プロレスのビジネスモデル

1950年代のアメリカで完成されて、80年代半ばの日本で潰れたプロレスのビジネスモデルについて考えたい。基本的にプロレスラーには4つのポジションがあって、プロモーター(日本だと社長)兼エース選手(力道山選手・ジャイアント馬場選手・アントニオ猪木選手)がベビーフェイスのトップを張る。次に団体所属でヒールのトップ選手にボコられてヒールの強さを見せ付ける役割のベビーのやられ役の選手がいる。この二つの関係はイメージとしては空手道場の師範と練習生のようなイメージだ。


次にこの道場道場破りに来た体のデカイトップヒールのポジションがある。このトップヒールは、悪いことをするからヒールという場合もあるが、団体の部外者で、この選手に師範が負けると道場としてのメンツが保てず、団体の存続が不可能になるため、団体にとってヒールだという意味合いも強い。そして、道場にトップヒールを連れてくる悪徳マネージャー兼ヒールのやられ役。


大雑把に言うと、ベビーとヒール、トップ選手とやられ役の二つの概念の組み合わせで四つの役割が出来る。最低、この四つのポジションに一人づつ人がいれば、タッグマッチも組める。アメリカだと各地区ごとにプロモーターがいて、それぞれのテリトリーが決まっている。各地区ごとに団体があって、その団体間を行き来するフリーの選手がいる。


各ポジションの役割を細かく見ていこう。ベビーのトップは創業社長兼エース選手で、この地位はよほどのことがない限り揺るがない。団体所属の他の選手がどんなに人気が出ても、団体所属でいる限り、創業社長には勝てない。メキシコなんかの小さな団体を見ると、タッグマッチで、ハタチ前後の若くて切れの良い動きをする選手に混じって、一人だけデブでチビで動きの悪い五十代の選手が混じっていたりする。すると間違いなくその五十代の選手が客席から一番声援を浴びているプロモーター兼エース選手で、動きが悪いにも関わらず他の選手より圧倒的に強かったりする。よくみると、五十代の選手以外は皆、十代後半から二十代前半で、全員独身であったりする。つまり、メキシコの小さな団体では、プロモーター以外の選手は自分一人ぐらいは食べて行けても、妻子を養えるほどの給料は団体所属では稼げなかったりするのだ。ベビーのやられ役の選手としてはここである程度のキャリアを積んで、プロレスを学び身に付けた後は、もっと大きな団体へ移籍するか、まだ誰のエリアでもない場所でプロレス団体を旗揚げするか、フリーで活躍するかを考えなくてはいけなくなる。


トップヒールの選手の第一条件は体が大きく、見た目が怖いこと。参戦する団体にとって部外者であること。部外者という意味では外国人であればなお良い。トップヒールの役割は、マンネリ化した団体所属選手同士の試合に波風を立て、新しい話題を提供し、マスコミにメディア露出し、お客さんを大量に呼び込むことだ。プロレスの技術的な上手さや内容のある面白い試合などは、ベビーのやられ役の選手によって作ってもらう物であり、トップヒールに要求される役割ではない。試合のない日、プロモーターは社長業や経営などの仕事をし、ベビーのやられ役は試合の練習をし、トップヒールはメディアに出て、リンゴを握りつぶしたり、バスを手で引っ張ったり、大型冷蔵庫をジャーマンスープレックスで投げ飛ばしたりして、広報活動をする。当たり前だが、プロレスが一番上手いのは選手に専念しているベビーのやられ役の選手だ。特異なキャラクターと怪力で注目を浴び、マスコミを通じて会場までお客さんを運ぶまでがトップヒールの仕事、それほどプロレスが上手くないトップヒール相手に、良い試合を組み立てるのがベビーのやられ役選手の仕事。ストーリー的には、トップヒールが団体に道場破りに来て、練習生がハンディキャップマッチで二人がかりでトップヒールに立ち向かうが、ボコボコにされ、トップヒールの圧倒的な強さを見せ付ける。その後もトップヒールは連戦連勝し、最後に社長兼エース選手が出てきて、この試合で社長が負けたらこの団体は解散だという場面まで追い詰めて、社長に負けるまで、基本シングル戦でトップヒールが負ける事はない。


