雑誌に対するいらだち

仲俣暁生さんのBLOG
http://d.hatena.ne.jp/solar/20081021
を読んでよくわからない種類のいらだちを感じたので、書いてみます。
平たくいうと上記のBLOGは、歴史ある有名雑誌が赤字(休刊)ラッシュで、雑誌編集者やライターが食えないという話を書いてある。
仲俣さん自身の出自からも編集者という立場から物を書かれていて、その中で総合誌の必要性が説かれている。


私の出自を書くと1974年生まれの団塊ジュニア世代で、高校時代に80年代前半の宝島、大学時代に80年代前半の「よいこの歌謡曲」を見て、感化された人間で、しょぼい同人誌を趣味で作って模索舎タコシェに持ち込んだこともある、出版業界での労働経験ゼロの人間です。つまりは雑誌の消費者の立場からでしか、物をいうことが出来ないので、消費者の立場から物を書いてみます。


・自分にとって雑誌は買う物ではなく立ち読みする物
・雑誌は広告の寄せ集めでしかない
・雑誌の記事や写真は広告主が提供している
・広告主=ライター
・編集者(=アンカー)は広告主から広告費と情報をもらい紙面にレイアウトするだけのDTPオペレーターでしかない。


多少過激な表現を取りましたが、私の母方の祖父(既に亡くなってますが)は大正生まれで家には総合誌「太陽」「世界」がありました。祖父は大学受験のときに関東大震災を経験しています。自家用車を持たず、通勤にはバスを使っている人でした。電車通勤の人は通勤中に活字を読むが、マイカー通勤の人はラジオやCDを聴きます。自家用車を持たない世代の人だったから、通勤中に雑誌を読んだのだと思います。車でなく、電車が最先端のテクノロジーであった世代、鉄道オタク=鉄ちゃん世代=1970年代ぐらいまでは雑誌を読み、それ以降は通勤中の読書率は減る傾向にあると思います。
昭和40年〜50年(≒1970年代)に掛けて自家用車が普及したデータhttp://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa51/ind020301/001.html


貸本屋の全盛期1955年〜65年から、公共図書館の普及1960年〜70年という変化で、本は無料で読めるものというイメージが広がったのも大きいです。日本だと雑誌は立ち読みし放題ですが、海外だとスポーツ新聞などと同じで立ち読み禁止です。1960年前後にテレビの普及が進み、有料映画から無料放送のテレビへ移行したことで、情報=無料というイメージになったのも大きいと思います。1980年代以降の日本の雑誌はビジネスモデルがアメリカのフリーペーパーと同じで、無料配布の広告をばら撒いて広告料を取るになっていて、リクルート事件を起こしたリクルート社(週刊住宅情報・週刊就職情報など)がその意味で最も時代に適応した雑誌社だったと思います。私の場合、立ち読み不可で定期購読で読む(総合)雑誌と言えば、小学館や学研の学習誌で、おもちゃを付加することで紙面をひもでしばって中を読めなくし、書店以外の独自の流通ルートを使って販売するやり方は、ある意味ディアゴスティーニの先駆けだと思います。


書名は忘れてしまったのですが、雑誌「ファミコン通信」の内部暴露をした本があってそれを読むと、雑誌に載せる画像と文章のうち、ゲーム画面の著作権はすべてゲーム会社が握っている。ゲーム会社が権利を所有する画面を雑誌で使いたければ、その記事に関する文章はすべて事前にゲーム会社のチェックを通らねばならない。結果ゲーム雑誌の記事と広告の区別がつかなくなる。という事が書いてあって、逆にいうとゲーム画面&ゲーム広告を一切載せない雑誌「ゲーム批評」が誕生した必然性も分かるのですが、これと同じことはゲーム以外の商品、ミュージシャンの写真を載せている音楽雑誌や芸能人の写真を載せている芸能誌、商品写真を載せているカタログ雑誌や文芸本の広告を載せている文芸誌にも言えると思います。


初期のロッキンオンやよいこの歌謡曲は、ファンがファンのためにレビューを書いているという幻想があって、ダメな商品はダメだと書いて、ダメな商品に金を払わなくて済むよう注意をうながすためのレビューであったし、ダメな物に対してダメだと書くことがレビュー誌の役割であった時代がある。80年代の後半以降、その手のレビュー誌幻想がなくなって、誰も何もけなさなくなった。広告費を払うと、広告とその広告の商品をほめる記事が付いて来るという資本の論理しかなくなった。


読者が雑誌を買わずに立ち読みで済ますから、雑誌は広告費に頼らなくてはならなくなる。広告費が上がるから、記事は広告主のヨイショに終始する。結果、雑誌には広告しか載らなくなる。広告しか載らないから雑誌を買わなくなる。悪循環に陥る。


最近プロレス雑誌で週刊ゴングが休刊になった。週刊プロレス週刊ゴングはどちらもプロレス雑誌で別の雑誌社から出されていたのだが、巻頭のカラーグラビアページ、10〜20ページある中で、そのほとんどが毎週、同じ内容であった。
ゴングとプロレスは表紙の表1表3こそ違っても、一ページ目に使われる写真と文章、2ページ目に使われる写真と文章、3ページ目に使われる写真と文章・・と約20ページ、ページ内のレイアウトと文章の語尾を除いてほぼ同じであった。こんな偶然が毎週起きるとは考えられず、おそらくはプロレス団体側が用意した写真と記事を両編集部がレイアウトのみを手掛けたのか、記者とカメラマンが両編集部を掛け持ちしているのか、独自の情報を取ろうという気がまったくないことが見え見えのカラーページでした。


テレビで、共同通信からニュース速報が入ると、どのチャンネルのどの番組でも同じ速報が流れるのと、同じような横一列の精神があって、読む側からするとTVの地震速報と同じ無料の情報でしかないわけです。


70年代後半から80年代初めぐらいまでのレビュー雑誌、専門雑誌はダメな物をけなし、良い物をほめるという批評性があると思われていて、それが今では、広告費を払った物をほめて、広告費を払えない物は取り上げない、広告(費)の寄せ集めでしかないと思われている現状がある。それでもプロレス業界にはプロレス専門誌、ロック業界にはロック専門誌、アイドル業界にはアイドル専門誌があって、その業界の大手企業数社で一つの雑誌を寡占することにまだ意味があったのが、これだけWebが発達すると、各企業が自分達の公式HPを持って、そこへ情報発信すれば、批評性のかけらもないレビュー誌などいらない、という方向へ来ている。出版業界に対する広告費の支払いより、WEBに対する広告費の額が上回ったという。


ネット広告費が雑誌広告を抜き去る、電通発表「2007年日本の広告費
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20367761,00.htm


70年代のレビュー誌を支えた幻想は、企業のフィルターを通さない生の消費者の声が聞こえるという物で、いまの個人発信のBLOGはその幻想を引き継いでいます。QJの創刊準備号で北山耕平さんが言っているニュージャーナリズムは、アンカーマン抜きのジャーナリズムで、現場に行って直接物を体験している俺たちデータマンに記事を書かせろというある種の階級闘争や下克上を感じさせるものでした。仲俣暁生さんが編集者の立場から物を言うとき、それは出版素人の私にはアンカーマンの立場から物を言っているように見えるわけで、編集者不要論はある種のニュージャーナリズムやQJ的な精神から言えば、正しいのではないかと思えるわけです。