文学フリマ打ち上げ

kidana2009-05-11

文学フリマの打ち上げは、筑波批評社グループに混ぜて頂いて峰尾さんid:mine-oゼロアカ道場、山田さん@クラスター、シノハラユウキさんid:sakstyle&塚田さんid:Muichkineゼロアカ道場破り筑波批評社代表含む豪華18人メンバーに入れて頂いて飲んでました。(右画像はid:sakstyleさんを描いた似顔絵)


一人、クオリア等の大陸哲学に詳しいid:swampmanさん(大学3年生)がいて、シノハラさん@分析哲学と激論を交わしてました。その方がすごいのは、筑波批評社ウォッチャーで、筑波批評社のどの人に対しても「あなたの書かれたこの文章の、この部分なのですが〜」という会話が即座に出来て、言われた本人が「え?書いたの大分前だから覚えてない。書いた同人誌が手元にないと思い出せない。」「それは、いま私が持っているので、出しましょうか?」「いや、出されてもいまは、頭が回らない。というか、結構適当に書いたので、厳密な定義を求められても」「空気が読めなくて、すみません。こういう会話は迷惑だったですか?」「いや、そんなことない、非常に勉強になるよ。」という展開になる。しかも、私の名前を言うと「メルマガ読んでます。Gちゃんねるの方ですよね」ときた。すげー、どんなニッチな所フォローしてるんだ。


シノハラさんとその方の論争が、私の目から見ると典型的な分析哲学対大陸哲学で、現実と現象のズレ、身体性や感性の多様性に価値を見出そうとする大陸系と、記号と意味との間のズレ(誤差)を減らす努力をしようとする分析哲学の論争で、何故多様性やズレに価値を見出さないのだという指摘にシノハラさんが、「僕は科学と芸術があれば、その間の哲学は要らないと思う」と言ったのが秀逸で、分析哲学と大陸哲学では、そもそも論じる対象が異なっていて、科学を論じる分析哲学では、厳密な一致を求めていくが、芸術を論じる大陸哲学はズレや多様性に価値を見出す。そもそも論じる対象が違うのだという話を私もかぶせると、その方も面白い言い方をしていて、分析哲学の中にも多様な考えを持った学者がいっぱいいて、分析哲学内でのズレが生じている。あなたのいう分析哲学は、分析哲学の対象領域を指すのではなく、分析哲学キャラを指している(爆笑)。分析哲学の中にも現象学キャラの人もいれば、大陸哲学キャラの人もいて、でも扱う対象領域は分析哲学なんですよ。


久々に面白かったなぁ。