もう一つのポジション、ヒールのやられ役、トップヒールのマネージャーですが、ストーリー的には「かつてその団体の人気選手で、現社長を脅かすぐらいの力を持ったが社内の権力闘争に破れ、団体を去った。が、自分を外へ追いやった現社長への恨みは忘れず、自ら道場を持って復讐のときを待っていた。そして、自ら育てた若くてデカくて強い選手を連れて、かつての古巣を潰すために再びその団体へ道場破りとして舞い戻ってきた。」というような設定で、実際にはロートルの現役選手兼スカウトマン兼トレーナーで、あることが多い。もっと古い時代には、早口でしゃべり笑いを取り解説をするコメディアンがこのポジションであったらしい。トップヒールが団体の部外者=外国人であった場合、言葉が分からないので通訳としての役割や、トップヒールがいかにすごい選手かということをマスコミに対してしゃべる役割、そして実際にそのトップヒールのすごさをアピールするためにトップヒールから技を掛けられる役割などがある。トップヒールの体のデカさを際立たせる背の低い小男が、こいつはこんなにすごいんだということをしゃべった後、自分の後ろにいるトップヒールに「(目の前のマスコミ陣をボコボコに)やれ!」と命じ、トップヒールがその小男に必殺技をかけ「違う。俺じゃない、こいつだ、こいつ。」と記者を指差すお決まりのコメディーをやる。いまだとダチョウ倶楽部の上島竜平か出川哲郎辺りが似合うリアクション芸だ。時代が進み、しゃべりの達者なトップヒールが増えてくると、このポジションは、コメディアンというより、ロートル選手兼スカウトマン兼演出・脚本という役割になる。自分の道場で練習する無名の練習生をトップヒールとして売り出すスポークスマンなので、元々しゃべる仕事なのだが、そこから転じて、しゃべる内容を生み出す仕事、各選手のキャラクターや試合の見所、試合に到るまでの因縁やストーリーを考え作る部分や、トップヒールとして新人を売り出す時のキャッチコピーやギミック、衣装やポージングや入場曲などの演出面をトータルで生み出していく仕事だ。アブドラ・ザ・ブッチャー選手についていたザ・シーク選手や、タイガー・ジェット・シン選手の通訳兼タッグパートナーだった上田馬之助選手などがこのポジションだろう。もっと昔ならミスター珍選手、いまだと新人選手の育成と売り出しを担っているという意味でウルティモ・ドラゴン選手やエル・サムライ選手だろうか。


私は今のプロレスの衰退は、古典的なプロレスのビジネスモデルが壊れたことにあると思っている。壊れた理由は色々あって、創業社長兼エース選手が歳を取ってベビーのトップを張るのがきつくなり、トップの座を他の選手に譲るようになると、それまでベビーのやられ役に甘んじていた団体所属の選手が皆、ベビーのトップをやりたがり、トップヒールの強さを引き出して負けることをしなくなったとか、アメリカのプロレス団体がWWE独占状態になり、他団体へ選手を貸したり、他団体の選手を借りたりしない鎖国政策のWWEから、トップヒールを呼ぶことが出来ず、かといってメキシコの選手は小柄すぎてトップヒールと呼ぶには難しかったとか、団体所属内で日本人トップヒール(長州力)を作った方が海外から呼ぶより安上がりだとか、色々あると思う。


