興行と雑誌と地上波テレビ

同じプロレスというコンテンツでも、興行に求められる物と、雑誌に求められる物と、テレビに求められる物は異なっていて、プロレス団体が興行会社である以上、自社の収支だけを見るなら興行として良いコンテンツであれば良いのだが、雑誌社やテレビ局やグッズ販売会社やと提携していくとなると、自社の収支だけをみれば良いのという物でもないらしい。


テレビというのは上でも書いたように、本来プロレスに参戦しないはずの人が参戦してくるような事件性のある試合にしか興味を示さないわけです。しかもテレビが注目するのは、プロレスに参戦しないはずの人が参戦する最初の数試合だけで、五年十年参戦し続けても、そこには興味を持たないわけです。けれどもプロレス団体は所属選手を終身雇用に近い契約で雇っているので最初の数試合だけでポイ捨てするわけには行かない。


興行というのは何の予備知識も無い人がパッと見て楽しめる物でなければいけないが、雑誌(専門誌)は予備知識を与えることでそれをより深く楽しめるという前提がなければ成立しない。興行の場では、ごちゃごちゃした理屈抜きに、一度見れば絶対楽しめるから、是非見に来てよと言わなければいけないが、雑誌だとプロレスというのは奥が深くて〜と言わなくてはいけない。NWOやT2000などで蝶野選手がやっていたような連続ドラマのプロレス(善玉と悪玉が闘って、悪玉が負けた試合後に別の悪玉がマイクを握って「これで終わったと思うなよ」と善玉に喧嘩を吹っかける)は、地方の会場に試合を見に来たお客さんからはあまり評判が良くないが、(岩手でやった試合の続きを北海道でやって、その続きが東京につながるので、年に一回地元の試合だけを見る雑誌やテレビを見ないお客さんには、試合の流れが意味不明に映る)プロレス雑誌を毎週買っているお客さんからは評判が良い。一話完結の試合は会場に見に来るお客さんの評判は良いが、プロレス雑誌やスポーツ新聞的には面白くない。


アントニオ猪木IGFはテレビ的なクオリティを優先させて、ノアは興行的なクオリティを優先させて、結果的に両方とも困難にぶつかっている気がする。雑誌的な話をすると、専門的な技術を解説していくのが専門誌の仕事で、その専門誌が月刊や週刊ペースで出続けるには、月刊や週刊ペースで新しい技術やテクニックが出てこないといけない。ある時期の柔術総合格闘技には、それがあったが、UFCランディ・クートゥアがプロレスラーのブロック・レスナーに負けている昨今、(これは例えていうなら、ボクシングのチャンピオンが、客寄せのためのラウンドガールとボクシングをして負けたみたいなものだろうか)もしくは総合格闘技が競技としてルールと技術体系が固定化し、普通の意味でのスポーツと化している昨今、格闘雑誌で一番面白いのはGスピリッツGスピリッツ Vol.9 (DVD付き) (タツミムック)のような気がする。プロレスの歴史や技術体系を解説している雑誌で、どのような動きをして、どのような受け身を取り、どのような試合展開をすればお客さんが盛り上がるのかという技術論を載せている雑誌だが、一つ間違うとプロレス=八百長という暴露本になってしまう所を、照明やカメラワークについて書かれた映画雑誌のように、ギリギリのラインでプロレスの奥深い技術について書いている。この雑誌が馬場全日という現存していない団体についてしか言及しないのも、ギリギリまで書くと現在活動している団体についてはコメントできないという矛盾からきていると思う。