです。現実を動かす何らかの目的をもった上で、ある種の手段として言葉が使われていると解釈する。結婚式場で「私は妻Aを永遠に愛します」と誓われる言葉は、その地点では真か偽かは問えなくて、幸か不幸かしか問えない。その誓いが実現できれば幸だし、(式場の中で花嫁にふられたり、結婚後離婚することになったりなどの理由で)実現できなければ不幸だ。現実を静的に記述する言葉ではなくて、現実を動かしていく言葉としてすべての言葉が解釈される。その手のフーコー主義的な思考にはまると、すべての言葉が何らかの意図を持って、現実に対する影響力を行使するために発せられていると解釈しがちになる。


第三期批評空間やNAMに対して、安易な批判を投げかけることは、批評空間の読者にとって、割と簡単なことだと思う。教科書的に正しいことを記述するコンスタティブな学術誌ではなく、社会運動的な活動媒体としての雑誌になったときに、雑誌に載った個々の活動が成功した/失敗したということを周囲からコメントするのは安易な気持ちで出来てしまう。静的な学術書を読んで内容の間違いを批判するよりも、そもそも成功可能性が低い社会運動に対し、失敗したよねとコメントする方が容易だ。第三期批評空間の方向性は批判されやすいことを皆気付いていたわけで、にも関わらず何故その方向へ行かざるを得なかったのか。その起源を問いだすと、第二期批評空間ではなく、雑誌「現代思想」から、批評空間が分かれた地点までさかのぼれる。未邦訳の学術書を翻案・紹介していた当時の現代思想は、その翻訳の真偽を問える雑誌だったわけで、明治期以来の日本の大学の役割、先進国の思想の翻訳・輸入機関として機能し続けた学術の典型的な形式にのっとっている。その手の学術誌を批判しようと思えば、その内容に関して書き手以上の専門的知識を読み手が持たなくては批判できない。柄谷の「マルクスその可能性の中心」のあとがきにもあるように、'74年地点で既に思想の輸入だけでなく、西洋に対する日本の思想のアウトプットを柄谷は考えていたわけで、するとアウトプットに値する独自の情報をどこから仕入れるのかといったときに、自ら現実に働きかけて、その働きかけの反応、働きかけの成果を一次情報にするしかなくなる。


雑誌と雑誌が記事で取り上げる活動を行なう主体の間に、ワンクッション入るのか否か。音楽雑誌を例に取ると、レコード会社や音楽事務所から広告費をもらい、商品=ミュージシャンの記事を扱うカタログ雑誌的なあり方はある意味すごく安全で、普通だ。対して、80年代の宝島はインディーズブームを後押しする形で、インディーレーベルの作り方を記事として取り上げるだけでなく、自らキャプテンというレーベルを立ち上げ、版権を所有しながら物を売る主体として活動した時期がある。雑誌と商品広告を打つメーカーの間に一線があれば、その商品が売れなくても、それはメーカー側の落ち度であり、雑誌自体は傷つかずに済むが、雑誌自らがメーカーとして商品を作り販売する時、その商品の販売不振は雑誌ブランドそのものを傷つける。インディーズブーム、バンドブームという運動の主体として深く参加した宝島は、ブームの終わり、運動の終わりが、そのまま雑誌の終わりとして判断されてしまう。学生運動を支持し自ら参加したサルトル学生運動ブームの終わりと共に忘れ去られていくのと似ている。


雑誌は様々な社会運動や経済活動を安全な位置から、コンスタティブに記述する限りにおいて安泰だ。現実に対する一次情報は、社会運動や経済活動をする主体のもとに集まり、その情報を様々なマスコミに受け渡す。マスコミは活動する主体から受け取った二次情報を報道する。雑誌が他社の得ていない自分独自の一次情報を欲すると、自らが現実に働きかけて活動しそこから情報を得る主体にならざるを得なくなる。宝島がインディーレーベルの作り方を記事にして、インディーレーベルの運営は誰にでも出来る簡単な物で、きちんと利益が出て、しかも楽しいですよと読者をその活動に勧誘する時「では当然、宝島自体もインディーレーベルを持ちますよね」とパフォーマティブな記事として読まれてしまう。この商品は買いですよというカタログ雑誌にしても、だったら、この記事を書いたライターや雑誌社は当然この商品を買うわけですねと、パフォーマティブな文章として読むことも出来る。あらゆる言葉がパフォーマティブな意味で解釈されてしまう時、発された言葉はすべて、社会参加・活動への参入・アンガージュマンとして解釈され、自らが支持した何かに対する責任が発生し、支持した何かの終わり=雑誌・媒体の終わりとして解釈されてしまう。その磁場から逃れることは、非常に困難で、それを突き詰めると、言葉を発さずに黙って自分の持ち場で働くしかなくなる。この商品は売れると書くぐらいなら、黙ってその商品を売りなさい、みたいな所へ行き着く。
http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20091206