中西学選手の試合を見たときに、西口プロレス以上に西口プロレス的だと感じるのは何故だろうと考えると、レスラーとしての資質とポジションのズレが大きいと思う。団体所属のベビーの引き立て役選手は、基本トップヒールより体が小さく腕力がなく弱い選手でなくてはならないのだが、どう見ても物理的に中西選手が外国人トップヒールより大きかったりする。その上、手四つからの力比べで、どう見ても体の大きな中西選手が自分より小さな選手に腕力で負けて痛がっているのが嘘っぽく、さらに言えば、引きたて役に徹するため、自分の体を小さく見せようと手足を折り畳んで手四つをやるのが、一般的なプロレスの手四つ、自分の体を目いっぱい大きく見せるそれと真逆すぎて笑えるとか、コミカルな動きがいっぱいあるのだが、それは中西選手が悪いとか、そういう問題ではなく、物理的に大きな体を小さく見せるにも限界があるという話で、大日本プロレスやWCWなどの他団体にトップヒール=道場破りとして出向く時には、ストーリーががっちりかみ合う。NOAH森嶋猛選手がノアの中ではいまいちパッとしなかったのが、アメリカの団体に乗り込んだらトップヒールとしてROHのチャンピオンベルトを巻き、一流の選手になるのと似ている。日本プロレス時代の馬場選手などもそうだが、ファンの間では「力道山が馬場選手の潜在能力に嫉妬し、日本では絶対にトップに立たせなかった」とか言うが、そういう問題でなく、ヒールのトップ選手より体の大きな選手に、ベビーの引き立て役はつとまらないという話だと思う。


70年代のアントニオ猪木西村修説というのが頭に浮かんだ。アントニオ猪木選手がアメリカ武者修行時代に卍固め(米名オクトパス・ホールド)を盗んだ選手は、正統派のベビーフェイスで、そういう選手を猪木は目指したと成っているのだが、その選手というのは、言ってしまえばトップヒールをやるには体が小さく、かといってプロモーターというわけでもない、いわばベビーの引き立て役選手だと思う。それって、西村選手じゃん?という話だ。アントニオ猪木選手ですら、力道山の下で働いていた日本プロレス時代には小柄なテクニシャンファイターと闘うのが好きで、デカくて下手で怪力のトップヒールと闘うのは嫌だったらしいんだ。でも実際に自分がオーナーとして団体を立ち上げると、プロレスが下手どころか、プロレス経験ゼロのボクサーや空手家相手に名試合を作って、猪木というブランドを確立させた訳で、西村選手も本気でプロレスビジネスをやろうと思ったら、デカくて下手で怪力で無名の選手、アメリカの弱小団体で練習生クラスの選手を安く借りて、ボブサップ並みにメディア露出させてトップヒールとしての集客をさせて、安くてダメな素材を使って高級料理を作って利ざやを稼ぐのをやるしかないと思う。昔の外国人ヒールはクロー系の技とベアハッグぐらいしか技を出さないのだが、それらの技は技を出す選手よりも技を受ける選手の表現力で技の完成度が決まるという。中西選手にアイアンクローされて、最初抵抗したが、途中でピクピク痙攣して、腕と脚がぷら〜〜〜んとなった残酷映像な西村選手なら、プロレス経験ゼロのボディービル世界チャンピオンとか、世界一背の高いギネス記録保持者で、高い位置まで血を運ぶと心臓に負担が掛かるので、なるべく立ち上がらず座るか横になる姿勢で一日を過ごすよう医者から言われている選手とか相手でも、そこそこの試合を作れると思う。


プロレスを映画に例えると、プロレス団体は撮影所だと思う。監督の下にカメラさん音響さん脚本家さんメイクさん大道具さんなどのスタッフがいて、スターを生み出すスターシステムがある。そこへ主演俳優を派遣する芸能事務所は、プロレス団体や撮影所とは別の物だ。むしろ芸能事務所に近いのは、ヒールのやられ役で引退まぎわの選手が運営するプロレス道場とかだと思う。ただ、新日本プロレスという団体が不渡り的な物を出して、そこへテレビ局やゲーム会社から社員が派遣されると、基本テレビ局もゲーム会社もタレントの版権を扱う会社で、プロレス団体=芸能事務所と思ってしまうわけです。すると売れる版権を持つスター選手は残すが、引き立て役の選手はリストラに合う。世間的には無名だが業界的には腕前の良いカメラさんや大道具さんや照明さんが首になり、撮影所に主演俳優だけが残ると、主演俳優達がカメラマンや脚本家を兼ねて映画を作る。当然だがひどいクオリティーの映画が出来上がる。撮影所を首になったカメラさんやタイムキーパーさんたちが集まって作った団体も、自分たちスタッフが主演の映画を撮り出す。ニヒルでカッコ良いスパイが派手なアクションをスタントなしでこなすアクション映画の主演に三谷幸喜、ボンテージ調のブーツに網タイツでセクシーなヒロイン役アクション女優に橋田寿賀子とかになる。


何故こんなことを考えるのかというと、自分が組織の中でどんなポジションにいるべき人間なのか迷いがあるからだ。


プロレスのビジネスモデルが何故崩壊したのかという辺りで。一番大きな理由は、創業社長兼ベビーのトップ選手が、歳を取ってトップを張れなくなり、トップを他の選手に譲ったり、選手を引退したり、社長業からも寿命等の理由で去り、二代目に引き継がれたりしたことだろう。プロレス団体のオーナーとエース選手が同一人物でなくなるとどんな弊害が起きるのか。


オーナーとエース選手が同一人物の場合、エース選手が他団体に引き抜かれる心配がない。プロレスというのは一人のスターを作るために、残りのすべての選手が負けブックを飲む競技で、その頂点に立つスターの人気やネームバリューは、残りの負けた引き立て役の選手の技量やギャラで成立している。仮にその団体に十人の選手がいて、トップヒールも含めてすべての選手が最終的にはベビーのトップに負けるわけだ。で、選手のギャラは十等分だとしよう。勝った選手も負けた選手も、全選手が同額のギャラをもらっている。オーナーとエース選手が別の人間だと、エース選手を今の三倍のギャラで引き抜いて、別団体のエースに負けさせたとしよう。十人の団体でトップの成績を持つ選手に勝てば、十一人の中でトップということになる。たった三選手分のギャラで、十選手分の勝ち星を買った計算になる。


このリスクを避けるために、エース選手のギャラを上げるとか、エースの選手を一人に絞らず、三銃士などといった形で分散させ、誰か一人が引き抜かれても残り二人が残っていれば良しとするとか、なんなら、チャンピオンを作らず全選手が全選手に対して勝率を五割にするとか、エースを年功序列にして、2・3年ごとに新しいエースを生み出していき、チャンピオンを流動的にするとか、色んな方法があるのだが、結局これらがプロレスを詰まらなくしている。全選手が全選手に対して勝率が五割になるような平等方式が客にとって詰まらないのはもちろん、エースが複数いたり、年功序列でエースを持ちまわるようなのは、結局誰が強いのか分かりにくく、勝ち負けをはっきりさせない煮え切らなさが残る。


かといって一人の絶対王者を作れば、彼が引き抜かれると団体そのものの存続が危うくなる。結果WWEのビンス・マクマホンのように、元々レスラーでもない二代目オーナーだったのが、結果看板レスラーとしてリングに上がり、三代目オーナーを引き継ぐであろう娘もリングに上げてレスラーにするはめになる。ノアの経営状態が現状それなりに良いのも、創業社長&創業メンバーがエースで他団体に引き抜かれる心配がないからだろう。


プロレスマニアの人が、引き立て役の地味な選手をやたら高く評価するのを見て、どういう視点で見れば、そう見えるのか興味があって、通の人のプロレスの見方を身に付けようとしてきたが、ある程度達成できた気がするので、俺としてはプロレスに対する興味はこの辺で終わりたい。